風情のある落ち着いた街並みや風景が残っています。
歩いていると、古の山岳寺院を感じられるような空気が漂っています。

とても静かで美しい自然に囲まれた寺院です。

酒の一滴は大河の一滴

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■首堂(こうべどう)
1184年源義経が一ノ谷合戦お戦死者の首級をこの地に葬り菩提を弔ったと伝わります。首舟3艘のうち1艘を松尾寺、1艘を堺の港寺、1艘を大坂の四天王寺 に納めました。
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■山門
1705年建立。総楠造。
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楼上に文殊菩薩像を安置。
金属製の階段が設置してあり上ることが可能です。
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■持国天
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■増長天
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■念仏堂
1705年建立。
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■寿老神堂 寿老堂
七福神めぐりのひとつです。
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■宝物殿
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■手水舎
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■長瑜(ちょうゆ)和尚顕彰碑 
1914年建立。
信長による焼き討ちの際、本尊はじめ百数十点の寺宝を守りました。
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■鐘堂 鐘楼 1687年鋳造。
■伝教大師幼形像
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■三天堂
大日如来、阿弥陀如来、松尾明神、穀聚三天尊、三所権現を安置。
酒、醤油、農作物など、つくりものの神です。
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■金堂 府指定文化財
豊臣秀頼の寄進により片桐且元を普請奉行として四天王寺 の阿弥陀堂(鎌倉期建立)を1602年移築。
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桁行五間、梁間四間、入母屋造本瓦葺。
内部は礼堂と内陣に分かれ内陣周りは極彩色が施されています。
桃山末期~江戸初期の特色がみられる由緒ある金堂遺構として貴重。
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本尊は如意輪観音。
阿弥陀如来、聖徳太子、役行者、伝教大師、泰澄大師を安置。
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■賓頭廬(びんずる)尊者像
外廊の曲ろくに坐しています。
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■絵馬
雪の中で戦う武者絵。
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見えない側とはいえ、この妻はどうしたんでしょうか。
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立派な金堂ですが、色調が不自然な気がしました。

自然に塗料がはがれた部分には、本来の丹の色が木材下地には残っています。おそらく前回の修復時、洋式塗料を重ねたのではないでしょうか。

その経年劣化で丹の変色とはちょっと異なる白っぽい色褪せや、塗料のひび・はがれが起こっているのでは。お寺の方にとっても予想外の状態なのかも知れません。

緑、黄、白の配色もちょっと残念な感じです。
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■不動尊堂
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■本坊 庫裡 納経所
1976年改築。
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■水子地蔵回向堂
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この水子地蔵の赤ちゃんめちゃめちゃかわいいです。
あまりに愛らしすぎて逆に強烈に込み上げてくるものがあります。
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■五重石塔
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■蓮池
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ありがたや まことの弥陀の国ならん
  
           風も涼しき松の尾の寺



【阿弥陀山松尾寺】 Matsuo-dera Temple
あみださん まつおでら・まつおじ
大阪府和泉市松尾寺町2168

□宗派:天台宗 比叡山延暦寺末寺 (中世には天台・真言宗)
□本尊:如意輪観世音菩薩
□創建:672年役行者により開基
□和泉松尾寺城址
□重文:絹本著色孔雀経曼荼羅図、宝篋印陀羅尼経、如意輪陀羅尼経
□境内:府史跡「松尾寺境内」
□別称:泉州松尾寺、松尾の山寺、松尾観音

□行事:御影供4月、松尾明神供11月

□山内寺社:春日神社、宝瓶院、明王院、西国三十三ヶ寺巡り

□境内の公園、松尾寺公園
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672年役行者(役小角・神変大菩薩)が7日間修業。
     楠の霊木より如意輪観音を刻み安置したのが起源。

越前の泰澄大師(682-767)が入山し諸堂建立。

10世紀末「松尾の山寺」の記載。
平安期仁明天皇により定額寺となる。
     天台の高僧慈覚大師が薬師如来像を安置(現存せず)。
     弘法大師が如意輪陀羅尼経と不動明王を納める。

1184年源義経が一ノ谷合戦の戦死者の首級を葬る。

南北朝・室町期に最盛期。
     寺領7,000石、寺坊308、僧兵数千人、城郭寺院を形成。
1336年後醍醐天皇綸旨により祈祷所となる。
1396年後亀山天皇が宝篋印陀羅尼経を納める。
     足利家祈祷所となる。

1577年織田信長より禁制を下し保護。当時の寺坊30余寺。
1581年織田信長による高野山攻めの際全山焼き払われ壊滅。
     寺宝・古文書は塔頭日輪院の老僧長瑜により堺に待避。
     
1602年豊臣秀頼の寄進により再建。

江戸期徳川家よりご朱印を下し保護。

現在は宝瓶院、明王院の寺坊2ヶ寺が存続。


→松尾寺(和泉市)その2