1898年(明治31年) 本格的なドイツビールを醸造するために

建設した ビール工場・半田赤レンガ建物

 

 

 

 

入ると直ぐに目に付くのは 2005年(平成17年)に復刻された

左側 明治時代 右側 大正時代のカブトビールです。

 

 

設計者は

横浜赤レンガ倉庫・日本橋(装飾部)などを設計した

妻木頼黄(よりなか)氏

 

 

ビール工場として安定した温度・湿度を必要とすることから

館内の壁は 2~5重の空気層が作られ アーチ状の天井は

更にアーチを重ね空気層を作り天井裏にはおが屑を詰め

断熱効果を高め 西日が当たらないように半地下構造になっています。

 

 

 

 

明治時代の始まりと共に一挙に欧米文化が流入し 日本人が

ビールの存在を知り 全国で見よう見まねで醸造を始めるも

その多くは撤退

 

当時のビール業界は大手 4社

キリン(横浜) サッポロ(札幌) エビス(東京) アサヒ(大阪)

 

地方都市・半田から果敢に参入したのが 中埜酢店の4代目

中埜又左衛門氏と甥である後の敷島製パン創業者 盛田善平氏

本場のドイツから2人の技師を招き 新工場(赤レンガ倉庫)を建設

本格ドイツビールを醸造し銘柄も 丸三ビールからカブトビールと改名

 

麦汁糖度が高く赤褐色

味が濃くホップが強い(苦味が強い)

アルコール7%

炭酸が現在のビールより少なく ワインに近い味わい

                    … だそうです

 

カブトビールの名の由来は幾つかあるようですが

勝利した日清戦争後 勇ましい【兜】が商標となったとも。

 

 

 

 

1943年(昭和18年) 製造中止

2005年(平成17年) 3000本限定で復刻

出来るだけ忠実に 明治・大正の2種類を再現

 

5年に一度の祭典・はんだ山車

ミニチュア 31体が飾られていました

 

昨年が その年に当たったそうですがコロナ禍で延期となり

今年 10月28日(土) 29日(日)開催されるそうです。

 

 

北側 芝生広場から カメラ

 

 

受付の方に パンフレットとマップを貰い説明を聞き

半田運河へ  あし   あし   あし

赤レンガ建物から東へ真っすぐ進み 半田大橋手前を右へ

 

 

十ヶ川(じゅっかがわ)この下流部が半田運河 

橋を渡り東雲(しののめ)さくら道 

その左側に流れる川は 阿久比川

知多半島で最も大きな河川で延長約10kmの二級河川

名鉄半田口駅の東方で支流である矢勝川と合流します。

 

 

 

橋上から カメラ

 

 

この辺りから 黒壁の建物が見えてきました。

潮風から壁を守るためにコールタールが塗られているそうです。

 

 

【国盛 酒の文化館】がありますが マップには事前予約と。

 

 

此処は 自由に入っても良いようです。

 

 

江戸時代に海運業・醸造業で栄えた【中埜半六】の庭園

 

 

ハクセキレイがツゥツゥツーと … やはり撮ります。

 

 

 

この辺りから 運河になります。

 

 

整然と並ぶ建物

スッキリとした光景が広がっています。

 

 

ユーチューバーさんらしき方が お喋りしながら撮っていましたが

それ以外 人影なし物音無しと静か …

良い雰囲気でした。

 

 

【体験型博物館・MIZKAN MUSEUM】も事前予約です。

 

 

此処から JR半田駅へは 5分ほど 

仮駅舎によう …

JR武豊線連続立体交差事業において高架本体工事を行うため

だそうです。

 

 

駅横には 【鉄道資料館】があるそうですが

開館日は 第1・3日曜日のみだそうです。

 

隣接の旧貨物ホーム跡に

【C11265】蒸気機関車が展示されています。

 

 

半田駅(武豊線)~大府駅で乗り換え 東海道本線大垣行き

名古屋駅を過ぎ尾張一宮駅へ向かう途中に速度が落ち停止

【尾張一宮駅構内で車両と人との接触事故があった】と

構内放送があり 30分遅れで尾張一宮駅へ

その後も 遅れが生じと40分ほど遅れて岐阜着でした。

 

帰路だったからまだしもですが 向かう途中でのこう言う

出来事は困りますね。

 

初めて訪れた半田   あし   あし   あし   と

随分と楽しんできました。