3月17日(金)
岐阜駅発・7時09分~豊橋~浜松駅着・9時15分
大河ドラマ「女城主直虎」で話題の地・浜松を訪れました。
モザイルカルチャー(モザイク+カルチャー)の家康くんがお出迎えです。
浜松城までは 1.6kmほど 街角の片隅にある・・・跡を探しながら
歩きます。
連尺交差点近く
道路中央部にかっての大手門(正門)があった所です。
市立中央図書館の階段近くに出丸跡の石碑がありました。
突き当りが浜松市役所 その西側(左)が浜松城公園・浜松城です。
徳川家康・・・
遠州攻略のため
岡崎城を嫡男・信康(21歳で切腹・原因は諸説)に岡崎城を譲り
1570年(元亀元年)引間(曳馬)城へ入城
曳く馬は敗走を連想させると言うことで浜松と改称し 拡張しながら
1586年(天正14年)駿河城へ移るまでの17年間 浜松城に在城
1590年(天正18年)江戸城へ入府
三方ヶ原台地の斜面に沿い
天守閣~本丸~二の丸~三の丸とほぼ一直線に並んだ梯郭式と
秀吉家臣・堀尾吉晴(松江城に銅像がありました)により大改修が行われた。
明治の廃城令により取り壊されましたが
1958年(昭和33年)復興天守が再建されました。
荒々しい野面積の石垣に圧倒!!
400余年の年月を経ても今も当時を連想させる石垣に わくわくです。
天守門脇の巨石 城主の権力を誇示そして城の壮大さを示す 鏡石
天守には 史料が展示されています。
最上階からの展望
当時の姿の位置が示されているので 現在の地形に
重ね合わせ思い巡らせ楽しむことが出来ました。
天下を取った徳川家康しかり 浜松藩政約260年間 要職につく多数の人物
中でも 天保の改革で登用された老中・水野忠邦を輩出と 出世城と言われる
所以の浜松城です。
天守曲輪の石垣 斜面の上部だけ石を積んだ鉢巻型石垣
石垣の平面には 屏風折や出隅・入隅が見られる複雑な石垣
天守曲輪から死角をなくし側面から敵を攻撃する工夫がなされているのが
見下ろし 下り南側から西へと巡ると解ります。
ここで ・・・
スタッフと記されたジャンバーを着た方にガイドして頂きました。
手前に在る石垣は 天守より高い五段の石垣
その上には 城を守る神社がお祀りされていた所・八幡台
銀明水と呼ばれる井戸を残されていました。
天守の東側
一段下がった所に在る・本丸跡 家康公銅像が建っています。
その背後の石垣は 富士山が眺望できる富士見櫓跡
残念ながら 今回は富士の姿は見ることが出来ませんでした。
次の目的地
大河ドラマ「女城主・直虎」ゆかりの地
井伊谷へバス移動ですが1時間に1~2本しかなく
気になる曳馬城跡は帰りに寄ることにして
乗り場は市役所前 約1時間ほどの乗車で向かいます。
17時 市役所前で下車して引間(曳馬)城へ
二の丸跡を抜け 東へ大手通りの向こうに見える小高い所に在ります。
家康が入城し拡張していった曳馬城
1886年(明治19年)に創建された浜松元城町東照宮となっています。
夕陽に映えて 神々しさが感じられる光景です。
拝殿の右側
出世の街浜松と記され 家康公と秀吉公の銅像があります。
藤吉郎時代 初めての奉公先が引間城の家臣であった松下家
そして 天下人へと上り詰めた秀吉もこの地と縁があったのです。
ぶらり歩き行くと こんな立札を見つけました。
此処の道路
少し変わった曲がり具合と言うか食い違いは 防御のためのもので
当時の遺構だそうです。
思いがけないものに出合えました。
後先の記述となりましたが
次回は井伊ゆかりの地の記です。