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本日は私、藤本が担当致します。
さて、週明け早々、ゴルフ界のニュースが同時に飛び込んできました。
私が気になったのはTウッズ選手です。
私はゴルフをしないので、Tウッズ選手の競技的な凄さについてはそこまで知らないのですが、その実績が生きる伝説レベルであること、ゴルフプレイヤーの年収(ついでにNIKEの業績も)を引き上げ、ゴルフ界の根底に蔓延っていた人種差別に屈せず、世界中のゴルフ少年・少女に夢を与えた事は存じております。それがこんな事になるんだなと少し寂しい気持ちでニュースを見ていました。
「たとえ劣勢にあっても、逃げないこと。たとえどんなに負けていても、自分は勝てると、いつも信じなくてはならない。」
Tウッズ選手の言葉です。
この言葉と、Tウッズ選手のゴシップ報道を照らし合わせた時、ふと思い浮かんできたのが、マーティン・スコセッシ監督のレイジング・ブルという映画です。映画ファンの方なら「そう言えば似てるかも・・。」と共感頂けるのではないでしょうか?
この映画は、世界チャンピオンまで登りつめたボクサーの、栄光と挫折とそれからを描いた作品です。主人公は妻に三下り半を突き付けられ、酒で身を持ち崩し、周囲の人は呆れて去って行き、と若干Tウッズ選手に通じるところもあるのですが、「俺は全ての試合でダウンしなかった」という誇りを胸に、まあ、へこたれないのです。私が好きなのはラストシーンです。ボクサー時代とは見違える様に肥り、家族にも見放され、今では「落ちぶれた」と揶揄される芸人となった主人公が、出番前に鏡の前でシャドーボクシングをしている場面なのですが、そこに「不屈」とはこういう事なのだと教えられるのです。人格的には全く共感しない主人公でしたし、ラストシーン自体にも、悲哀を感じる・重い気分になるという映画評もあるのですが、それでも私はこのラストシーンに希望を持てるのです。
「たとえ劣勢にあっても、逃げないこと。たとえどんなに負けていても、自分は勝てると、いつも信じなくてはならない。」
このTウッズ選手の言葉に、映画のラストシーンと相通ずる部分があると感じたのです。
Tウッズ選手に、孤独感やうまく復帰できない事へのいら立ち、過去の栄光とのギャップ等々、どんな要因あってこうなったのかは、ご本人にしかわかりません。私なら確実にダウンする様な「何か」が、一つでなく沢山積み重なったのでしょう。
ただ、それでも立ちあがるTウッズ選手を勝手に期待している自分がいます。かつて世界中のゴルファーが彼のパットプレイを自分に投影した様に、彼の復活を自分の生き方に投影したい私がいるのかもしれません(まだ挫折はしてませんが、今後何かあった時用に・・)。
ですから、Tウッズ選手には、上記の名言を、ゴルフの中だけでなく、今後、自身と対峙し乗り越えた時、もう一度サラッと言ってほしいですし、彼なら必ず出来ると信じた、今日の朝ごはん時でした。
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次回は、最近、電話の鬼と化している中村信滋くんです。