9月 9日(土)

高知駅発 8時1分 丸亀駅で乗り換え 

高松駅着 10時23分

高松築港駅から電車にて琴電屋島駅へ向かいます。

 

 

築港駅は 

海水を引き込んだお濠の【高松城】に隣接しています。

遊覧船で濠を巡っている方がいます。

 

 

瓦町駅で乗り換え 琴電屋島駅へ

初めて利用する電車 瓦町駅は琴平電鉄の3路線が乗り入れて

います。

 

  

 

一階がホームで 二階が改札口と連絡路を抜け階段を下りてと

屋島行の志度線乗り換えホームに戸惑いました。

 

 

 

琴電屋島駅の駅舎

こんな認定書か掲げられていました。

 

 

 

屋島シャトルバス 乗車 10分ほどで山上に到着

 

バス停近くで ボランティアガイドに出会いました。

一応 下調べはしてきていましたが ガイドをお願することが

出来てラッキーでした。

…と 言うのも 今回の目的の一つである 屋嶋城

たまたまネット検索でその存在を知り 今回の機会に是非

見学したいと思い訪れることにした地です。

 

 

ガイドさん付いて   あし   あし   あし

向こう側の山は 

四国霊場 85番札所・八栗寺に在る五剣山(八栗山)

…と 説明  

↓ 山の名前など説明があったのですが …

 

 

 

かっては 栄えた山上のホテル・旅館

世の移り変わりと共に閉館 ほぼ撤去されたそうですが

規模の大きかった このホテルは 閉館から20年経た今も

放置状態です。

 

 

説明を聞きながら行く この道で出会いました

 

ボケボケですが  ↑ テングチョウ ↓ ハンミョウ

 

 

緩やかな散策路を15分ほど下った地に 今回の目的地

屋嶋城(やしまのき) の城門跡が在ります。

                           

1919年(大正8年) 東京帝国大学の関根 貞氏による【浦生の石塁】を

取り上げた論文発表に始まり 1985年(昭和60年) 村田 修三氏によって

南領北側の山上斜面にある幅2mほどの平坦面が屋嶋城の土塁ではと指摘

いずれも 年代を具体的に特定に至らず 実在したかさえ  ??

やがて【幻の城】とさえ呼ばれるようになったそうです。

 

それでも 何とか存在を解明しょうと屋島を探索されていた

平岡 岩男氏が 1998年(平成10年) この地区で山林に

埋もれた石積みの一部を発見しました。

これを契機に 高松市教育委員会が発掘調査を開始し 

2002年(平成14年)に城門を発見 屋嶋城の実在が証明されたと

言うことです。

 

                             パンフレットより

城門地区は

南嶺南西斜面で 城門とその周辺には石積みによる城壁が

築かれていた場所です。

★ 門

1350年という年月が経ち 門に関わる遺構は 柱穴 4つしか確認

出来ませんでしたが 柱穴の調査から 角材で一辺 30~40cmと

門の床面は 石敷きで階段状 床下には排水溝が確認

★ 懸門

城の入口に2.5mほどの石積みの段差を設けて敵の侵入を阻み

普段は 梯子を掛けて出入りしていたそうです

★ 甕城

枡形・虎口と同様の構造で城門を入ると岩盤が行く手を阻み

左手へ進ませるようになっています。

 

 

 

城壁の高さは 

約6m 地形に沿って築かれているのでくねくねと蛇行して

いる点も特徴です。

 

 

城壁の石積みには

山上で確保できる安山岩が用いられています。

 

発見された時の城壁は

約 1350年と年月を経ち今にも崩落しそうな状況だったと

2008年から修復工事が始まり 一つ一つの石に番号を付け

一石ずつ取り外しながら 当時の技術 どのような構造だったか

検討しながら解体

修復に備え 【石積みミニチュア版作製】し様々な実験・検討を

行い 問題点を克服 石工さんと試行錯誤しながら石積み

 

積んでは直しと試行錯誤の日々を経て 2015年(平成27年)完成

 

でも

【幻の城】から 

実在したことは明らかになりましたが まだ謎の部分が多々

今だ多くの ??の残る【謎の城】と言うことだそうです。

 

白村江(はくすきのえ)の戦

663年(天智2年)朝鮮半島・白村江で行われた

中大兄皇子率いる 日本・百済連合軍と唐・新羅連合軍の海戦

日本水軍が敗れ朝鮮半島への拠点を失う。

 

敗戦後

中大兄皇子は 唐・新羅連合軍の侵攻に備え 国を守るために

九州の北部 瀬戸内海にかけて城を築かせます。

その一つが 【屋嶋城】です。

 

… と 聞き知るにつけ まさに歴史の浪漫なんて思うのも

人それぞれでしょうね。

 

 

入口に案内表示が無くて分り辛い地に在る 屋島南嶺 292mの

三角点です。

 

 

次に訪れたのは 

四国霊場88ヶ所 84番札所 屋島寺

 

 

ガイドさんが 「こちらから入りましょう」と

歩き遍路の場合この山門が入口となり こちらが正規の参拝順だと。

 

 

南面山と掲げられた下の 「額に記された文字に注目して下さい」と

意味の説明はありませんでしたが …

一応 ネット検索しました。

 

 

屋島寺へは 数度訪れていますが 教えて貰わなければ

見過ごしているでしょう。

 

 

本堂へ参拝

千体堂・三体堂・一願不動尊・大師堂・熊野権現と参拝

 

朱塗りの鳥居前に鎮座しているのは 太三郎狸をお祀りしている

蓑山大明神

 

                    夫婦狸です

 

今回は その先の鳥居の奥へ行きたかったのですが

ガイドさんは 御存じなかったようです。

 

 

 

竹林に囲まれて所に鎮座しているのは お稲荷様は屋島稲荷

平雄明神 朝日明神 七九朗明神と刻まれた石が置かれています。

この文字は 何の神様を指すのでしょうか。
 

 

蓑山大明神よりも奥に祀られている 屋島稲荷の存在が

気になりますが ガイドさんはこの存在さえ知らなかったと

言われていました。

 

 

海に向かって吠えているような岩

赤丸は 【獅子の霊岩】 …と

 

 

古代・山城の在った地

鑑真和上が創建し そのお堂を空海上人が今の地に移し

屋島寺とする

そして 源平合戦・屋島壇ノ浦の古戦場となった地

 

江戸時代までは 島だった屋島ですが塩田開発と後の

干拓水田により埋め立てられ陸続きとなります。

 

晴れ渡った 9月9日

小島が浮かぶ瀬戸内海の眺望は 何度見ても良いものです。

ガイドさんは この光景を誇りに思っていられるようでした。

 

                   次は 屋島新水族館へ