子供の頃、赤い月に追いかけられた。

走っても走っても、月は追いかけてきた。

異様に大きな赤い月を見て、

これから何が起こるんだろう、なんてことを考えていた。

スーパームーンというらしい。


今日の月は輝いていた。気持ち悪いくらいに輝いていた。

見られているような気配がを感じ、視線を移すと、

さえぎる雲ひとつもない空に、ほんの少し欠けた月が

眩しいばかりに輝いていた。


歩いているあいだ中、息苦しいほどの視線に突き刺され、

森の木々が隠してくれる

ほんのひと時に胸をなでおろした。


背後に飛行機雲を背負っても、月が異様に美しく、

ちぐはぐな感じがする。



星の瞬く、晴れた空に飛行機が雲を伸ばした姿を

月が絶妙のポジションで幸せをくれた冬の空。



あの時と同じ月とは思えない今日の月は

怖いもの見たさの類なのだろうか、

何度も見上げずにはいられない。


背中にあれば、不審者を警戒するかのように

振り返らずにはいられない。


いざ家に入るとなれば、別れづらく、

頭に思い描かずにはいられない。


ほっ、としてるはずの家のなかでは

こうして言葉にせずにはいられない。



微笑むでもなく、冷笑するでもなく、

ただ見つめているだけの少し欠けた月は

明日の満月にはどんな風な顔をみせてくれるのか。


体はまだ月の視線の冷たさを残したままだ。

諸事情により


10月1日より


整体と足ツボ『てんぐ堂』を


しばらく休業させていただくことになりました


何卒、ご了承下さいませ。


店主より

毎年、この日が近づくと落ち着かなくなる。


昭和20年7月24日 

大久保村、日本国際航空機工場に爆弾投下、死者6名

宇治町、 粟村鉱業所宇治工場に爆弾一発投下、死者5名

宇治町、 民家横に爆弾一発投下、死者2名、負傷者数名

                          『宇治市史 第4巻』より


4年ほど前、父からこの本を見せられた。

全6巻、別冊年表1冊からなる『宇治市史』の4巻だけを

死ぬまでずっと、父は自室に置いていた。


昭和20年に入ってからの

宇治近辺の空襲被害のみが7日分、9件書かれている。


民家横に落ちた爆弾で、死んだのは小学生の少年2人である。

おそらく一人は即死。もう一人は2時間後に死亡。


2人は私の父の兄で、当時小3と小5だった。



近所の人に「飛行機やで」と言われて、外に出たとか、

おのずから飛行機を追いかけたとか、

話す人によって、違いはあるのだが、

B29を追いかけたのは事実らしい。


粟村鉱業に落とすはずの爆弾がそれたとも聞いた。


父の話では、

小1だった父は2人の兄の後を追いかけたのだが、

追いつくことが出来なかったために、小さなケガで済んだ、という。

左腕に小さなキズがあるのを、子供の頃に見せてもらった。



祖母は

私が小学2年生の夏、祖母ん家で冷えた番茶を飲んでいると、

「○○ちゃん、今日は何の日か知ってるか?」

と聞かれ、「知らん」と答えると、


「あんたの伯父さんの死んだ日やで」


祖母は

爆弾が落ちてすぐにうちを飛び出して子供の元に駆けていった。

子供を抱き上げて、B29に向かい、

「もっと落とせぇ!みんな殺せぇ!」

とずっと泣き叫んでいた、

と、抑揚のない口調でたんたんと話してくれた。


父が参男なのは知っていたし、

お兄さんが戦争で亡くなったことも知っていた。

ただ漠然と、兵隊さんとして死んだと思ったいただけで。

考えてみれば、そんな年じゃないわなぁ。



道徳の授業で、

戦争に行った息子の代わりに桐の木を植える母親の話

を読んだことがあった。


祖母のうちにも桐らしい木があり、それが子供の代わりなのかなぁ

と、その時思ったことを覚えている。


そして、今日のように夏らしい、いい天気だったことも覚えている。


そのせいか、67年前のあの日もこんな天気だったんじゃないかと

ずっと思っている。



子供のうちは、「へぇ、そうだったんだ」ぐらいにしか

思わなかったが、


大人になってからは、

あの時、父を気遣ってくれる人はいたんだろうかと

考えるようになった。


たった6才の少年が、

2人の兄が殺されるところを目の当たりにするなんて、

私には想像すらつかない。


その後の60年余、父はどんな気持ちで生きてきたのだろうか?

一切の泣き言は言わない人だったので、

私にはわからない。



父の死後、父の学生時代のバイト仲間の方が

弔問に来て下さった。

「バスで帰ります」

というその方をバス停まで案内している時、


「あの日以来、おじいさんは釣りを止めた、と聞いてます。」


たった5分の道のりの中、その方は何故か

バイトの話ではなく、この話を私にしてくれた。


父が私に何か伝えたかったのか?



この落ち着かない気持ちが

私にとって、経験のない戦争の記憶なのだ。


来年、再来年と夏が来るたび、

落ち着かない日々を過ごすんだろう。


生涯、持ち続けなければいけない記憶なのだろう。

もう伝える相手はいないけど。