紳助とお坊さんの番組を見て-人生相談と仏教の違い
こんにちは、心のソムリエ 橋本文隆です。
島田紳助と僧侶が悩みの相談に答えると番組で、ある僧侶が夫婦のトラブルに関してこんな発言をしていました。
「仏さんの眼は半眼になっているでしょう。相手の嫌なところは見ないようにしているんですよ。見たら腹が立つようなことは半眼にして見ないようにするんです。」
みんな「エエ話や」と言って感動していました。
「エッ?それ半眼の意味が違うのでは?」と思ってネットで調べてみると、同じようなことが天台宗のHPに書いていたので、わりと流布している説明なのかもしれません。
でも、仏教の教義から考えると、ちょっと違うように思われます。
あらゆることを見て、あらゆることを知って、そのうえで、そのことになんら惑わされないというのが仏です。
見たら腹が立つなどというのは仏の次元ではないし、まして、そのために半眼にすると言えば、仏は自分の感情も満足に制御できないレベルの低い存在になってしまいます。
もちろん人は仏ではないので、処世術として(方便として)、「相手の嫌なところは、あまり見ないようにしましょう」と言うのは構わないと思います。
しかし、夫婦なら「見ないようにしましょう。」で済みますが、クレーマーとかモンスターペアレンツを相手にしている人だと、見ないようにすることなどできません。
ですから、その場合はまた別の処世術(方便)を考える必要がでてきます。
それはそれで構いませんが、そういう人生相談なら、僧侶でなくても出来ると思うのです。
仏(覚りを啓いた人)というのは、いかなる状況においても心を乱されない人であり、本来仏教が目指すのはその方向なので、それを踏まえた話をした方が、僧侶としての意味があるように私には思えます。
P.S.
ちなみに、半眼は、「外や内に偏るのではなく、外の世界も自分の内面も、同時にしっかり見るということの象徴的な表現」だと私は考えています。