恵那市岩村町に在る 岩村城
天然の地形を活用し築城された山城です。
1185年(文治元年)源頼朝重臣・加藤景廉が遠山荘の地頭となり
嫡子・景朝が岩村城(砦)を築いたのが始まりです。
戦国時代には 城主は目まぐるしく交替していきます。
関ヶ原合戦以降は 松平→丹羽→松平と変遷
1873年(明治6年)廃城令により城は解体され石垣のみとなります。
連休真っ只中の4日
人の多さは半端じゃない・・・
まさにぞろぞろと老若男女の姿が往時の歴史ある地を
行き交います。
藤坂と命名された 緩やかな傾斜のついた石畳を上って行きます。
やがて初門
鉤の手に大きく曲げられ 有事の際には臨時に門が設けられ
侵入者を遮断する 岩村城の最初の関門です。
大手一の門
第二の門・土岐門
戦勝品としての土岐氏の城門を移築したとの伝承から土岐門と
廃城後 徳祥寺(岩村町飯羽間)の山門として移築され
現存しているそうです。
やがて 杉林の細い山道となり 突き当ると鉤の手の左右に見る
光景に目を見張ります。
大手入口に当たる所
元々は 空堀がありその上にL字型の木橋が架けられており
その橋の床板は畳の様にめくることが出来たと言う畳橋
ここは
高石垣・桝形門・三重櫓によって厳重体制となっています。
右上 人の立っている所が三重櫓が建っていた所です。
桝形門を抜け 左側が三重櫓
天守相当の櫓だったようです。
三重櫓跡から見下ろすと畳橋跡です。
城中最大の門・大手櫓門(正門)を抜けると 左右に石垣
ここには 侍屋敷が建っていたようです。
屋敷跡に在る 竜神の井戸
その先には 城主専用の霧ヶ井戸
敵が攻めてきた時 秘蔵の蛇骨をこの井戸に投じると
たちまちに霧が発生し城を守ったとの伝説があるそうです。
別名・霧ヶ城と呼ばれています。
この話は 他の城でも聞かれることですが・・・
此処は 霧が発生し易かったと言われています。
反対側 八幡宮跡(八幡曲輪)です。
少し上がった先に在る社
岩村城の創業者・加藤景廉公をお祀りしています。
先に進みます。
地形に合わせ石垣を積んでいたら菱形になり その上に建てた櫓も
菱形になったと言う 右側の丸みを帯びた石垣は 山城特有の
ものだそうです。
最大の見所です!!!
本丸北東面 雛壇状に築かれた 六段壁の石垣
迫力満点です。
もとは 最上部のみの高石垣でしたが 崩落を防ぐために前面に
補強の石垣を積むことを繰り返した結果 現在の姿になりました。
一番下には 巨石が埋め込まれています。
左側の石垣上には 二重櫓が建てられていたそうです。
二重櫓台の角から撮った六段石垣です。
何処から見ても絵になる姿です。
緩く曲線を描く 二重櫓台の石垣に沿って左側から回り込み
二重櫓台跡へ この可憐な花は??
二重櫓台から 複雑に積み上げられた石垣
本丸に続く虎口が見られます。
長局埋門(ながつぼうずみもん)
往時は 左右の石垣をまたぐように多門櫓が築かれその下を
潜り本丸へと
恵那山・御嶽山が眺望出来ると言う
標高・850m
納戸櫓などの二重櫓・2棟 多門櫓・2棟が石垣上に建てられ
門は3ヶ所 施設はなく広場になっていたと言う本丸跡
本丸跡に在る 昇龍の井戸
岩村城には 籠城に備え 井戸は17ヶ所あったそうです。
本丸を出て二の丸へと向かう途中の狭い通路を抜けると
埋門
両側そして奥の石垣上には櫓が 石垣の間の桝形の通路には
3つの門扉が設けられていました。
礎石が見られます。
埋門左側の石垣は 江戸時代初期 築城時代の石垣です。
埋門の前方は 二の丸へと
ここは 未整備でした。
苔むし雑草の生える様 一層の味わいのある野面積の石垣です。
織田氏と武田氏の争いの中で翻弄された 岩村城
信長の叔母に当たる女城主・おつやの方を思いやると
最後の地が近辺の長良川河畔だったということもあり
戦国時代の無情さをひとしお感じてきました。
説明文を読みながら
入り組んだ複雑な通路・石垣に そして櫓の多さにと
想像を膨らませ妄想をしながら巡った岩村城址でした。
立派な天守閣は勿論良いですが
やはり 山城の石垣には 萌え!!!です。
10年前 訪れた時は 出会った方は3人
とても 静かな環境で巡ることが出来ましたが
今回は 人人人・・・
途中で しんどいのか石段に座り込む人も
なるべく人を入れずに撮りたいので 少し大変でした。
これも また思い出の一つです。
情緒のある町並みも あまりの人の多さに
散策はパスしました。
・・・多分 以前の趣とは程遠いのではと。



























