ギターを始めて40年になりました。


そのわりには、少しも上達しなくて、最近ではトシのせいか、後退しつつあります。


40年というのは、才能とやる気があればプロになっていてもおかしくないくらいの長さです。


そうはなっていなくて、最近は「禁じられた遊び」もまともに弾けないということから、才能がなく、怠け者だったということを思い知らされています。


腕は一向に上達しないのですが、それはそれ、趣味の世界ですから、数本のギターを持ち替えてきました。


1本1本思い出があるので、思い出しながら楽器遍歴をまとめておきたいと思います。


○ 1本目---不明


小学4年生のときだったと思います。学芸会で何かやらなばならず、父が弾いていたギターに挑戦することにしました。


父に「春が来た」と「荒城の月」を教えてもらい、ふろしきに包んで持っていったギターで演奏しました。


周りに貝の細工が埋め込んであるギターでした。


このときから、しばらくレパートリーは増えませんでした。


○ 2本目---ヤマハ 原田周行作


高校1年の頃、同級生のA君の弾くギターに感激して、ギターに本格的に熱中しました。


自分のギターはなくて、父の使っていた楽器を借りて弾いていました。


NHKの「ギターを弾こう」が私の先生でした。荘村清志さん、渡辺紀彦さん、芳志戸幹雄さんらが講師ですから、すごい講師陣でしたね。



○ 3本目---スズキ (ラミレスモデル)


高校1年のある日。父が、1本のギターを買ってきました。


「これで練習しなさい」


それが、2万円くらいのスズキのギターでした。ヘッドの形状だけは、ラミレスでした。


それから高校3年まで、この楽器で練習しました。


○ 4本目 田村満作(15号)


高校3年の冬。まもなく、受験です。


勉強しなくちゃ、と思いながらも、ギターが面白くて、ギターばかり弾いていました。


「ギターを習いたい」と父に話したところ、熊谷に住むギターの先生のもとに連れて行ってくれました。


そのとき、いっしょに用意してくれた楽器が、田村満さんの楽器です。


父は昔からギターが好きで、同じ楽器を息子が熱中していることが嬉しかったようです。


ギターに関しては、常にチャンスと環境を整えてくれました。


それにしても、受験の3ヶ月前にギター教室に行かせてくれたのは、今考えても普通ではありません。


当然、浪人しました。


浪人時代もギターに熱中し、1年でカルカッシ25のエチュードを終え、ソルの20のエチュードまで進みました。


○ 5本目  中出輝明(50号)


大学では、当然のことのようにギター部に入りました。


ギターに熱中する友人と夜中に部室に行き、朝まで弾いているということがしばしばでした。


授業に出ているより、部室にいるか、バイトをしていることのほうが多い、不真面目な学生でした。


その頃、大学のギター部の顧問は、プロギタリストの平田宏先生でした。


卒業してからは、長く平田先生に師事することになったのですが、学生時代の私は、平田先生を受け入れていなかったように思います。若さゆえのつっぱり、でした。


大学3年の頃だったと思います。


田村満さんのギターは弾きやすくて好きだったのですが、もっと良いギターがほしくなり、中出敏彦さん、稲葉征二さんのギターと弾き比べて、中出輝明さんのギターを購入しました。


50万円と高価だったのですが、この時もに父がお金を立て替えてくれました。


こう書くと誤解を招きそうなので、一応弁明しておくと、私の父はごく普通のサラリーマンでした。


私は大学1年の冬に家を出て武蔵小金井に下宿したのですが、半年だけ仕送りを月2万円もらっただけで、その間にバイトを増やし、あとは5年間、仕送り無しで乗り切りました。


欲しいものを買ってくれるタイプではなかったのですが、なぜかギターだけは、タガがはずれてしまうのでした。


今は80歳を超えてしまいましたが、何かイベントがあると、母の歌の伴奏をしたりしている現役のギター愛好家です。


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