こんにちわ
ココロのリフォーム 解決スイッチセラピーの
「がんちゃん先生 」 宣伝ブチョー
ココロハレルです。
お母さんのがんの放射線治療は
入院している病院
では
出来なかったので、
2週間くらい、毎日、毎日
治療できる病院まで、入院中の病院から
お母さんが寝たまま乗れる車に乗って
移動しました。![]()
ワタシも毎日、一緒に、その病院に
付き添いました。
寝たきりの状態だからか、
放射線治療の病院では
看護師さんも事務の人も
お母さんに話しかける前に
ワタシに向かって
「(お母さん)お話しできる方?」
とか
「(治療の)説明、分かる人かな?」
とか
失礼な
洗礼を受けて
ワタシもわざと、お母さんに
「お母さん、しゃべれない人だと思われてるよっ!
」
とか言ってみたり
あとでお母さんと2人で
「失礼なっ!」なんて、ひそひそと
文句を言ったりしていました。
放射線治療に行く前とか、帰ってきてからとか
毎日、毎日
動かなくなって、冷たい足を
マッサージして、お湯につけたり、
温かいタオルで温めたり
「少しでも・・・感覚だけでも戻ってほしい・・・」
一心で
必死に、でも、お母さんに悟られないように
「足が固まったら、着替えるのも大変だからね~」とか
お互いに、笑いながら
一緒の時間を過ごしていました。
考えてみたら
ワタシは
中学を卒業するのと同時に
家を出て
それから、ずっと一人暮らしで
お母さんと2人で
おしゃべりしたり、笑ったり
出かけたり(病院から病院だけど)
そんな時間は
小さかった子どもの頃の
ほとんど記憶にない
わずかな楽しかった頃
その時以来でした。
お母さんと一緒に過ごした時間
闘病生活ではあったけど
その時間が
ワタシにとって
その後に
こんなに
大事な思い出に
なるとは、思っていませんでした。




