北陸の小京都と呼ばれる 大野市に着いたAM11時30分頃

晴れやかな秋空が広がる天気になりました。

 

越前・大野城

 

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南登リ口をくぐり城へと上って行きます。

 

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登城するには、二通りの道があります。

往路は

遊歩道となっている緩やかな坂道を20分ほど行きます。

 

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土井利忠公の像

大野土井家・7代目藩主で、在位44年間のなかの幕末期には

財政難の藩を建て直し 斬新な改革などをして再建した名君です。

 

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1575年「金森長近」により築城された城です。

自然石を加工しないで積み上げていく古い形式の石垣 「野面積」です。

外観は粗雑に見えますが、堅固な造りです。

 

武者登りとも呼ばれる虎口石段、直角に近いです。

 

★ 岐阜・清洲城でも野面積の石垣が見られました。

 

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金森長近は、織田信長の武将です。

 

標高249mの亀山山頂に

本丸・望楼付きの2層3階の大天守と小天守を

麓に、藩主の居住である二の丸と三の丸・堀川を造り 

小京都と言われる所以の町づくりをしました。

 

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廃藩後 取り壊され石垣のみだったのですが

1968年 土井氏の旧臣の子孫「荻原貞氏」氏の寄付により

再建されました。

 

天守閣の中は、資料館となつています。

 

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秋晴れの素晴らしい眺望です。

大野市街が一望できます。

 

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右側の彼方に 薄っすらと雪を被った荒島岳の姿が見えます。

 

  お福池

 

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濃姫(織田信長の正室)の付き人をしていた 金森長近の正室

お福の方様の名前が付いた 湧水池です。

水面に、天守の姿が鮮やかに映し出されていました。

 

 百間坂

 

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本丸への唯一の登城道でした。

帰路は、少し急ですが距離的に短いこの道で南門へ


天守閣で、散策マップを貰い「越前おおの結ステーション」辺りの散策へ

 

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土井利忠氏をお祀りしている神社です。

 

  百間堀

 

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大野城の外堀にあった百間堀を再現したものです。

 

  武家屋敷・旧内山家

 

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土井利忠の藩財政の建て直しに協力・尽力をした

家老・内山良休と隆佐兄弟の遺業を偲ぶために復元されました。

 

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麓からの大野城 良い姿ですね。

 

 御清水(おしょうず)

 

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地下水が豊富でいたるところに湧水池がある大野

その中でも「さっぱりとした自然の口あたり」と言われています。

 

殿様のご用水として使われていたことから「殿様清水」とも。

暑さを感じるほどの秋晴れの日、ひんやりととても美味しかったです。

 

 朝倉義景墓所

 

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越前の戦国大名・戦国の名家と言われた朝倉氏

父の死去のため、15歳で朝倉11代の当主となります。

 

同盟を結び また破棄・下克上と入り乱れた戦国の時代に

沿う事の出来なかった義景

 

織田信長との戦いに大敗し 当時の朝倉一族の筆頭的存在だった

従兄弟の朝倉景鏡(かげあきら)の勧めで 越前・大野に落ち延びたが

景鏡の裏切りにより自害 終焉の地となりました。


第二の京と言われ 京都の文化を取り入れ 多くの公家・文化人との

交流のあった朝倉家と一乗谷の城下町は滅亡してしまいました。


先日、一乗谷・朝倉家を訪れた時、

朝倉義景の最後の地である越前・大野へ是非と思い 

秋晴れの一日、往事を偲びながら散策しました。