奈良県吉野郡上北山村・川上村と、三重県多気郡大台町旧宮川村にまたがる「大台ケ原」は頂上が平坦な台地状の山々から構成されています。
有数な多雨地帯でトウヒ、ブナの原生林の残る貴重な森。
そして冬は閉ざされるこの森の中に佇むのが大台教会です。
1999年撮影
こちらは創建建物。
社殿というより寺院に近い印象の建物です。
現存の建物は再建築を経ており、屋根の形状が異なります。
1918-1933年
1933年以降
「教会」という言葉はキリスト教に限らず、神道や仏教などの伝統宗教や新宗教にも広く使われています。
「大台教会山の家」「福寿大台ケ原教会」とも呼ばれ、御神体を持たず自然賛美を教義とします。
1891年(明治24年)古川嵩が入山し修業を行う
1899年(明治32年)福寿大台教会開設
教会本殿、附属建物完成
総工費58,000円は浄財による
神道十三派の一派である神習教分教会となる
1917-1922年㈱四日市製紙により東大台200ha皆伐
1928年牛石ヶ原に神武天皇像建立
1944年教会に陸軍分遣隊駐屯
1961年大台ケ原ドライブウェイ開通
2007年西大台利用調整地区につき入山規制
ここから大台ケ原を少しご案内します。
登山コースとして、ほんの15分の苔探勝路、約4時間の東大台、同じく約4時間の西大台があります。
開山期間は4~11月。
西大台は入山が禁止されており、事前の申請手続が必要となっています。
【東大台】
シオカラ谷前後の坂道は登り下りともきついものがありますが、全般的に歩きやすいコースになっています。中間の尾鷲辻からショートカットできる中道もあるため、自信のない方でも安心感があります。軽装であっても、雨への備えくらいは注意を払う必要があります。
■日出ヶ岳
大峰連山、尾鷲のリアス式海岸から熊野灘、富士山も望めます。
1895年一等三角点設置。
■展望デッキ
日出ヶ岳と正木峠の分岐点にあたります。
■正木峠
ここを歩き自然について考えさせてくれるだけで意味があることです。
昔は深い森であったこの地の木々が失われていくことについて問題視できることが大切な感覚です。
そして何が自然の営みで、何が人為的なのか。
人は人中心に物事を考えるものです。
愛玩動物には配慮しても、それ以外の生物や、特に有害な生物に対しては容赦しないのが現実です。
そういう意味では、自然を保護すると言いながら、やはりどんな発想でも人優先と言わざるを得ません。
ブナ。
大台ケ原を象徴する独特の風景です。
白骨のようなトウヒの立ち枯れと一面を覆う笹原。
台風が発端であることから、この景色を造り出したのも自然現象です。
1959年伊勢湾台風による森林破壊、木々流出によりコケ類衰退、ササ類繁茂。
笹を主食とするニホンジカが増え、ついには針葉樹の実生や樹皮までも採食し始めました。深刻な立ち枯れが加速したため、現在は鹿の個体数調整を実施しています。
整備された階段。
■正木ヶ原
カエデ。
トウヒ。
トリカブト。毒性の強いことで有名です。
■牛石ヶ原
あたかも笹の絨毯を敷き詰めたような平坦な草原。
■牛石
実利行者が牛鬼を閉じ込めたとされます。
■孔雀明王碑
実利行者が建てた碑で、牛石(写真左手)に並んでいます。
■神武天皇像
大台教会により建立。
初代天皇。現在では神話の人物とされています。
■御手洗池
■八大竜王碑
■実利行者碑
1874年実利は牛石ヶ原の庵にて修業していました。
■大蛇嵓 だいじゃぐら
大台ケ原一番の名勝で、3つの大滝や、山上ヶ岳、弥山、釈迦ヶ岳など大峰山山系が一望できます。由来は前方の不動返し岩を蛇の頭、手前の馬の背を胴体に見立てたとされます。
不動返し岩。
■シオカラ谷吊橋
■シオカラ谷
【西大台】 1999年撮影
東大台との大きな違いは、登山道の整備がされていない点です。
原生林の中を歩いていると、一体どこが道なのか、わかりづらい箇所も幾つかあります。行き交う人も少ないので、道案内を見失えば簡単に遭難できます。特に霧や雨天には要注意。橋のない川での沢渡りもあるため、万が一増水すればアウト。
しかしそんなリスクを超える独特の景色と、楽しい登山を体験できることは間違いありません。
とんでもないモスフォレストです。
東大台よりさらに鬱蒼とした森の奥へ分け入った雰囲気。
■松浦武四郎分骨追悼碑
「北海道」の命名者。蝦夷・樺太・千島探検で有名です。
開拓目的の調査登山で大台ケ原に入山。
1885年(明治18年)自費にて登山道整備、小屋建設を行いました。
バイケイソウ。
アルカロイドを含み血圧低下を引き起こす有毒植物。
ブナ。
ミズナラ。
【苔探勝路】 1995年撮影
始めての入山。まさか毎年訪れることになるとは思ってもいませんでした。
しかし当時の写真が魅力の一端を如実に物語っているのは間違いありません。
有数な多雨地帯でトウヒ、ブナの原生林の残る貴重な森。
そして冬は閉ざされるこの森の中に佇むのが大台教会です。
1999年撮影
こちらは創建建物。
社殿というより寺院に近い印象の建物です。
現存の建物は再建築を経ており、屋根の形状が異なります。
1918-1933年
1933年以降
「教会」という言葉はキリスト教に限らず、神道や仏教などの伝統宗教や新宗教にも広く使われています。
「大台教会山の家」「福寿大台ケ原教会」とも呼ばれ、御神体を持たず自然賛美を教義とします。
1891年(明治24年)古川嵩が入山し修業を行う
1899年(明治32年)福寿大台教会開設
教会本殿、附属建物完成
総工費58,000円は浄財による
神道十三派の一派である神習教分教会となる
1917-1922年㈱四日市製紙により東大台200ha皆伐
1928年牛石ヶ原に神武天皇像建立
1944年教会に陸軍分遣隊駐屯
1961年大台ケ原ドライブウェイ開通
2007年西大台利用調整地区につき入山規制
ここから大台ケ原を少しご案内します。
登山コースとして、ほんの15分の苔探勝路、約4時間の東大台、同じく約4時間の西大台があります。
開山期間は4~11月。
西大台は入山が禁止されており、事前の申請手続が必要となっています。
【東大台】
シオカラ谷前後の坂道は登り下りともきついものがありますが、全般的に歩きやすいコースになっています。中間の尾鷲辻からショートカットできる中道もあるため、自信のない方でも安心感があります。軽装であっても、雨への備えくらいは注意を払う必要があります。
■日出ヶ岳
大峰連山、尾鷲のリアス式海岸から熊野灘、富士山も望めます。
1895年一等三角点設置。
■展望デッキ
日出ヶ岳と正木峠の分岐点にあたります。
■正木峠
ここを歩き自然について考えさせてくれるだけで意味があることです。
昔は深い森であったこの地の木々が失われていくことについて問題視できることが大切な感覚です。
そして何が自然の営みで、何が人為的なのか。
人は人中心に物事を考えるものです。
愛玩動物には配慮しても、それ以外の生物や、特に有害な生物に対しては容赦しないのが現実です。
そういう意味では、自然を保護すると言いながら、やはりどんな発想でも人優先と言わざるを得ません。
ブナ。
大台ケ原を象徴する独特の風景です。
白骨のようなトウヒの立ち枯れと一面を覆う笹原。
台風が発端であることから、この景色を造り出したのも自然現象です。
1959年伊勢湾台風による森林破壊、木々流出によりコケ類衰退、ササ類繁茂。
笹を主食とするニホンジカが増え、ついには針葉樹の実生や樹皮までも採食し始めました。深刻な立ち枯れが加速したため、現在は鹿の個体数調整を実施しています。
整備された階段。
■正木ヶ原
カエデ。
トウヒ。
トリカブト。毒性の強いことで有名です。
■牛石ヶ原
あたかも笹の絨毯を敷き詰めたような平坦な草原。
■牛石
実利行者が牛鬼を閉じ込めたとされます。
■孔雀明王碑
実利行者が建てた碑で、牛石(写真左手)に並んでいます。
■神武天皇像
大台教会により建立。
初代天皇。現在では神話の人物とされています。
■御手洗池
■八大竜王碑
■実利行者碑
1874年実利は牛石ヶ原の庵にて修業していました。
■大蛇嵓 だいじゃぐら
大台ケ原一番の名勝で、3つの大滝や、山上ヶ岳、弥山、釈迦ヶ岳など大峰山山系が一望できます。由来は前方の不動返し岩を蛇の頭、手前の馬の背を胴体に見立てたとされます。
不動返し岩。
■シオカラ谷吊橋
■シオカラ谷
【西大台】 1999年撮影
東大台との大きな違いは、登山道の整備がされていない点です。
原生林の中を歩いていると、一体どこが道なのか、わかりづらい箇所も幾つかあります。行き交う人も少ないので、道案内を見失えば簡単に遭難できます。特に霧や雨天には要注意。橋のない川での沢渡りもあるため、万が一増水すればアウト。
しかしそんなリスクを超える独特の景色と、楽しい登山を体験できることは間違いありません。
とんでもないモスフォレストです。
東大台よりさらに鬱蒼とした森の奥へ分け入った雰囲気。
■松浦武四郎分骨追悼碑
「北海道」の命名者。蝦夷・樺太・千島探検で有名です。
開拓目的の調査登山で大台ケ原に入山。
1885年(明治18年)自費にて登山道整備、小屋建設を行いました。
バイケイソウ。
アルカロイドを含み血圧低下を引き起こす有毒植物。
ブナ。
【苔探勝路】 1995年撮影
始めての入山。まさか毎年訪れることになるとは思ってもいませんでした。
しかし当時の写真が魅力の一端を如実に物語っているのは間違いありません。