LPレコードを整理したら、パウル・ファン・ケンペンのLPレコードが数枚出てきました。


ケンペンは1893年にオランダのライデンに生まれ、1955年に亡くなった指揮者です。


ケンペンの指揮するチャイコフスキーの「交響曲第5番」と「イタリア奇想曲」は、最初はLPレコードを購入し、後にCDで買い直した、もう何十年も聴いている愛聴盤です。


いずれもモノラル録音ですが、モノラルであることを忘れさせる力があります。



20140924_05

20140924_03

20140924_04



上の3枚は、LPは日本フィリップスから出されていた廉価版のクレモナ・シリーズです。


最初に買ったレコードが何だったかは覚えていないのですが、チャイコフスキーの交響曲第5番が入ったケンペンのレコードは、中学生の頃、13枚目に買ったものです。(膨大なライブラリを夢見て自分でつけた連番のシールにNo.13とありました)


まだクラシック音楽を聴き始めてそれほどたっていなくて、ケンペンがどんな指揮者であるかも知らなかったし、指揮者による演奏の違いなんてことは考えなかった時期ですが、チャイコフスキーの美しい音楽を聴きながら、これから待っているであろう広大なクラシック音楽の世界にワクワクしていました。

相当聴いていたのか、扱いが雑だったのかはわかりませんが、白いジャケットは手垢で黒く汚れています。


ケンペンは、あまりメランコリックにならず、骨太にオーケストラを鳴らします。骨太なのに、その曲の持つ美しさを見せてくれるところが魅力的です。


特に強奏でオーケストラ全体が旋律を奏でるようなところは感動的で、全体的に快速テンポで進みながらも、縦の線をピシッと揃え、剛直さに弾力を加えたような演奏には掻き立てられるものがあります。


これが最も顕著に表れているのは、「イタリア奇想曲」の最後の部分や、「悲愴」の第1楽章の再現部でしょう。特に「イタリア奇想曲」は、ケンペンを聴いてしまうと、多くの演奏のテンポやコーダの勢いに物足りなさを感じてしまいます。録音がモノラルであるということが惜しまれます。


チャイコフスキー自身が最も気に入っていたといわれる「弦楽セレナード」では、カラヤンのように、ひたすら美しくゴージャスに聴かせるわけではないのに、ケンペンの演奏のほうが心に刺さります。


まるで、オーケストラが1人の歌手のように歌う音楽が流れていきます。第1楽章の出だしから、ほかの演奏では聴けない悲痛な音楽が奏でられます。これに慣れると、響きの美しさだけを聴かせるような演奏は、中身がない演奏に聴こえます。


3楽章は特に素晴らしく、胸が締めつけられます。


バシュメットが率いるモスクワ・ソロイスツの「弦楽セレナード」は、ピアニシモからフォルティシモまでのダイナミックレンジが広い、室内楽的演奏です。


消え入りそうな弱音からクレシェンドしていく盛り上げ方は、それはそれでかなり美しいのですが、ケンペンにコントロールされたオーケストラが、強靭かつ美しい歌が奏でるのを聴くと、このほうが正しいやり方じゃないかと思ってしまいます。


ところで、今回、LPとCDを続けて聴いてみたところ、少なくともケンペンのモノラルの録音はLPのほうが聴きやすく感じました。


こうなると、カートリッジもモノラルのほうがいいかもしれません。


ブログランキングに参加しています。

にほんブログ村 ベンチャーブログ ベンチャー社長へ
にほんブログ村 応援よろしくお願いします