4月5日(水) 8時 チエックアウト

 

徒歩 7分ほどで高岡城址へ 

 

 

1609年(慶長14年) 前田利長は 

焼失した富山城の代わりに高岡に城を築き移り高岡城と命名する。

 

1614年(慶長19年) 利長 死去

1615年(元和元年) 大坂夏の陣の豊臣家滅亡 

江戸幕府の一国一城令により廃城

明治に入り 古城公園として整備される。

 

 

 

西外濠い沿って行き本丸橋を渡り城内へ

 

    

 

全体の広さは 東京ドームの4.5倍だそうで 本丸跡もとても広~い。

一角に河床から引き上げられた石垣の石が置かれています。    

 

    

 

利長が産業発展の目的として鋳物師を勧誘し 

銅器が伝統的産業となった高岡

 

公園にはブロンズ像 そして利長公銅像が設置されています。

 

    

 

先に進むと 朱塗りの朝陽橋 前方には中之島

橋の手前を少し下ると 長崎の平和記念像と同じ作家の聖観音菩薩さま

その横には 朝陽の滝 人工の滝だと地元の方が 只今 8時35分 

水の流れ落ちる時間じゃ無さそうです。

 

    

 

本丸跡跡には 1871年(明治4年)に遷座された射水神社

創建は奈良時代以前で 越中国で最も位の高い神社だそうです。

 

    

 

城址で一番の楽しみにしていた所・・・私はですけど。

 

本丸と二ノ丸を結ぶ土橋の側面の石垣 築城当時の野面積み

 

    

 

    

 

矢穴跡・刻印・文様が見受けられる石垣です。

 

    

 

石垣の前 カタクリの花・踊子草が咲いていました。

 

    

 

大手口近くに高山右近像 

高岡城の縄張りは高山右近だと言われていましたが

近年は ?だそうです。

 

    

 

大手口から城外へ 南外濠沿いに西に向かうと 駐春橋

 

    

 

駐春橋から二ノ丸~遺構である土橋下の石垣~本丸(射水神社)へと続きます。

 

ここから 300mほど 高岡大仏さまへ

 

 

 

1代・2代と木造の大仏さまで焼失 3代目の大仏さまは 青銅製です。

奈良・鎌倉ともに日本三大仏と言われていますが この三番目が問題です。

 

岐阜在住者としては 三番目は乾漆仏の岐阜大仏だと・・・

竹材の上に粘土を塗り 経典の書かれた美濃和紙を張り付け漆を塗り

金箔を貼り付けた かご大仏さまです。

 

高岡駅までぶらり散策 

高岡出身の藤子・F・不二雄氏のドラえもんのモニュメント

 

   

 

 

 

高岡発・11時05分 

向こう側のホームには こんな楽しい列車が止まっていました。

  

 

途中 富山県と石川県の境にある倶利伽羅峠

 

源 義仲軍の 牛の角に松明を括り付け平家軍を攻撃した 

倶利伽羅峠の戦いの舞台となった地 一度は訪ねたいと思っていた所です。

 

ホームの看板を見て今回は良しと。

 

  

 

七尾駅着・12時56分

 

ホームからは 転ばないように走りました。

駅前にあるバス停 13時発の 七尾市内循環バス・まりん号に間に合い

                      七尾城址に向かいます。