最近大修理されたようでとても清潔感ある佇まいです。

ここは河内国(後の和泉国)大鳥郡蜂田首の行基の母・蜂田古爾比売(はちだのこにひめ)の生家でした。

酒の一滴は大河の一滴

■本堂
17世紀中期頃建立。
桁行五間 入母屋造 向拝一間 本瓦葺 裳階付

方三間の内陣の周囲に一間の庇を廻らした形態。
前面一間を外陣、両側面一間を脇陣、背面一間を後陣としています。
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禅宗様の手法を色濃く採用した近世仏堂。
規模に比して建ちが高く、上層屋根には大きな軒反り。

裳階付本堂としては異色の立面で、下層に比べて上層が極端に小さく裳階屋根との間隔も狭くなっています。
美しいバランスではなくとも、見れば見るほど味わい深くもあります。

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正面中央間に桟唐戸をたて、両脇間には花頭窓。

向拝部分の柱、虹梁、連三斗、中備蟇股、手挾は17世紀中期の様式をよく伝えています。

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一見新築同様に見事に修理されていますが、細部を見れば古材を大切に残していることがよくわかります。

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内陣は後方に寄せ格狭間須弥壇上に大きな厨子を安置。
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                                      本堂平面図

厨子のために内陣天井が高くなり、それ故裳階付本堂としたことが考えられます。

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一軒扇垂木を用い、裳階の組み物は舟肘木、入側柱上には大斗花肘木。
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■宮殿形厨子
本尊を納める宮殿形厨子は17世紀中期頃建立。
桁行一間 梁行一間 入母屋造 檜皮葺 軒瓦破風付
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円柱間に木鼻付の頭貫を通し、柱上に台輪をのせ尾垂木支輪付二手先、正面は詰組。
組物は和様ですが、禅宗様の技法が多用されています。

柱上部や軒回りには当初の彩色がよく残され、黒漆地に金箔・極彩色が施されています。
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本尊は行基作と伝わる薬師如来坐像。
前立に薬師三尊像を祀ります。

また阿弥陀如来像、大日如来像、不動明王像、行基菩薩像、弘法大師像を安置。

行基13歳の有髪絵画(鎌倉時代作)所蔵。
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側面・背面は正面の印象とは異なり民家のような趣き。
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江戸後期以降の後補で後世の修理として、上層には台輪上に大斗絵様肘木、中備蓑束が見られます。
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■地蔵堂
地蔵菩薩立像を安置。
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■鐘楼
18世紀初期頃の建立と推定。
桁行一間 梁間一間 切妻造 本瓦葺
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面取角柱を内転びに立て、柱間に腰貫・飛貫を回し舟肘木をのせる江戸期の型通りの鐘楼。
各面の飛貫上には蓑束を入れ、妻飾は虹梁上に束を立て、梅鉢懸魚を破風の拝み・降りに吊るしています。

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木目調の鋼板張り部分の覆いは風雨除けでしょうか。
以前は板張りだったようです。
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■行基塾
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■山門
建築様式から江戸末期建立と推定。
一間一戸薬医門 切妻造 本瓦葺
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装飾性のない簡素な門。
葺き替えられた真新しい瓦がまぶしいです。
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■金親稲荷社
華林寺の北に鎮座しています。
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こちらも修理されていますね。
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                                  2013.6.22追記

【華林寺(けいりんじ)】 Keirin-ji Temple
大阪府堺市中区八田寺町59

□別称:八田寺、花林寺、蜂田寺
□山号:清光山
□宗派:高野山真言宗
□本尊:薬師如来坐像
□創建:680年檀越:蜂田薬師麻呂の氏寺として建立

680年蜂田連氏寺として建立
    行基13歳の時母方の蜂田連が氏寺として「花林寺(蜂田寺)」創建
706年母親供養のため華林寺を再興

華林寺境内より白鳳期の瓦、丹比廃寺式の重弁蓮華文軒丸瓦が出土
北方にある「仏光寺」から平安期の基壇建物、白鳳期の素弁八弁蓮華文軒瓦、平安後期の瓦を出土
                                       
南北朝の乱、戦国の兵火により衰退
1445年八田寺と記載「和泉国寺社東寺修理奉加人交名」

1614年大坂冬の陣の戦火により焼失
1679年僧広恵により中興
1688年家原寺末寺の記録(和泉国大鳥郡今井七郎兵衛様代官所寺社帳
     八田之庄八ヶ村寺社帳写)