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やむを得ないその事情とは・・・

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1999年1月に訪れた時の痛ましい五重塔の姿です。




1998年9月22日台風7号の強風で高さ50mの杉が倒れたことにより、塔の各層屋根を直撃しました。各地で度々記録に残る歴史上の自然災害による塔損傷というものを、まさに目の当たりした瞬間でした。



自然は容赦ないものです。

相輪先端も真横に折れてしまっています。


台風はしばしば巨木を薙ぎ倒すほどの強風をともなうことがあるものです。






1999年(平成11年)頃の平等院鳳凰堂。

現在見られるような華やかさには欠けるものの、趣きのある枯れた風情。
古に思いを馳せるに、これ以上ない雰囲気が漂います。




棟飾の青く錆びた鳳凰は平安時代からそのままの姿です。





木部には1950-1957年(昭和25-32年)鳳凰堂解体修理時の赤い着色がいくらか残っています。白漆喰はくすみ、屋根瓦は劣化しているのが見て取れます。



■拝観券
当時の拝観券の写真。
鳳凰堂前庭は洲浜ではないのがわかります。


この当時の鳳凰堂は、正面が東向きであることと、木部の黒さが見事に災いして、色鮮やかな撮影には誰しも苦心したのではないでしょうか。

わたし自身、当時の撮影技術の未熟さに、今なお苦い思いを忘れられません(^_^;)
屋根以外真っ黒・・・・・・

ここまで真っ黒につぶれると、さすがにね。



鳳凰堂復元前の中島はひとまわり広く、芝生や植木の緑が周囲をぐるりと囲んでいました。(拝観券の写真参照)

1902年の改修の際、護岸が大幅に改変され、1957年には護岸に木杭を入れられていました。


1990-2003年の発掘調査にて平安創建時の築造部分を検出。

1999年当時には洲浜の発掘調査が幾らか終了し、基壇復元などが行われていた様子がうかがえます。





鳳凰堂北面、北側翼廊。

2000年(平成12年)庭園整備事業により平橋・反橋が架橋されましたが、それ以前の中州に橋はなく、東側の直線通用路が使用されていました。


中堂西面と尾廊北面。


南側翼廊。


南側の平橋付近も工事中。



■還来迎図
国宝。扉絵。



■観音堂

「すべてが控えめで日本的な親しみを持っている。
       やはり京都だ。東京にはこのようなものはひとつもない。」

         ブルーノ・タウト 1933年(昭和8年)宇治平等院にて 日本雑記


■観音堂
重要文化財。鎌倉前期建立。

一重寄棟造、本瓦葺、正面桁行七間、梁間四間。
中央三間蔀戸、両脇二間腰長押・連子窓。

南東側。

組物は大斗肘木、中備は間斗束。
地垂木は楕円、飛檐垂木は四角の地円飛角。

考えてみれば古代より正円、六角などに製材されてきた地垂木ですが、楕円もあるんですね。

東面を北より見たところ。


もともと陽成院の建てた離宮・宇治院の釣台があった位置と伝わります。

1052年(永承7年)平等院創建時、当地に本堂(本尊:大日如来)新造。
    あるいは寝殿である宇治殿を本堂に改造。

1180年治承の乱あるいはその後に、本堂焼失。

鎌倉初期本堂跡地に観音堂を建立。
    釣殿観音堂、釣殿観音、釣殿などと呼ばれていました。

その後の2度の大火をまぬがれ奇跡的に現存する貴重な建築物です。

北面。


本尊に十一面観音立像(重文、平安後期)、脇侍には地蔵菩薩立像、不動明王像を安置していました。現在本尊は鳳翔館にて保存展示。

現在は蓮華手観音菩薩像、法橋徳応の二天像、不動明王像を安置。

1950年(昭和25年)大修理の際製作された鳳凰堂1/10模型、鳳凰像初代レプリカを収蔵。

西面。


南西側。



■扇の芝
1180年源頼政は高倉宮以仁王を奉じて平家打倒に立ち上がり、平の知盛の大軍を宇治川に迎え討ちました。
しかし戦利なく流れ矢に傷ついた頼政は軍扇を開き、この地で自刃したと伝えられています。


■藤棚
観音堂脇の藤棚。

宇治名木百選。まめ科。高さ3m、幹周24m、推定樹齢200年。
下がり藤を家紋とする藤原家の象徴。



■鐘楼
鎌倉初期-室町期建立。高さ6m。

2006年修理。木部補修、瓦葺替、金具交換、塗装。

鳳凰堂塗装に先立つ調査結果をもとにし、古代色復元のため、創建時塗装材料と考えられる以前より黒みがかったベンガラにて鐘楼を塗装。

境内南側の小高い丘に建ちます。

かつては鳳凰堂南側の園池のほとりに鐘楼がありました。



梵鐘は銅製鋳造、12世紀(製作年の銘は無し)、総高199cm、口径123cm、重量2t。

オリジナルの梵鐘(国宝)は保存上の観点から1965年(昭和40年)より保管、現在は鳳翔館に収蔵されています。古くから「天下の三名鐘」と呼ばれた有数の姿です。



鐘楼には1972年(昭和47年)より2代目となる復元模造が懸けられています。



最上部には鬣を逆立てた龍頭の装飾、宝相華唐草の地文の上には鳳凰、踊る飛天、獅子、唐草などが表現されています。

鐘身全体に華やかな紋様を施す朝鮮鐘の影響を受けています。



1980年(昭和55年)には60円普通切手のデザインにも採用。
白地のバックに緑色の釣鐘の切手が印象に残る方も多いのではないでしょうか。





「宇治七名水」で平等院境内にあったとされる「法華水」「阿弥陀水」は明治初期に失われてしまいました。

また鳳凰堂南崖にあったとされる「阿弥陀水」は鳳凰堂の南側平橋南袂の西すぐに井戸と石碑が存在しています。




■WC
鐘楼のある丘の階段下。



■六角堂
東屋。休憩所。六角宝形造。



1950-1957年(昭和25-32年)年鳳凰堂解体大修理の際傷んだ古部材を交換。廃材再利用にて六角堂を建築。



こういうのいいですよね。

日本人好みな「勿体ない」「リサイクル」の精神はもちろんですが、この空間がさりげなく悠久の歴史を伝えているという点が洒落ています。



柱の臍を見れば古部材であることは一目瞭然。
屋根上の宝珠は鳳凰堂翼廊のものなんでしょうね。




境内南東側の平屋建物。




その背後の2階建建物。



■平等院ミュージアム鳳翔館
1965年(昭和40年)建築の初代宝物館に代わり2001年(平成13年)オープン。

地上部鉄骨鉄筋コンクリート造、地下部鉄筋コンクリート造、地上部築造面積816㎡、延床面積2,249㎡、大林組施工。




国宝級の美術品を収蔵展示。



梵鐘1口、木造雲中供養菩薩像26躯、鳳凰一対、鳳凰堂中堂壁画8幅



観音菩薩立像他、仏像、書状、古図、発掘出土品

復元映像




■旧南門
伏見城遺構と伝わる薬医門。主要部材は希少な赤樫製。
豊臣秀吉により建築され現存する最古の遺構。

2010年(平成22年)塗装修理。
鳳凰堂塗装に先立つ調査結果をもとにし、創建時塗装材料と考えられる茶色がかった丹土ベンガラ系にて塗装。

南側。


北側。



■寺務所
表門を入りすぐ右手の平屋建物。



■表門 
正門、北門、北大門。江戸初期建立。ケヤキ材。
浄土院門として伏見城より移築。1957年(昭和32年)現在地に移築。

近年塗装修理。鳳凰堂塗装に先立つ調査結果をもとにし、創建時塗装材料と考えられる茶色がかった丹土ベンガラ系にて表門を塗装。


表門北側。


表門南側。





■藤棚
表門前の藤棚。





■標石



■参道


■地蔵尊



平等院は一般の古寺院と異なり遺構に近いものがあります。

なぜなら、多くの堂塔はついに再建されることなく、中世には住職も途絶えてしまったからです。

やがて境内には別宗派が乱立し、互いに対立するようになりました。

その後は幕府の裁定により、浄土宗と天台宗の2宗派が管理するという独特なシステムを維持しています。

幕末までは10近くあった塔頭もほとんど廃寺となり、現在2寺を残すのみです。


■浄土院 ***************************************************************

明応年間(1492-1501年)浄土院(浄土宗)創始。
榮久上人が平等院修復のために開創。
幕末までには浄土院を中心に8子院が形成されていました。

本尊:阿弥陀如来

木造阿弥陀如来立像(檜材 寄木造 鎌倉後期-南北期 像高89cm)
木造帝釈天立像(宇治市指定文化財 平安後期 像高147cm 鳳翔館展示)
帝釈天像(宇治市指定文化財 11世紀 像高147cm 鳳翔館展示)
藤原頼通坐像(江戸期 像高35cm)

養林庵書院障壁画を管理。


■本堂
本尊:大日如来立像





■救世船乗観音
本尊手前右の金色厨子がひときわ目立つ観音様。
かつて境内南西角付近に位置していた浄土院子院の観音堂本尊。
第二次大戦後本堂に移され安置。

ところが戦後間もなく盗難にあい像を失います。
厨子、台座、守護札のみが残りました。

平等院開創950年記念事業の一環として仏師村上清により2003年復元。

航海の安全、旅の安全、成人式、生涯など人生儀礼の祈願。


「宇治七名水」で平等院境内にあったとされる「法華水」「阿弥陀水」は明治初期に失われてしまいました。

「法華水」は絵図をもとに2011年鳳凰堂西側推定地である浄土院北側に縦横85cm、高さ50cm、深さ1mの井戸を掘り再興されています。


■石造層塔
鎌倉期建立。総高378.5cm、基壇80cm、角厚22.2cm、花崗岩。





■宇治茶祖 竹庵の碑誌
1699年(元禄12年)建碑。



■壱岐守細野藤敦石碑



■大書院
平等院山内で最も古い書院。

蘭香斎玉賓の獅子図四面や、後醍醐天皇が三種の神器を納め平等院に滞在したといわれる御座所が残ります。

本堂南側。



大書院の西側後方より渡り廊下を経て、南側の養林庵へと繋がっています。



■養林庵書院
重要文化財。 桃山期。門左手の檜皮葺屋根の建物。
「養林庵」は塔頭のひとつでしたが現在は浄土院に統合されています。

1601年(慶長6年)清誉加伝により「養林庵」開創
宝暦-天保年間(1751-1843年)一時無住となる
1905年(明治38年)廃絶
    その後改築により浄土院本堂と連結

単層正面入母屋造、背面切妻造、側面庇付、檜皮葺。桁行9.1m、梁間9.9m。
1601年(慶長6年)加傳和尚により伏見城から移築。



内部は桃山様式の見られる書院、仏間、茶室があります。

広縁中央には、松花堂昭乗による「養林庵」の扁額が架かります。

狩野山雪による障壁画「籬と梅図」(一の間・二の間)、山楽による床壁絵「雪景楼閣山水図」、2012年奉納の山口晃による襖絵があります。

■籬(まがき)と梅図 
宇治市指定文化財。江戸期。狩野派(狩野山雪など)筆。
竹垣の上に見える松。






一の間・二の間の外には広縁、その外に庭園があります。




■養林庵庭園
京都府指定名勝。
細川三斉(忠興・熊本藩主)作と言われる平庭枯山水。
十字架型の織部燈籠があります。





■羅漢堂
宇治市指定文化財。十六羅漢像を安置。



1640年(寛永17年)宇治茶師・星野淨安道斎により建立。禅宗様。

鏡天井には黄土色の龍。








■最勝院 ***************************************************************

1654年(承応3年)最勝院(天台宗)創始。澄栄師開山。
京都東洞院六角勝仙院(住心院)の僧・澄栄師が平等院に移り、当地の住庵を最勝院と号したことが由来。

本尊:不動明王
天台修験宗の聖護院末寺であり役小角像を安置。


■門
北側の門。


■本堂
北側の門正面。
本尊:不動明王立像(像高145cm 鎌倉期)
客殿に安置されていた女神坐像(像高46cm 平安期)は現在鳳翔館にて展示。

玄関には桃山様式の唐破風。

玄関上部にある藤の花の透板彫が施された欄間は、伏見城から移されたもの。




■春日型石灯籠
鎌倉初期。欠失なく全て当初材のまま現存。



■不動堂
南側の門より入り左手前。
本尊:不動明王
災難除不動尊。



■池殿地蔵堂
不動堂の奥、左隣。
本尊:池殿地蔵菩薩坐像(南北期)
平等院浴室の守護仏、池殿地蔵を祀ります。





■源頼政墓
源三位頼政の墓。
宝篋印塔。総高2m。江戸期造立。

1180年(治承4年)平清盛の横暴を憤り、ついに高倉宮以仁王の令旨を奉じ、平家打倒の義兵を挙げ、宇治決戦に及びますが衆寡敵せず大敗を喫します。

境内扇の芝に於いて自刃。


辞世

「埋もれ木の 花さくことも なかりしに
   みのなるはてぞ 悲しかりける」
10円硬貨表面の鳳凰堂、1万円紙幣裏面の鳳凰像でお馴染み。


平等とは仏の救済を意味し、視覚的には光で表現します。
まさに現世において光のごとく現されたのが平等院鳳凰堂です。




1053年(天喜元年)阿弥陀堂(御堂・大堂)建立
1060年頃阿弥陀堂完成

1101年(康和3年)木瓦葺から粘土瓦葺に改修

南北朝争乱期に堂塔をほぼ焼失(本堂、小御所、法華堂、多宝塔、五大堂、不動堂、経蔵)し、阿弥陀堂のみ残存

1680年(延宝8年)須弥壇金銅板刻銘に「鳳凰堂」の呼称初出
1711年(正徳元年)地誌「山州名跡志」に「鳳凰堂」の記述

1902-1907年(明治35-40年)半解体修理
1950-1957年(昭和25-32年)解体修理

2012-2014年(平成24-26年)屋根葺替、柱塗直し修理



柱・梁・扉・軒部分などには丹土が塗装されています。

近ごろ、鳳凰堂を修理すれば赤すぎるとか、姫路城を修理すれば白すぎるとか、世間やメディアは好き勝手言いますが、創建時と変わらぬ姿を見られる、本当に貴重な幸運を無にするような表現が残念でなりません。



色褪せて古色にまい戻るのは、あっという間です。人の寿命よりもずっと長い建築物の、改修前後の瞬間を目にできるのは、短い一生の中で貴重な体験のはず。



国家情勢が不安定な時期には、貴重な建築物であってもなかなか修理もままなりません。戦国時代が明けて、安定期へと向かう江戸前期を彷彿とさせるような復興・修理ラッシュが、まさに平成と重なると言えなくもありません。



鳳凰堂は高さ13.5m、南北幅47m、東西奥行35m。

中堂、北翼廊、南翼廊、尾廊の4棟からなる建造物。




■中堂
一重裳階付、身舎は入母屋造、本瓦葺、檜材。
身舎桁行三間、梁間二間。

周囲に庇を設けず一間の裳階のみを巡らします。

屋根の出の大きさが絶妙で、美的に素晴らしいバランスとなっています。


創建当初は木瓦葺、1101年粘土瓦に総葺替。
総枚数は52,049枚、平安期の瓦は近年の改修まで1,560枚残存していました。

今回葺き替えられた均一で真新しいマットな瓦屋根はもちろん美しいです。

そして今回の修理では中堂南面屋根に古瓦を再利用しています。
誇るべき伝統的な耐久性を、未来に向けてまだ検証していきたいものです。


組物は三手先、中備、間斗束、軒は二軒繁垂木、地円飛角。
軒に支輪を設け、宝相華文が描かれます。
軒上に一対の銅製鳳凰。

裳階の屋根は本瓦葺、二軒繁垂木、組物は平三斗、中備は間斗束。
地垂木・飛檐垂木とも面取角垂木。



裳階柱と身舎との間には繋虹梁を渡します。
裳階柱は大面取りの角柱。これらを頭貫と、後世補強された飛貫で繋ぎます。



裳階の東正面中央間は屋根を一段高く切り上げて、外観に変化をもたせるとともに、池の対岸から本尊阿弥陀如来像の面相を拝するよう軍配形の窓を設けています。





裳階屋根上には実用ではなく装飾用高欄を設置。
中堂は身舎と裳階のみで身舎の四周に庇のない特徴的な構造。



中堂基壇は壇上積基壇と称し、地覆石、羽目石、束石、葛石からなる格式の高いもの。


■翼廊
正面右にある北側翼廊。


桁行各所曲り延長八間、梁間一間、隅楼二重三階、宝形造、廊一重二階、切妻造、本瓦葺

2000年(平成12年)庭園整備事業により平橋・反橋を架橋。



左右楼閣の上には露盤宝珠。
古墳時代より採用されている消鍍金を用いています。








■尾廊
桁行七間、梁間一間、一重、切妻造、本瓦葺。

中堂西側背後の建物。現在修復工事中。
素屋根は一部ガラス張りとなっており真近から見学可能。

まだ瓦の葺かれていない屋根ですが、波打った軒の形状が作業の繊細さを伝えているようです。








■鳳凰像
中堂大屋根上両端の棟飾。
現在屋根にあるのは1968年の2代目。青銅製。
2014年金箔を施し創建時の金色に復元。
像高約1m、重量約70㎏。


1053年定朝が木形の原型を製作。
鳳は雄、凰が雌という一説もあるものの、鳳凰堂の像の場合は雌雄の別はないとされています。

創建当初からの鳳凰像は国宝。平等院ミュージアム鳳翔館に展示保管。
銅鋳、鍛製鍍金。

かつては金色でしたが現在は青銅色。



■鳳凰模造
20cmの銅線を芯にして青・黄・赤・白・黒、五色の毛を飾り立てた平安創建時の鳳凰模造として2014年復元。

鳳凰像には頭に植毛跡とみられる32ヶ所の穴があり、中国の古文書の記述「五色の毛」を参考に再現。


中堂南西面。


中堂、南側翼廊。



拳大の石を敷き詰めた洲浜は海岸線を現します。

1990-2003年の発掘調査にて平安創建時の築造部分を検出。
創建当初の姿を復元しています。

復元前の中島は少し広く、芝生や植木の緑が周囲を囲んでいました。
1902年の改修の際、護岸が大幅に改変され、1957年には護岸に木杭を入れていました。



南側は素木の平橋。


中堂正面には石燈籠。



■六角石燈籠
平等院型石燈籠。高さ2m、硬砂岩製。
平安時代の基礎・台石、鎌倉後期の竿・笠、安土桃山時代の火袋。







■阿字池
「観無量寿経」の極楽浄土「宝池」を現しています。

池の西側、尾廊付近の湧水「浄土水」が浅瀬を経て池に注いでいます。


鳳凰堂の正面、阿字池を挟んだ東岸には小御所(東御所)が対峙していました。
1074年(あるいは1087年)に建立され1336年兵火により焼失。



宇治上神社拝殿に似た建物で、小御所内より対岸の堂内の本尊を拝することができました。
こちらがその宇治上神社拝殿。

 




【平等院】
読:びょうどういん
英:Byodo-in Temple
京都府宇治市宇治蓮華116

□山号:朝日山

□宗派:単立
□本尊:阿弥陀如来

□創建:1052年(永承7年)
□開基:藤原頼道
□開山:明尊

□国宝:鳳凰堂、木造阿弥陀如来坐像、木造雲中供養菩薩像52躯、
     鳳凰中堂壁画14面、木造天蓋、鳳凰、梵鐘
  重文:観音堂、木造十一面観音立像、養林庵書院

□境内:2万232.3㎡

□国指定史跡:平等院庭園
□国指定名勝:平等院庭園
□世界文化遺産:古都京都の文化財 1994年

□塔頭:浄土院、最勝院

□拝観時間:9:00-17:30
□拝観料:600円
□有料P:南門前700円/日
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814年以前より宇治別業(貴族の別荘)の地(日本後記)

859年嵯峨天皇十二男・源融(822-895年)が別業を造営
    源融は光源氏のモデルとも言われる
889年源融の宇治別業の記述(扶桑略記)
    のちに陽成天皇離宮となり、宇多天皇所領、朱雀天皇離宮「宇治院」、
    源重信へと譲渡

998年さらに摂政藤原道長の別業「宇治殿」となる

平安中期紫式部により1008年文献初出の源氏物語「宇治十帖」の舞台

1027年(万寿4年)藤原道長逝去
1052年(永承7年)藤原頼通が寺院に改め藤原氏氏寺となる
    創建時の本堂は鳳凰堂の北方にあり大日如来を本尊とした
1053年(天喜元年)阿弥陀堂(現鳳凰堂)建立(1060年頃完成とも)
    定朝作阿弥陀如来坐像を安置
1056年(天喜4年)頼通により法華堂建立
1061年(康平4年)頼通の娘・四条宮寛子により多宝塔建立
1063年宝蔵建立
1066年(治暦2年)頼通三男・藤原師実により五大堂建立
1073年(延久5年)頼通養子・源師房により不動堂建立
1074年藤原頼通逝去
1083年泉殿建立

1110年池殿堂建立
1113年経蔵建立
1126年八角愛染堂、円堂建立
1180年治承の乱後、源頼政が「扇の芝」にて自刃
1190年阿弥陀堂、回廊、経蔵修理

鎌倉初期本堂跡に観音堂建立
1221年承久の乱にて境内に北条泰時ら幕府側布陣
1231年平等院荒廃(名月記)

1336年(建武3年)楠木正成・足利氏による兵火により阿弥陀堂以外焼失
    度重なる災害により堂塔廃絶

明応年間(1492-1501年)浄土院(浄土宗)創始

1500年浄土宗僧により平等院伽藍修理
1582年天台宗による平等院住職兼務断絶

17世紀初期平等院境内外に浄土宗約10子院建立
1649年浄土宗、真言宗の共同管理となる
1654年(承応3年)最勝院(天台宗)創始
寛文年間(1661-1673年)鳳凰堂修理、正面扉取替
1680年(延宝8年)須弥壇金銅板刻銘に「鳳凰堂」の呼称初出
1681年(天和元年)寺社奉行の裁定により浄土院、最勝院の共同管理となる
1698年宇治大火により北大門、西大門焼失
    以後荒廃

1868年神仏分離令により鎮守社・県神社独立
    文化財海外流失、山門売却
1895年鳳凰堂修理

1902-1907年(明治35-40年)鳳凰堂半解体修理
1945年以後第二次大戦後の混乱により荒廃
1950-1957年(昭和25-32年)鳳凰堂解体修理、創建時基壇に復元
1951年(昭和26年)10円玉の図柄に選ばれる
1953年(昭和28年)宗教法人平等院設立
1965年宝物館竣工
1990-2003年庭園の発掘調査・復元、鳳凰堂内部装飾再現を行う
1994年境内南東に多宝塔跡発見

2000年(平成12年)庭園整備事業により平橋反橋架橋
2001年(平成13年)宝物館に代わり平等院ミュージアム鳳翔館完成
2012-2014年(平成24-26)屋根葺替、柱塗直し修理