冗談を言わなくなった。


昨日のメモを間違えて消した。腹たち幕リング



妙に現実的なくせに現実の見えてない奴は嫌いだ。



最近急激に精神の変化を感じた。
だが4年前あの人は既に変化を感じていたというのに気が付いた。
やっぱり4年分の遅れがあるようだ。
他の人がどうだかは知らないがその事象だけで考えるとそう思える。




緊張が解ければ誰でも怠さを感じる。
リラックスとはそういうこと。
だからこそ常に自分へ微力の緊張感を与える努力をしなければならない。
いつも見ていて慣れているものには強い安心感を覚える。
家、携帯、リビング、布団などいつも触れているものは強い安心感を与える。
いつも通っているマック、カフェ、予備校の食堂いつも同じ場所なゆえ強い睡魔や怠さに襲われる。





新渡戸稲造は武士道の中で腹切は洗練と冷静な行動の究極体であり自己を証明する最後の手段だと主張した。
それは凡ゆる煩悩を消し去る力を持った人間にのみ可能な術なのだと思う。
僕らは単なる日常の中でも凡ゆる煩悩に打ち負かされ妥協し続けている。
だからこそこの事の凄さ素晴らしさがわかる。
煩悩を消し去る。
自分がこれから進んで行く為には絶対に手に入れなければならない術である。




女性の社会進出についての政策は社会的、経済的メリットを見越して推し進められているのだろうか。
もしそうでなく女性の権利問題が主な理由なら主張してる人間全員の靴の中にバナナ突っ込んで「うわっ!!うわっ!」って言わせたい。
つまり潰したいということだ。
つまり奴等は靴に突っ込まれるバナナってこと。
この実力社会の中で問答無用に女性雇用者を増やさせようだなんて政策は必ずしもメリットを生むとは思えない。
活躍の場によって女性の特性を活かせる場合も十分にありえるがそうで無い場合、デメリットが強く強調されてしまうように思える。
なので私は雇用人数調整は合理的差別だと感じている。



褒められて自分の存在、特徴を認められることが嬉しいんじゃないよ。
自分の存在、特徴を認め切った自分の思考を正しいと肯定してもらえたことが嬉しいんだよ。
この言ってる意味とその違いがわかる人はいるのだろうか。
ま、沢山いるよね。



人は16ヶ月おきに変化する。だからこそ自分の嫌いなところも好きにならなければならない。
ポケモンの無限湧きと同じだ。
逃れられない現実はそれ自体を好きにならなければ乗り越えられない。



辞書に書かれている言葉一つにどれだけの人間の意見が込められているのだろうか。
もしもそれが一人のものだったとしたら何だか面白い。
たった一人の人間が策定した意味が日本全国の標準の意味になるのだから。
たった一人の力で数十万人の観客を一体に出来るアーティストのようにさぞがし気持ちが良いことなのだろう。
さぞかし楽しいのだろう。
ただ、おれはおれの解釈をする。





今までの自分は壊滅的語彙力の妨げを受けながら問題解決を試みてきた。
もし、自分に語彙力があったら今までの数百倍速いスピードであらゆる問題を処理し解決できていただろう。
そう考えると語彙力とは自分にとって人生を左右する程重要な存在であるように思える。
養わなければならない。