こんばんは!
今年29歳になる歳の爽やか系男子、北村が本日お送りいたします。
今月から福岡県民から大阪府民になりました。
さらば、福岡!!涙
さて、大阪に異動になって色んな生活スタイルが変わり、
その変化になかなか適応しきれていない私ですが、
最近の一番の悩みの種が、「満員電車」です。
実は、私は通学では乗ったことがありますが、
社会人になってから、通勤ラッシュという時間帯に、
満員電車に乗るという経験がほぼありませんでした。
東京では、自転車かバスでしたし、(電車に乗っても一駅で降りる)
福岡では、会社まで徒歩10分。
何度か満員電車に乗ったことはありますが、
今のように15分以上満員電車に押しつぶされながら、
出社するという経験は初めてでした。
これ・・・すごいですね・・・。
世のサラリーマン・キャリアウーマンは大変だったんだな~
と感じました。
私も最近、万が一でも痴漢に間違えられないよう、
つり革がない中で、どうやって両手を挙げるかを毎朝模索しております。
※結局バックがあると、両手は無理なんですけどね・・・。
そして、最近、思うのが、なんで、この満員電車って
「人が冷たくなる」もしくは「人に当たりたくなる」環境が
できやすいんだろうな~ということです。
例えば、
人の足を普通に踏んでいたり・・・
出る時に人を肘で押したり・・・
本人がいる前で愚痴をいったり・・・
究極は・・・怒鳴ったり・・・
通常では、目の前の人が知り合いだったら、しないような行動を
満員電車ではしてしまう人が少なからず他の日常の場面よりは、
多いのだろうと感じます。
そして、この環境は「人のストレスの負の連鎖」を発散する場であり、
いろんな人を媒体して、会社に波及しているものでもあるんだろうと感じます。
では、なぜ、人は満員電車だと失礼な態度を取ってしまうのか?
私の見解では、
ある種の、「生存的欲求」が脅かされている環境下で、
相手を人ではない何かの存在として見ているからなんだろうな~と思います。
満員電車だと、他の人に圧縮されながら、
非常にストレスが溜まりやすい環境になっています。
そして、その負のエネルギーが一定値いくと、
「自分もこんなに大変なんだから、他人のことを配慮してられないよ!しょうがないでしょ!」
と思ってしまいます。
そして、その際にもう一つ満員電車で起こる現象が、
たいていの場合、「相手と顔を向き合わせていない」ということ。
例えば、これが顔を向き合っている状態であれば、
多くの場合、目の前の人を肘で押したり、足を踏んだりしないと思います。
※踏んでも「すみません」と謝るのではないかと。
ただ、自分がしんどい状況下で、
他人の顔が見えていないと、「これぐらいいいか・・・」と
つい、心ない言動をしてしまうのが、人間の弱さなんじゃないかな~と感じます。
そして、そういう時に限って、
「自分も辛いから、許される」的な気持ちがあって、
「何をしても、自分は攻撃されない」みたいな“根拠なき安心感”があると思うんです。
その結果、地雷を踏んだ場合に、
満員電車で「おい、お前降りろよ!」という喧嘩が起きてしまったりする。
こう思うと、満員電車という状況は、その条件がそろいやすいだけで、
普通の日常生活でも、きっとこんな心理は働くのだろうと思います。
例えば、会社でも
自分が仕事に追われてしまっている時、
誰かに対して、つい、心ない態度を取ってしまった。
そんな時って、たいてい「その人の顔を見ていない」のではないしょうか?
家に戻り、奥さん(もしくは旦那さん)とのちょっとした会話から
喧嘩に発展してしまった時、その一言目を発した本人は、
「相手の顔を見てなかった」のではないでしょうか?
何が言いたいかというと、
人ってどうしても余裕がない時はあると思うものです。
でも、そういう余裕がない時でも、相手にも心はある。
だからこそ、余裕がない時ほど、
相手を思いやる心が大事だと思うのですが、
それが簡単にできれば、苦労しません。
ただ、「相手の顔を見る」というだけで、
「これぐらい許されるか」という発言・行動がきっと抑えられるのだろうな
と思うわけです。
それだけで、少し自分の心をセーブされ、
誠意のある行動が取れるのではないんじゃないかな~と感じます。
どんなに余裕がなくても、
まずは、相手を見て、その方を「一人の心がある人」として
認識することで、自分の親切な心を保っていきたいものですね!
明日は、福岡拠点の柴田さんです!^^