関ヶ原の戦い後 1609年(慶長14年)に徳川家康が

九男・義直の居城として築城した 名古屋城

 

それまで尾張の中心であった清州から 家臣・町人・寺社そして

清州城の小天守も名古屋の地へと移るといった「清州越し」

行われました。

 

徳川義直が 尾張藩・初代藩主となり 17代・慶勝まで続く

慶勝は 尾張藩支藩である高須藩(現・岐阜県海津市)より

尾張藩主となり 14代・藩主も務め 松平容保の兄に当たります。

 

 

西側からの天守  

正門より入り「西の丸展示館」を見学し 左回りで巡って行きます。

 

 

剣塀 

大天守と小天守を連結する櫓台は 敵の侵入を防ぐために 

高い土塀で囲われ鋭い穂先が並べられています。 

 

鵜の首

外堀を内側に入れ込み 防御のため道幅を狭くした所です。

 

名古屋城本丸御殿の復元工事の木材加工場を見ながら通り抜け

かって 一般の木造建築の職人を「右官」と呼んだと・・・

御深井丸(おふけまる)に在る 乃木倉庫

 


乃木希典が明治初期に建てたと伝えられています。

煉瓦造り(後に煉瓦保存のため白亜塗に)旧陸軍の弾薬庫でした。

 

太平洋戦争の戦況厳しくなった 1945年(昭和20年)3月に天守閣

本丸御殿の襖絵・天井画を取り外し 乃木倉庫と西北隅櫓に保管

 

西北隅櫓(戌亥櫓)

 

清州櫓とも呼ばれ 清州城の古材を多く利用しているが

清州小天守移築ではないと・・・

 

1945年(昭和20年)5月の空襲にて 天守閣・本丸御殿焼失

 

北側から


 

扇勾配となっている天守石垣 空堀に鹿が2頭 何故いるのでしょう?

江戸時代から居たそうです。

 

 

東に進むと 旧天守を支えていた疎石です。

 

左側 御深井丸跡

 

 

本丸搦手馬出へ通じる道ですが 石垣修理工事中で通行止めです。

 

不明門

 

本丸への北側の門を潜り 大天守へ

 

見上げる大天守は圧巻

 

小天守を通り大天守へ  

誕生から炎上そして再建までの3Dシアター

展示物を見て いよいよ本丸御殿へ

 


東側から

 

 

尾張藩主の住まいとして 1615年(慶長20年)に建てられた

書院造を復元したものです。

木曽地方などで育った天然の桧を使用しているので入ると 香しい!!

 

戦火を免れた障壁画が 色鮮やかに蘇っています。

 

 

 

玄関 

一之間・二之間の壁・襖には 虎・豹の勇猛な姿が描かれ

圧倒されます。

 


表書院・三之間


表書院・二之間 

表書院・三之間 

 

表書院・上段之間

 

江戸時代 

大広間と呼ばれて接客や儀式に使用されていた表書院

上段之間の格式のある造りの素晴らしさと 松・桜・雉子などの

華やかな花鳥図が描かれた創建時の色彩豊かな障壁画

 

復元模写された400年前の本丸御殿の姿に感動でした。

 

フラッシュ撮影でなければ OKでした。

 

しばしタイムスリップ感を味わい 現実の世界へ

 

旧二之丸・東二之門

城内最大の清正石 

石の上で音頭をとる清正


徳川家康が 天下統一最後の備えとして築いた城

いずれも豊臣方寄りの20人の外様大名に城普請を命じます。

 

その中でも 築城の名手・加藤清正の働きは素晴らしく幾つかの

逸話が残されています。

 


本丸表一之門跡

本丸表二之門  

本丸南側にある創建時の建造物です。

 

袖塀は 

下半分が石塀 上半分は白壁の土塀となっていて 鉄砲狭間が

設けられています。

 

東南隅櫓(辰巳櫓)

 

本丸搦手馬出の石垣修復工事 2000㎡をこえる石垣の解体

積み直しが行われています。

 

西南隅櫓(未申櫓)

 

2010年(平成22年)からの解体修理 2014年(平成26年)完了

 

 

1879年(明治12年)城郭の保存が決定

しかし 太平洋戦争時に焼失

 

空襲前に もしも・・・という機転から移され保管されていた 

襖絵・天井画など伝統の技と心の集大成として技能を持った

多くの人が関わり 400年前の御殿の姿が復元されつつあります。

 

なお 全ての工事完了は 2018年(平成30年)だそうです。

♪ 尾張名古屋は城でもつ~(城で栄える)と

伊勢音頭にも歌われた名古屋市のシンボル的存在 

名古屋城

 

只今 

1959年(昭和34年)に再建された鉄筋コンクリート造の天守を

木造に建て直す案が検討されているそうです。


久々に訪れ 千鳥破風と唐破風そして青銅(銅とすずの合金)の

天守の屋根の美しい佇まいと 本丸御殿に感動・感激の時を

過ごしてきました。