※職場の話。
昨日と同じ状況だったにもかかわらず、
例のオッサンは、僕への勘違いや思い上がりによる注意を今日はしてこなかった。
そういう理不尽な注意を、
長期に渡って我慢してきた僕が昨日ついに怒鳴ったことが効果的だったのかもしれないが、
昨日と今日が同じ状況だったのにオッサンが僕に注意してこなかったことで、
僕が正しいと証明できたようなものであり、
それと同時に、オッサンが勘違いしていると証明できたようなものでもある。
しかし、オッサンが自身の勘違いに気付いたのかは不明である故、
今後もまた、勘違いや思い上がりによる注意や説教をしてくるかもしれない。
そうなったとしても、僕は負ける訳にはいかない、
僕は間違っていないし、その証明ができるのだから。