トラウマな自分を捨てる方法 ~もう私の“闇”は消えた~ -12ページ目

トラウマな自分を捨てる方法 ~もう私の“闇”は消えた~

虐待・いじめ・DVなどのトラウマ体験で「生きるシアワセ」が無かった自分が 『“心理臨床家”がんちゃん先生』との出会いで、トラウマを捨てて、シアワセになった体験談と無名ながんちゃん先生の応援ブログです。

こんにちわ


ココロのリフォーム 解決スイッチセラピーの


がんちゃん先生 宣伝ブチョー


ココロハレルです。








お母さんのがんの放射線治療は


入院している病院病院では


出来なかったので、


2週間くらい、毎日、毎日


治療できる病院まで、入院中の病院から


お母さんが寝たまま乗れる車に乗って


移動しました。車




ワタシも毎日、一緒に、その病院に


付き添いました。





寝たきりの状態だからか、


放射線治療の病院では



看護師さんも事務の人も



お母さんに話しかける前に


ワタシに向かって





「(お母さん)お話しできる方?」耳とか


「(治療の)説明、分かる人かな?」えっとか



失礼なむかっ洗礼を受けて



ワタシもわざと、お母さんに


「お母さん、しゃべれない人だと思われてるよっ!むっ


とか言ってみたり




あとでお母さんと2人で


「失礼なっ!」なんて、ひそひそと


文句を言ったりしていました。





放射線治療に行く前とか、帰ってきてからとか



毎日、毎日



動かなくなって、冷たい足を


マッサージして、お湯につけたり、


温かいタオルで温めたり





「少しでも・・・感覚だけでも戻ってほしい・・・」




一心で



必死に、でも、お母さんに悟られないように



「足が固まったら、着替えるのも大変だからね~」とか



お互いに、笑いながら



一緒の時間を過ごしていました。








考えてみたら


ワタシは


中学を卒業するのと同時に


家を出て


それから、ずっと一人暮らしで






お母さんと2人で


おしゃべりしたり、笑ったり


出かけたり(病院から病院だけど)


そんな時間は






小さかった子どもの頃の


ほとんど記憶にない


わずかな楽しかった頃


その時以来でした。





お母さんと一緒に過ごした時間



闘病生活ではあったけど



その時間が



ワタシにとって



その後に



こんなに



大事な思い出に



なるとは、思っていませんでした。

















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こんにちわ


ココロのリフォーム 解決スイッチセラピーの


がんちゃん先生 宣伝ブチョー


ココロハレルです。









がんの再発で、腰から下が


全く・・・動かなくなっても


お母さんは


誰の前でも


いつも笑っていました(‐^▽^‐)





主治医の先生から呼ばれて



「今から、(がんの)説明するけど、お母さんに伝える?」


と聞かれました。




一瞬、迷いましたが、



きっと、お母さんは、自分の体のことは



ちゃんと知りたいだろうなって思って



一緒に、先生の説明を受けることにしました。







看護師さんに


「お父さんはどうする?」って聞かれて


お母さんとワタシは、同時に


「聞いても役に立たないからいいですっドクロ叫び」 って


笑いながら、答えましたかお








その時、ココロの中で





「ワタシが、お母さんを守る」って






これからの治療のこと


入院生活のこと


家のこと(まだ、下のきょうだいが、いたので)



もっと病気が悪化してしまう可能性のことも






無意識に覚悟を決めました。




ただ、そのあとも




口では、きょうだい達に「もしかしたら・・・」と話をしたり、


最悪の場合を考えて仕事を辞め、介護に専念したり


という行動はしていたけど、







本当に


「お母さんがいなくなる」なんてことは


想像もできませんでした。



ココロは


全く受け付けられませんでした。









お母さんのがんは


背骨や骨盤などの骨に転移していて


手術はできないこと、


放射線治療をして抗がん剤を使うこと






動かなくなった下半身は


もう動く可能性が低いこと






ワタシとお母さんは


冷静に


お互いに、感情を抑えながら


その説明を受けました。







最期にやっぱり、お母さんは


「できることは全部やってみましょう!」って


笑っていました。










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こんばんわ


ココロのリフォーム 解決スイッチセラピーの


がんちゃん先生宣伝ブチョーの


ココロハレルです。






大けが&がんの手術からの


完璧な復活チョキを遂げた


お母さんは、




そのあとも


毎日、毎日、一生懸命走る人


仕事をして家事をして




老いぼれたけど、まだまだやっかいな


お父さんの世話をしていました。




お父さんは、体は元気だったので


介護とかいうわけじゃないけど


存在がめんどくさい


というか



居るだけで疲れる相手で



お母さんは時々


自分の仕事の休みの日を


その日の朝まで黙っていて


自分の時間を計画的に


作ったりして楽しんでいるようでした。





一緒に住んでいたわけではないけど


家が近かったりもして


お母さんとはしょっちゅう顔を合わせては



「お父さん、最近、ハゲてきたガーン」とか


「ニンニク食べ過ぎて、寝室がクサい叫び」とか




お父さんの悪口で


盛り上がっていました。







がんの手術から3年くらい経ったころ


お母さんは


「最近、背中が痛くてね~」と


整骨院や整形外科に通っていました。






一瞬、イヤな予感が走りました。





「念のため、がんの手術してもらった病院で


調べてもらったら~」



あえて明るい感じですすめて



「まあ、そこにも整形外科あるからね~」と


数日後、一緒に病院に行きました。






その日は、


数日前に会った時より、


背中の痛みはだいぶ強くなっていたようで


歩くのがすこしだけ


ゆっくりになっていました。





その病院はもう、顔なじみのような感じだったので


「このまま検査入院病院でもしようか」


なんて、家にいたら無理して家事をしてしまう


お母さんのことも分かってて



気を使ってくれて


お母さんも


「じゃあ、何日か、楽しようかねえ」


と、いつものように、のんきな感じでした。





翌日、仕事が休みだったワタシは



午前中に病院に向かいました。







その途中、


突然、病院からの連絡が入りました。携帯






(えっ???  なんで・・・電話かかってくるの?)




すごく、イヤな予感が体に走りました。





お母さんが入院した病院の


仲のいい看護師長さんからでした。









「お母さん、・・・・・がんの転移があったの・・」





「早めに、こっち(病院)に来れる?」







「えっ・・・・・・・・・   はい ・・・・・・今、向かってます」


他に何を話したか、覚えていません






ワタシは、一旦、止めていた車を


自分では、ありえないスピードを出して


走らせました。





病院に着いて、エレベーターを待つ余裕もなく


階段を、何段跳びか分からないぐらいの


勢いで上がって、


お母さんの病室に行きました





お母さんはいつもの笑顔で


「早かったね~ ゆっくりでいいのに~」(‐^▽^‐)


って、フツーの対応でした。






(やばい、変な顔してたら・・・悟られる・・お母さんは


まだ、何も聞いてないのかも・・・)






ワタシも、慌てて笑顔で


「うん、休みで何もすることなかったからね」


と答えながら、ふとベッドの足元を見ると




おしっこを貯める袋が、ぶら下がっているのが


見えました。




(なんで?なんのために?歩けるのに・・・)



お母さんの今までの入院で


手術の時など、歩いてトイレに行けない時に


おしっこの管を入れて、それをつないだバッグを


足元にぶら下げているのは知っていました。




「お母さん・・・なんで・・・おしっこのバック・・・」




すると、お母さんは






「う~ん、夕べからねぇ、急に歩けなくなっちゃったのよね~」







「びっくりするでしょ」


「どうしちゃったもんかね~」






お母さんは笑っていましたが、


とても悲しそうでした。






お母さんは、背骨と、骨盤に「がん」 が転移して


腰から下の感覚が全く消えて


歩けなくなってしまいました。








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