首里城からほど近い、識名園(しきなえん)を訪れました。
観覧券 個人大人1枚 ¥400
首里城散策の後、ホテルに戻るには時間が早いし、どこか行く という話になった時
「じゃあ、識名園に行こうか」ということになったのですが
私は識名園を知りませんでした。
世界遺産にも登録されていたんですね~
日本以外の世界遺産は結構見てきているのに、無知ですみません。
識名園は、琉球王家最大の別邸で、国王一家の保養や外国使臣の接待などに
利用された場所です。
入ってすぐ、番屋が見えてきます。
周囲は深い森に囲まれており、外界と空気の流れが全く異なります。
遊歩道になっており、周囲は木々で埋め尽くされています。
本当に予備知識のないまま訪れたので、この先に何があるのか全く分からず・・・。
周りは(人工的ではありますが)鬱蒼とした森のようだし
どこに繋がっているのか 何が待っているのか
しかも、この場所が持つ独特な雰囲気・・・ 結構ドキドキでした
10分までは歩いていないと思うのですが・・・
少し歩くと、育徳泉に出ます。
大変に美しい、柔らかい印象の石積みですね。
育徳泉は、この先にある池の水源の一つ。
美しい石積みは、沖縄独特の「あいかた積み」と呼ばれるもので
石は琉球石灰岩だそうです。
この先にも、また通路が続いています。
進むと視界が開け、赤煉瓦屋根の御殿(ウドゥン)が見えてきました。
御殿(ウドゥン)の向かいには、大変に美しい回遊式庭園が広がっています
御殿(ウドゥン)は木造建築で、往時の上流階級のみに許された
格式ある造りをしているのですが、部分的に民家風の趣を取り入れているそうです。
それもそのはず・・・
総面積は525㎡(約159坪)、冊封使を迎えた一番座の他、三番座まであり、
台所、茶の間、前(メー)の一番座など、15もの部屋で構成されています。
しかしこの識名園にも、暗い戦争の歴史があります。
対戦中、戦火に巻き込まれてしまいました。
1975年(昭和50年)←私が生まれた年 から整備が進められ
約20年の歳月と、8億円にも上る費用を費やして、今の姿に復元されたそうです。
1976年に、再び国の名勝の指定を受け
2000年(平成12年)に特別名勝に、
そしてその年の12月、世界遺産に登録されました。
本当に・・・
無くなるのは一瞬なのですが、それを再び元に戻すには
相当の年月が必要になるものですね。
戦争と東日本大震災を重ねる年長者が多い、と聞いていたのが
頭を過りました。
さて、気を取り直して庭を歩いてみました。
池のほぼ中央に石橋が2ついあるので、渡ってみます。
手前はごつごつした岩のような橋。
どちらも橋のアーチ型で、これは中国風のデザインだそうです。
琉球と中国の関係を考えると、こうした文化も影響を受けているのでしょう。
途中、名前が分からないのですが、かわいらしい花が咲いていました。
池の中でひときわ目立つ建物が、六角堂。
あづまやになっており、橋を渡って行くことができます。
こちらも、屋根の形、黒く色付けされた瓦が中国風だそうです。
広く、美しい池でした。
当時は、この池に舟を浮かべていたそうです。
優雅ですね~。
今はすっかり乾いていますが
池が溢れると、水がここから勢いよく流れ落ちていくそうです。
昔はこの脇にあづまや(八角堂)があり、
夏場、厳しい暑さをしのぐのに、適した場所だったとのことです。
池を離れると、また森の遊歩道に入ります。
すみれが群生していました
そして森を進むと、入り口にあった番屋に戻ってきました。
首里城から識名園までは、車で10分程度の距離なのですが
訪れる人の数も少ないようです。
(というか、私も知らなかったのですが )
再建された施設とはいえ、
一歩足を踏み入れいると時が止まったかのような雰囲気でした。
奈良に行くと、↑この感覚をよく感じるのですが
沖縄では初めて体験したかも
パッケージツアーでは、なかなか訪れることができない場所かもしれませんが
レンタカーなどご自分で旅を組み立てる方は、一度訪れてみても良いかも
外部の喧騒が嘘のようです。
とても静かで雰囲気のあるひとときを過ごすことができますよ
識名園の観光ホームページは こちら
をどうぞ
次回は 宜野湾ビーチ~嘉手納 をご案内します