何だか最近、
この国もとうとう銃で人を殺すような時代に
なってしまったみたいで(悲)。
それも、警察官やヤクザみたいに
銃を持ってるって、誰もが知ってる人じゃなく、
ごく一般の人が。
こんな所まで米国のマネをしなくてもよかろうに…(残念)。
そもそも僕は、
一般人に銃所持を許可してる米国を
どうかと思ってるんだけど。
護身のためなのかもしれないけど、
護身をしたければセキュリティを強化すればいい。
「銃で襲ってくる奴がいるから銃で護るんだ」とか言ってたら
それは本末転倒じゃないだろうか?
一般人にも銃所持を許可してるから
銃で襲ってくる奴がいるワケで。
一般人への銃所持を許可しないで、
ハイテクなセキュリティを開発すれば
銃の被害者はいくらか減るんじゃないだろうか?
米国ならハイテクなセキュリティを開発することくらい、
簡単なんじゃないだろうか?
優秀な人材がいて、優秀な企業・組織があるワケだから。
米国人自身、
“我が人種が世界で最も優秀だ”と考えてるんじゃないのか?
僕はそう考えてると
決めつけてる(苦笑)。
だから、
一般人への銃所持許可は良くないと思う。
そう考えている米国人も何人かいるらしい。
けど…、
銃を商売にしている人たち、
つまり銃を売る店の人たち(の、一部)は
「一般人への銃所持許可を
無しにしたら俺たちゃメシの食いあげだ」と
言ってるらしい。
僕は
“じゃあアンタらの大事な人が
銃の被害に遭っても
同じことを言えるか?”って
思う。
ことが起きてから騒いでも遅い。
実はソレは、
『飲酒運転』にも言える点がある。
飲酒運転した奴に轢かれて
通行人とかが亡くなってしまう事件は
昔から多発していて、
徐々に(?)厳罰化してるみたいだけど、
僕が思うに飲酒運転は、極端な話
『酒』という物を無くす、
あるいは
『酒』を簡単に入手しにくい状態にしない限りは
無くならないんじゃないかと。
なぜなら、飲酒運転する人はだいたい
「自分は飲酒してても事故は起こさない、大丈夫だ」とか
「ちょっとの距離ならいいだろう」とか
思ってるから。
つまり自信過剰。
だから、昔の某国で言う『禁酒法』みたいに
酒の販売や飲酒すること自体を無くさない限りは
『飲酒運転による事故』は無くならないと思う。
でも、これもまた
酒を商売にしている人たちが
「そんなことされたらメシの食いあげだ」と
言いかねない。
そういうことを言う人には
“じゃあアンタらの大事な人が
飲酒運転した奴によって
命を奪われても
同じこと言えるか?”って
思うワケ。
だから銃にしても酒にしても
扱いかたを間違えば
同じ結果を生んでしまうということ。
極論だってのはわかってる。
でも、そうでもしないと
これからも尊い命が奪われ続けるから…。
日本にとって
銃による殺害は、
今では遠い国の話ではない。
猟銃による意図的な殺害が
起きてしまってる以上は。
だから、
猟銃の所持を許可する検査をより厳しくするか
猟銃の所持を一切無しにしないと
ダメな気がする。
検査…、
つまり『所持を許可しても本当に安全な人物か』…。
例えば“短気ではないか”とか
“家族や近所、職場での
人づきあいは良いか”とか
“過去にイヤな経験(イジメなど)を
してないか”とか
精神科などの通院歴は多分
検査しているだろうけど、
それこそ所持許可を申請している人物そのものを
構成している全てを検査(調査)しなければ
ならないと思う。
『本当にその猟銃を
猟にしか使わないか』なんて、
本人にしかわからないことだし。
というか、一般家庭ならどこにでもある包丁でも
殺害することができるワケだから、
猟銃だとしてもやはり所持許可すべきではないと思う。
猟をしたければ、
できるだけ別の手段でやればいい。
それができないと言うなら
猟をしなければいい。
そう思う。
そもそも猟だって、
人の勝手な都合で動物の命を奪ってるワケだし。
つまりエゴ。
人は自然界の法を犯し続けてるからね。
生きるということは、
大人ということは、
それだけ責任を背負うということ。
さて皆さん、
今年もあとわずかで終わります。
忘年会のシーズンです。
酒の席が増えます。
節度ある飲酒をしましょう。
当たり前ですが、
飲んだら運転してはいけません。
車で来て飲んだのに
運転代行業の料金をケチるなんてことは
やめましょう。
『自分の大事な人を飲酒運転による事故で亡くした場合』を頭に置いて、
飲んだら運転しないでください。
飲酒運転をしてしまえば、
それまでに築き上げた物を全て無くします。
それがわかる人なら簡単に守れるはずです。
常識のある大人・人間なら言われなくとも
わかると思いますが。
…しまった。
僕としたことが真面目な話を
してしまった(笑)。
あ、そうそう。
反論はいりませんから。
僕は自分の考えを述べただけなので。
押しつけではありません。
討論するためにこのブログを
やってるワケではないので。
悪しからず。
この国もとうとう銃で人を殺すような時代に
なってしまったみたいで(悲)。
それも、警察官やヤクザみたいに
銃を持ってるって、誰もが知ってる人じゃなく、
ごく一般の人が。
こんな所まで米国のマネをしなくてもよかろうに…(残念)。
そもそも僕は、
一般人に銃所持を許可してる米国を
どうかと思ってるんだけど。
護身のためなのかもしれないけど、
護身をしたければセキュリティを強化すればいい。
「銃で襲ってくる奴がいるから銃で護るんだ」とか言ってたら
それは本末転倒じゃないだろうか?
一般人にも銃所持を許可してるから
銃で襲ってくる奴がいるワケで。
一般人への銃所持を許可しないで、
ハイテクなセキュリティを開発すれば
銃の被害者はいくらか減るんじゃないだろうか?
米国ならハイテクなセキュリティを開発することくらい、
簡単なんじゃないだろうか?
優秀な人材がいて、優秀な企業・組織があるワケだから。
米国人自身、
“我が人種が世界で最も優秀だ”と考えてるんじゃないのか?
僕はそう考えてると
決めつけてる(苦笑)。
だから、
一般人への銃所持許可は良くないと思う。
そう考えている米国人も何人かいるらしい。
けど…、
銃を商売にしている人たち、
つまり銃を売る店の人たち(の、一部)は
「一般人への銃所持許可を
無しにしたら俺たちゃメシの食いあげだ」と
言ってるらしい。
僕は
“じゃあアンタらの大事な人が
銃の被害に遭っても
同じことを言えるか?”って
思う。
ことが起きてから騒いでも遅い。
実はソレは、
『飲酒運転』にも言える点がある。
飲酒運転した奴に轢かれて
通行人とかが亡くなってしまう事件は
昔から多発していて、
徐々に(?)厳罰化してるみたいだけど、
僕が思うに飲酒運転は、極端な話
『酒』という物を無くす、
あるいは
『酒』を簡単に入手しにくい状態にしない限りは
無くならないんじゃないかと。
なぜなら、飲酒運転する人はだいたい
「自分は飲酒してても事故は起こさない、大丈夫だ」とか
「ちょっとの距離ならいいだろう」とか
思ってるから。
つまり自信過剰。
だから、昔の某国で言う『禁酒法』みたいに
酒の販売や飲酒すること自体を無くさない限りは
『飲酒運転による事故』は無くならないと思う。
でも、これもまた
酒を商売にしている人たちが
「そんなことされたらメシの食いあげだ」と
言いかねない。
そういうことを言う人には
“じゃあアンタらの大事な人が
飲酒運転した奴によって
命を奪われても
同じこと言えるか?”って
思うワケ。
だから銃にしても酒にしても
扱いかたを間違えば
同じ結果を生んでしまうということ。
極論だってのはわかってる。
でも、そうでもしないと
これからも尊い命が奪われ続けるから…。
日本にとって
銃による殺害は、
今では遠い国の話ではない。
猟銃による意図的な殺害が
起きてしまってる以上は。
だから、
猟銃の所持を許可する検査をより厳しくするか
猟銃の所持を一切無しにしないと
ダメな気がする。
検査…、
つまり『所持を許可しても本当に安全な人物か』…。
例えば“短気ではないか”とか
“家族や近所、職場での
人づきあいは良いか”とか
“過去にイヤな経験(イジメなど)を
してないか”とか
精神科などの通院歴は多分
検査しているだろうけど、
それこそ所持許可を申請している人物そのものを
構成している全てを検査(調査)しなければ
ならないと思う。
『本当にその猟銃を
猟にしか使わないか』なんて、
本人にしかわからないことだし。
というか、一般家庭ならどこにでもある包丁でも
殺害することができるワケだから、
猟銃だとしてもやはり所持許可すべきではないと思う。
猟をしたければ、
できるだけ別の手段でやればいい。
それができないと言うなら
猟をしなければいい。
そう思う。
そもそも猟だって、
人の勝手な都合で動物の命を奪ってるワケだし。
つまりエゴ。
人は自然界の法を犯し続けてるからね。
生きるということは、
大人ということは、
それだけ責任を背負うということ。
さて皆さん、
今年もあとわずかで終わります。
忘年会のシーズンです。
酒の席が増えます。
節度ある飲酒をしましょう。
当たり前ですが、
飲んだら運転してはいけません。
車で来て飲んだのに
運転代行業の料金をケチるなんてことは
やめましょう。
『自分の大事な人を飲酒運転による事故で亡くした場合』を頭に置いて、
飲んだら運転しないでください。
飲酒運転をしてしまえば、
それまでに築き上げた物を全て無くします。
それがわかる人なら簡単に守れるはずです。
常識のある大人・人間なら言われなくとも
わかると思いますが。
…しまった。
僕としたことが真面目な話を
してしまった(笑)。
あ、そうそう。
反論はいりませんから。
僕は自分の考えを述べただけなので。
押しつけではありません。
討論するためにこのブログを
やってるワケではないので。
悪しからず。