本日は荻からの、私が尊敬する、『やることはやる女』というとてつもなくハードルの高い紹介を受けた岩手県出身スポーツ少女田鎖 絵璃菜がお送りさせていただきます!
中学校はハンドボール、高校は女子サッカーと球技【特にも団体競技】が大好きです!
1度自分の意思でやると決めたことは納得するまでやる!
ここにこだわって生きてきた22年間でした!
特にもハンドボールとサッカーは中途半端ではやめたくなくて、諦めたくなくて、ひたすら6年間動き続けました。
本日は私が22年間で一番辛かったこと、一番嬉しかったことを書かせていただきます。
まずは、【1番辛かったこと】
私はハンドボールを中学3年間やってきた中でびっくりするくらい変化がたくさんありました。小さい頃から運動が苦手で仕方なかった私ですが、なぜか嫌いだと思ったことはなくて、どんなに走るのが遅くてもみんなと一緒に遊んだり動いたりすることが大好きなわたしでした。
しかしやっぱり走ることは苦手で中学校入学当時はシャトルラン25回が最高で、50mも10.9秒で走るのが限界した。笑
そんなわたしにとって毎日部活動で10キロ、20キロ走ることは苦痛でしかありませんでした。しかし自然とやめたいと思ったことはなくて、苦手だった中でも目の前のことに全力で取り組むことだけ徹底した結果、中学校3年生のシャトルランでは100回を超え、50mも7.5秒で走れるくらいに成長し、ハンドボールでも1年生の時から一回戦で20点差以上つけられて負けてばかりだった私たちが全国大会に出場するまで変わることができました。
この経験がわたしの価値観を【苦手なことでもやればやった分だけ成果は出る】というものに一変させてくれました。
次に【1番嬉しかったこと】は、高校最後の県大会で、全校応援の中で優勝し、東北大会の切符を手にできたことです。
特にも全校応援というところが一番のポイントで、わたしが高校3年間で、部活動以外にもクラスメイトや、中学校の友人、後輩などなどプライベートで仲の良かったたくさんの大切な人たちの前で、一緒に喜びを味わえたことが本当に嬉しかったです。
ハンドボールを納得するまで中学校でやり切って、高校ではずっとやりたかったサッカーに新しく挑戦すると決めていたものの、サッカーではなかなか思うように成長せず、途中でハンドボールに戻りたいと思ったことも多々ありました。
しかし、意識の高いメンバーが常にわたしの隣にいてくれて、やらなきゃ、頑張らなきゃと思わせてくれたことでぶれずにやり通すことができました!
長くなりましたが、今の私自身と価値観が作られてきた背景でした!
私は2番です!

明日はアスパラなのになぜか感情がジェットコースターのように浮き沈みする不思議な中島くんです。
中学校はハンドボール、高校は女子サッカーと球技【特にも団体競技】が大好きです!
1度自分の意思でやると決めたことは納得するまでやる!
ここにこだわって生きてきた22年間でした!
特にもハンドボールとサッカーは中途半端ではやめたくなくて、諦めたくなくて、ひたすら6年間動き続けました。
本日は私が22年間で一番辛かったこと、一番嬉しかったことを書かせていただきます。
まずは、【1番辛かったこと】
私はハンドボールを中学3年間やってきた中でびっくりするくらい変化がたくさんありました。小さい頃から運動が苦手で仕方なかった私ですが、なぜか嫌いだと思ったことはなくて、どんなに走るのが遅くてもみんなと一緒に遊んだり動いたりすることが大好きなわたしでした。
しかしやっぱり走ることは苦手で中学校入学当時はシャトルラン25回が最高で、50mも10.9秒で走るのが限界した。笑
そんなわたしにとって毎日部活動で10キロ、20キロ走ることは苦痛でしかありませんでした。しかし自然とやめたいと思ったことはなくて、苦手だった中でも目の前のことに全力で取り組むことだけ徹底した結果、中学校3年生のシャトルランでは100回を超え、50mも7.5秒で走れるくらいに成長し、ハンドボールでも1年生の時から一回戦で20点差以上つけられて負けてばかりだった私たちが全国大会に出場するまで変わることができました。
この経験がわたしの価値観を【苦手なことでもやればやった分だけ成果は出る】というものに一変させてくれました。
次に【1番嬉しかったこと】は、高校最後の県大会で、全校応援の中で優勝し、東北大会の切符を手にできたことです。
特にも全校応援というところが一番のポイントで、わたしが高校3年間で、部活動以外にもクラスメイトや、中学校の友人、後輩などなどプライベートで仲の良かったたくさんの大切な人たちの前で、一緒に喜びを味わえたことが本当に嬉しかったです。
ハンドボールを納得するまで中学校でやり切って、高校ではずっとやりたかったサッカーに新しく挑戦すると決めていたものの、サッカーではなかなか思うように成長せず、途中でハンドボールに戻りたいと思ったことも多々ありました。
しかし、意識の高いメンバーが常にわたしの隣にいてくれて、やらなきゃ、頑張らなきゃと思わせてくれたことでぶれずにやり通すことができました!
長くなりましたが、今の私自身と価値観が作られてきた背景でした!
私は2番です!

明日はアスパラなのになぜか感情がジェットコースターのように浮き沈みする不思議な中島くんです。