「も~!! イライラするなッ!!」


って方、そのイライラは、とある原因がもとで起きているのが大半って知っていますか?


私も最近というか、今まで、どちらかというとイライラしてしまう人でした。

・自分の思い通りに行かない

・人に嫌なことを言われた

・突発的なハプニングに見舞われた

・渋滞に巻き込まれた

etc


イライラの原因として考えられる一点目は、「社会環境の悪化」が言えると思います。グローバリゼーションという米国発の荒波が押し寄せる中、効率化や競争を煽られることで、人々の心が荒廃し、人間関係がギクシャクしたりしています。また、規制緩和や個性重視の風潮から生まれた「なんでもありの風潮」が世間に流布することで、ホリエモン事件や村上事件が発生し、拝金主義的な風潮が蔓延、結果として人々の心が寂しくなり、荒廃していったと言えると思います。


拝金主義的で私利私欲に固執し、自己中心的な人間が世間に増えれば、当然、生きていく中でイライラしてしまうのも仕方がないでしょう。


この社会環境の悪化への処方箋ですが、個人的には、グローバリゼーションに対して、日本という国が拒否するしかないと考えております。今、世間では横文字であるグローバリゼーションを諸手を挙げて礼賛していますが、実は、日本人にとって、ちっとも嬉しくない状況なのです。効率化や競争であたかも不況を脱し、グローバリゼーションのおかげだと勘違いしてしまうところですが、逆に、過酷労働を強いられる等の多大な弊害で、年間3万人以上の自殺者が出ている現状なのです。



イライラの原因として考えられる二点目は、「自分で妄想を描き、その妄想に期待を寄せてしまう」からだと言えます。人というのは、小さい頃を思い出せば分かるとおり、妄想の中で生きてしまうところがあります。妄想なし、で生きているという人は、この世に恐らくいないことでしょう。


この妄想というのは、人である以上描いてしまうものですが、この妄想に操られているのか、操っているのか、で大きな違いが生まれます。簡単に言えば、操られている人は、イライラが多い人であり、操っている人は、イライラが少ない人と言えます。


例えば、友人と18時に東京駅で会う約束をしたとします。ところが、18時過ぎに携帯に電話が来て、ドタキャン。大抵の人であれば、イライラしてしまい、約束を破った友人を心の中で、罵ったりするかもしれません。


この例には、主人公である私にある妄想があったために、イライラが起きている、という見方が出来ます。ある妄想とは、・・・


「人は約束を守るべきものだ」


一見、道徳的な内容で、非の打ちようのない考えだと思われますが、これがちょっと曲者です。人というのは約束はするものの、一生の間で、100%履行できる人など存在しないものであり、必ず約束を破る経験をしているものです。ところが、親や先生等の周囲の大人達に、約束は守るべきものだ、というキレイゴトを繰り返し教えられたことで、それが真実であると思い込んで成長してきているのが実態です。


「人は究極的に追い込まれれば約束を破るものである。だからといって、約束を容易に破っていいわけではない。」


これが、約束に関する真実です。そもそも人は万能ではなく、不完全な存在ですから、約束を破るという失敗をしてしまうものです。こういった真実を知っているのか、知らないのか、で、イライラの程度が決まってくるのです。


この例のように、人はある妄想を描き、そしてその妄想に過剰な期待をかけ、その期待に裏切られることで落胆し、ショックを受け、落ち込んだり、イライラしたり、怒り心頭になったりするのです。この流れを見て、気が付くことは、「一人上手」を演じている、ということです。勝手に自分で妄想を描いて、勝手に期待を寄せて、勝手に落ち込んでイライラしている、ということです。


ここで、「なりほど!」と思えた人は、イライラ生活から脱却できる可能性があります。


まずは、普段の生活の中で、自分が描いている思いが、単なる「妄想」になっていないのか、を検証してみることが大切です。もし、キレイゴトに毒されている「妄想」ならば、その「妄想」に振り回されることは止め、真実を知っていくことが大切です。以下に、真実の例を示しますので、検証してみて下さい。


・他人の評価はあてにはならない

(他人の評価を無視しろ、という意味ではありません。他人の評価に一喜一憂するのは愚かであるということ。)
・他人は思ったとおりの行動をしてくれない

(自分の都合通りに相手は動いてくれない)
・他人の問題は、本人しか解決できない

(本人がその気にならないと、その問題は解決しない)
・縁があれば、人はとんでもない犯罪を犯してしまうものである

(それぐらい人とは危うい存在である)
・自分の考えは正しい、とは言い切れない。

(その時は正しい、と思っていても、得てして間違いの場合が多い)
・自分に降り懸かった災難・問題は、自分の責任である

(数%でも自分に非があるのなら、自分のせいと認めることが、道理に沿った生き方である)
・客観的に、物事を見ることは不可能

(どうしても主観的要素を排除できない)
・人間社会に自由というものはない

(地球空間という限られた空間に存在し、限りある命しかない人間が、無限の自由を持っているわけはない)
・人間社会は差別があるものだ

(平等というのは幻想であり、実世界では差別が存在する)
・自由と平等は共存しない

(自由性を謳えば平等性は崩れ、平等性を謳えば自由性は失われる)
・科学は万能ではない

(科学は、大宇宙の真理の一部を人間の手によって解明したに過ぎない)
・人間は不浄極まりない存在である

(不浄極まりない存在である自覚を持ち、道理に沿って生きることが人として大切)
・人は、縁があれば浮気をしてしまうものである

(それぐらい浮気性なところが人間にはある)
・人は究極に追い込まれると、裏切るし、約束を破るものである

(相手を必要以上に美化するのは危ういということ。裏切りや約束を破る行為を肯定するものではない)
・人間は不完全な存在である

(人間に完璧を求めてはいけない)
・人は生まれたならば、必ず一度は死ななければならない


上記に書いた真実と呼ばれるものは、キレイゴト(道徳)と違って受け取りにくいものです。ですから、なかなか腑に落ちないとは思いますが、生活の中で、この考えを念頭に実践してみて下さい。その中で、しっくりいく、と思えたならば、真実に沿った生活をしてみて下さい。イライラの程度が以前に比べ、落ちている自分と出会える日が必ず来ることでしょう。


イライラの原因について、二点挙げましたが、一点目は容易に変えることはできないもので、二点目は自分の妄想とのつきあい方を変えれば、程度のレベルですが解消できるものです。


もし、異論・反論・疑義等があれば、コメントやメールにて受け付けますので、どうぞ♪



人気ブログランキング


↑↑↑ ランキング参加中!応援クリックお願い致します!