「他人の評価はあてにはならない」


こう言われると、他人の評価に依存してきた方にとっては、天変地異が起きたように動揺するかもしれませんが、これは嘘偽りのない本当のことです。世間の常識においては、他人の評価というものは邪険にできない事になっていますが、しかし、朝令暮改のごとく、コロコロ変わる場合すらあるのが他人の評価です。


朝会った時に、


「君は仕事に対して、とても熱心に取り組んでいて結構だ。」


と、上司に言われたとします。ところが、夜の飲み会で、


「君は、仕事熱心なのはいいが、自分本位で周りへの配慮が欠けるよな。」


との痛い評価を貰ったとします。


さて、あなたはこういった場合、どう感じるでしょうか?


この上司は、朝の時点で、高い評価を下し、夜の時点では、低い評価を下すという、朝令暮改をやってのけたわけです。他人の評価に依存している人にとっては、当惑することは免れないわけで、場合によっては落ち込む可能性すらあります。


客観的に、この事例を見ている限り、さほど重要な問題のように感じないとは思いますが、しかし、これが自分の身に降り懸かり、しかも相手が信頼を寄せる上司だったら、どうでしょうか?


ショックを受けますか?落ち込みますか?人間不信に陥りますか?・・・


人は、相手への評価を下す時に、損得勘定、自分の好み、利害関係、その時の気分、噂等を基準にしているのが大半です。決して、主観性を抜いて、客観的に判断するなどという神がかり的なことは、人間である以上、不可能なことなのです。どうしても主観性が入ってしまう以上、その評価は絶対的なものではなく、当てにするような代物ではない、と言えるのです。


自分が相手を評価する時を考えてみましょう。どうでしょうか、私利私欲の気持ちが少しでも入っていないでしょうか。自分の主観で決めていないでしょうか。


このことから、他人の評価というものは、所詮人間が下した主観的な評価に過ぎず、その評価に一喜一憂することは、とても愚かしいことが分かります。冷静に、相手の評価を聞き、


「なるほどこの人はこういう評価を下したのか」


という程度に受け止めればいいわけで、感情的に受け止める必要はないわけです。


他人の評価に依存されている方は、人間関係において戦々恐々として生活している場合が多いと思います。「私は、どう思われているのだろうか」などと思い、常に相手の顔色を窺うという低姿勢に徹していると思います。しかし、相手の評価は相手の気まぐれで決まってくる、程度に考えれば、必要以上にビクビクしなくてもいいわけです。他人の評価は、所詮当てにはならないのだから、当てにするのは馬鹿馬鹿しい、と捉えてしまえば、どうってことないのです。


ただし、他人の評価を軽視してはいけません。他人の評価の中にも、自分の成長に役に立つ素晴らしい指摘も含まれている場合があるからです。良い指摘については、真摯に耳を傾け、内容によっては、反省材料として活かすことができます。


ここで、述べたかったのは、他人の評価にどっぷり依存して、その評価に振り回されて、戦々恐々と生活することは、馬鹿らしい生き方ですよ、ということです。


決して、他人の評価を軽視しろ、とか、他人の評価を聞くな、という意味を伝えたいわけではないことを肝に銘じて、この真実に沿った生活をしてみて下さい。少しは、堂々と、胸を張って世間を闊歩できるようになるかと思います。



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