小さな頃の私は、とてもおとなしい子供だった。

人見知りで、口数も少なく友達に言いたいことも言えなかった。


小学1年から2年にかけての担任の先生は、ある程度ベテランの女の先生だった。


誰かがそう言っていたからか、雰囲気がそうだったのか。

私は、その先生をとてもやさしい先生だと思っていた。


その人が担任だった2年間の、うっすら残る記憶で、とても嫌だった思い出がある。


それは、毎月毎月、その月の誕生日の子の誕生会をクラスでやること。


誕生日の子は、壇上に並ばされ、その子達に対してクラスメイトは、手作りのプレゼントを各自1つ用意する。


『さあ、プレゼントを渡したい人のところに一人ずつ行って』

先生の号令で、皆は並び出す。


当然、人気者や、活発な子に、子供たちは集中する。


おとなしい、目立たない子供には、誰もプレゼントを渡す人はいなかった。


誰からももらえない子に気を遣って、一人の子が迷った末、あぶれた子の前にやってきた。


気の重い儀式だった。

なんの公開処刑なのか。


あの無神経で残酷なイベントを、なぜ先生は気に入っていたんだろう。


子供の刷り込みって、すごいものだ。

逆上がりができない子は、朝早く来たり、昼休みや放課後も練習して、出来るようになれというスパルタ指導。


どうして、あの先生が優しいと信じてたんだろうな。