○ 6本目 ホセ・ラミレス3世


当時、平田先生は、ホセ・ラミレス3世を愛用していました。先生のラミレスから出てくる音は、つやがあり、芯があり、魅力的な音でした。側板が、夕焼けのように美しかったことを覚えています。


先生のすべてを吸収したいと、中古ですがホセ・ラミレス3世を購入しました。


○ 7本目 広瀬達彦作 ハウザーモデル(50号)


セゴビアをこよなく愛していた先生です。


ある日、教室に行くと、ハウザーらしい楽器を弾いていました。重心の低い低音とカチッと引き締まった高音が魅力的でした。


聞くと、広瀬達彦さんにお願いして作ってもらったハウザーモデルとのことでした。


その後、広瀬さんはハウザーモデルを作り続けましたが、その初期だったと思います。


まもなく、先生は、さらに改良した広瀬ハウザーを購入することになったので、先生が使っていたギターを譲り受けました。


○ 8本目 広瀬達彦作 ハウザーモデル(80号)


平田教室では、生徒の数人が広瀬ハウザーをオーダーしました。楽器の完成度は増し、かなり魅力的な楽器になっていました。


先生の薦めもあって、買い換えることにしました。


このとき、ラミレスと1本目の広瀬ハウザーを手放しました。


ラミレスは残念には思いませんでしたが、今でも1本目の広瀬ハウザーは持っていればよかったと思います。それほど魅力的な楽器でした。


2本目の広瀬ハウザーでは、無謀にも、新人賞ギターコンクール(後のクラシカル・ギター・コンクール)に挑戦しました。


当時は、すでに40歳近く。若い人に混じって、ぼろぼろになりながら、課題曲の「大聖堂」を弾きました。


当時は年間の4分の1くらいが出張生活だったので、コンクールが近くなってからは、ギターケースをかついで出張するという、変なサラリーマンでした。


42歳のとき、左半分が顔面神経麻痺になってしまいました。翌年には、右半分も顔面神経麻痺になりました。


ストレスが原因で、無理な生活パターンが原因と思われました。


往復で5時間かけて会社に通い、会社が終わると、3時間近くかけて先生のレッスンを受けに行っていました。


そのときの無理な生活パターンをリセットしようと思い、入院先の病院から先生に電話をかけて、しばらくレッスンをお休みさせていただくことにしました。


そして、2002年の夏、平田先生は亡くなりました。


ショックでした。


今でも、レッスンを受けた曲を弾くたびに、先生の言葉を思い出します。


2本目の広瀬ハウザーは、先生の思い出がつまった楽器で、今でもメインで使っています。


○ 9本目 ロバート・ラック


先生がなくなってからしばらくの間、ギターを弾くことが辛い時期が続きました。


それでも、長く親しんできたギターです。


心機一転、楽器を換えようと思いました。そして、まったく違ったタイプとして選んだ楽器が、ロバート・ラックです。


正月に実家で目覚めたときに、夢の中で「ギターを買え!」というお告げが合ったことを思い出し、翌日にAuraに行って手に入れた楽器です。


なんとも衝動的ですが、楽器とは出会いが大切なので、いい楽器を手にできたことは幸運だったと思います。


この翌年に会社を辞め、収入が10分の1以下になるとは思っていなかったので、5年ほどローンに苦しみました。

○ 10本目 ホセ・オリベ


2010年に、ひょんなことから、私のもとにやってきました。


干せ・オリベは、ギターを始めたころの、あこがれの楽器でした。


話には聞いていましたが、美しい楽器です。


音も独特の甘さと音量が魅力的です。


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