第5回~信長塾~のテーマは

 信長の城下町・秀吉の城下町 

講師は 大阪城天守閣館長の松尾信裕先生です。 


信長の城下町としては

 

清洲城下町  守護所として岩倉と並んで尾張の政治的中心地でした。

信長は 1555年(弘治元年)に清洲に入り 1560年(永禄3年)の

桶狭間の戦いで今川義元に勝利して 戦国武将として踏み出した地です。

 

信長亡き後 家康により「清洲越」が行われ江戸時代には水田化され

信長時代の城下町の様子は 残っていないそうです。


小牧城下町  1563年(永禄6年) 清洲から小牧へと移り四年間留まる

間に溝・井戸・土杭など長方形街区に短冊型地割が配置され計画的に

建設され強い思いを持って新しい町が造られたと推測されています。


岐阜城下町  1567年(永禄10年)稲葉山城を攻め落とし本拠地を

小牧より移し 斉藤道三がすでに造っていた城下町を整備・拡大していき

東西南北に複数(3条)の道路が並行し 信長の居館・家臣団屋敷

町人地と広がり 楽市楽座の城下町として商業の中心となっていた

所です。

 

G

2011・1/13撮る

 

道路の拡張工事に先立ち発掘調査が行われました。

斉藤道三の時代に築かれた武家屋敷の一部と見られ

掘立柱建物・井戸・区画溝などが確認されました。


安土城下町  1576年(天正4年)琵琶湖に面する安土山に築城開始

城下町は 安土山西麓にある微高地に建設され 以前(観音寺城時代)

から存在していた集落を含めた範囲を拡大していったと推測されています。

 

また 京都までを結ぶ下街道(朝鮮人街道)と呼ばれる道をつくり

商人にも通るように命じたりと 自然に人が集まるようにしました。


秀吉の城下町としては

長浜城下町・山崎城下町・大坂城下町・聚楽第・名護屋城・伏見城 等々

 

 ☆ 相違点として

城の本丸の場所が 信長は高い位置に 秀吉は 低い丘陵地に建造

 

 ☆ 共通点としては

地域の中で経済流通機能の中継地となる所を選び 水陸の交通路を

掌握していた。

 

秀吉は 信長の城下町造りを見てきており 信長の考えを継承していると

推定でき この二人が近世城下町の基本を創り出した。


信長塾も 今回が最終日でした。

 

大山崎・京都・安土・甲府・大阪からとお越し戴いた講師の方々の

興味ある話に 益々の奥深さを感じました。

 

次回の信長塾は 来年です。

受講出来れば(応募多数だと抽選です)良いなと期待しています。

                                 楽しい時間でした。