南禅寺の塔頭の一つ 金地院

応永年間(1394~1428年)4代将軍・足利義持が北山に創建

その後 荒廃

1605年(慶長10年) 江戸幕府の幕政の参与で黒衣の宰相

呼ばれた 以心崇伝(金地院崇伝)によって現在地に再興

 

 

先ず目にするのは 明智門

明智光秀が 1582年(天正10年) 母の菩提のため大徳寺

建立した桃山建築の唐門 

明治初年(1868年)に金地院へ移築

 

 

 

弁天池から左右の木立を見ながら先に進みます。

 

 

← 東照宮参道

 

 

 

金地院・東照宮は 1628年(寛永5年)造営

御成門を潜ると拝殿

家康公の遺髪・念持仏がお祀りされているそうです。

 

 

 

天井の鳴龍は 加納探幽筆

三十六歌仙の額は 土佐光起筆

 

家康公が遺言に残した廟所

久能山・日光・金地院の三ヵ所です。

 

 

右側の門から出て石段を下ると本堂(方丈)

 

 

鶴亀蓬莱の庭と命名された南庭

小堀遠州作庭の確証のある枯山水庭園

徳川3代将軍・家光を迎えるために作庭された江戸時代初期の

最も格式の高い庭園だと。

 

 

1627年(寛永4年)から5年もの歳月かけて作庭された庭園

1633年(寛永10年)崇伝死去

崇伝は 完成した庭園を見ることなく また家光に見せるという

願いも叶わなかったそうです。

 

配置図を見ながら  う~ん  うんうん

そうなんだ・・・でも分かり易い

 

 

通り沿いに在る 金地院・東照宮の楼門です。

真っすぐ参道を進むと拝殿です。

 

                    今回 最後の目的地 明智光秀首塚へ