10月4日(月) AM7.30分高松へと出発

両親の墓参りと友との旧交を温めようと 一年余ぶりの帰省です。

 

高松市内にはPM1時30分着 以前から行きたいと思っていた

高松城跡へ立ち寄ることに

 

外から眺めることは度々ですが、中に入るのは初めてです。

旭橋を渡り旭門から入城です。

 

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万葉集で「柿本人麻呂」が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことから

この辺りの海を玉藻の浦と呼ばれ これより「玉藻城」と称されています。

 

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入って直ぐ左側に「艮櫓(うしとらやぐら)」 

東の丸の北東の隅にあった櫓で1677年に完成されたものを

1965年に 東の丸から現在の位置「旧太鼓櫓跡」へ

移築復元されました。

 

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披雲閣

松平藩の頃、藩の政庁・住居として使われていましたが

1872年 老朽化のため取り壊され 後1917年再建されました。

 

142畳敷の大書院・幾つかの雅やかな趣の部屋などあり 

現在は貸会場として利用されています。

 

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内邸御苑

披雲閣の再建に合わせて作造された枯山水の庭です。

一部 江戸時代の庭もあると言う格調高いものです。

 

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名園「栗林公園」とはまた異なったしっとりとした風情が感じられます。

 

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手水鉢

銀閣寺の手水鉢を模したものだそうです。

幅・奥行き 約1.5m  高さ 2m  重さ 11トン

 

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水門

この堀の水(海水)は

北側の国道30号線の下をくぐって瀬戸内海とつながっています。

 

海からの稚魚(タイ・スズキ等)が潮に乗って入り成長したものが泳いでいます。

「鯛願成就」と洒落たネーミング エサを投げ入れると凄い数の魚が

集まってきます。

 

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月見櫓・水手御門・渡櫓

月見櫓は、総塗籠造り三層三階・入母屋造り・本瓦葺です。

 

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只今

天守石垣解体修理工事が進められていて 工事に伴う発掘調査の結果

地下一階部分から58個の礎石が見つかり 天守閣復元に向け期待大だそうです。

 

1587年 豊臣秀吉から讃岐一国17万6千石を与えられ 

国主として入府した生駒親正が 次の年から築城を始めた「水城」です。

 

日本三大水城 今治城(愛媛県) 中津城(大分県)と高松城です。

 

生駒4代 53年 松平頼重(徳川家康の孫・水戸光圀の兄)より

11代 228年間 高松は松平家の居城として栄えました。


 

宇高連絡船で帰省していた頃

ライトアップされ浮かび上がる玉藻城を眺め帰省した実感を

味わったのを懐かしく思い出しました。

 

高松で二日間、尽きることなくお喋りの花を咲かせ楽しい時間を

過ごしました。
 

6日(水)より イン高知です。