1時間15分ほど走行 総社市黒尾に在る 鬼ヶ城へ
鬼(朝鮮半島・新羅の皇子・温羅)退治の舞台として
親しまれてきた古代の神籠石系山城だった鬼ヶ城
つまり「日本書紀」などの文献にはでてこない古代山城であったと。
鬼城山ビジターセンター横から上って行きます。
横方向からの攻撃に備えた防御施設であった 角楼
東西南北と4つの門あった中の
西門跡は 極めて良好な状態で発掘され復元されました。
古代山城の門が復元されたのは初めてだそうです。
学習広場からの 角楼と西門
すり鉢を伏せたような標高400mの鬼城山
頂上は平坦で斜面は急傾斜と険しい山容を利用しての
山城でした。
城壁は 土をつき固めてより堅固な「版築土塁」で
高石垣も配されているそうで 一周 1時間40分ほどで見れると言う
南・東・北門跡・水門跡
整備されているとはいえ 人っ子一人いない 残念ながらパスしました。
築城の時期も諸説あり不詳ですが 出土遺物は7世紀後半から
8世紀初期のものだそうです。
火急の時に逃げ込み外敵に備え防御を目的とし 館などなかったと
ビジターセンターの方の談です。
何れにしても 今だ謎に包まれた所です。
鬼ヶ城から25分ほど走行し 岡山市北区に在る 足守陣屋へ
関ヶ原の戦いの翌年・1601年(慶長6年) 北政所の実兄・木下家定が
姫路城から移封し足守藩を治めたことに始まります。
観光Pに駐車し 散策マップを片手に町並みをぶらり
藤田千年治邸
江戸時代末の建築で 明治以降に本瓦葺き入母屋二階造り
漆喰塗りの豪壮な建物です。
醤油作りを生業としていて 仕込桶の大きさから当時の様子が伺えます。
足守藩侍屋敷
白壁の長門門と土塀 家老・杉原家旧邸宅です。
利玄の道
足守陣屋跡
木下利玄の生家
木下家14代当主・木下利玄は 武者小路実篤・志賀直哉らと
雑誌「白樺」を創刊し 白樺派の歌人です。
利玄の道の一番奥に在る 足守藩庭園だった 近水園(おみずえん)
仙堂御所造営の残材で築かれた吟風閣(内部は立ち入り禁止でした)
小堀遠州流の池を中心とした池泉回遊式で 岡山県の紅葉の
名所だそうです。
心和む情景でした。
16分ほど走行 今日の最終地である備中高松城へ