花束みたいな恋をした
砕け散るところを見せてあげる
青くて痛くて脆い
「花束みたいな恋をした」
痛かった。(心が痛いの意味でなく)
〝自分たちは変わった価値観と好みを持つ〟ことの優位性により繋がった二人で
それもその考えなんて儚いもので。
共通言語をそれだけしか持たなかった二人は、エモさに浸りながら、大人になる過程でちゃんと二人になれなかった。
絹は自分は正しいと思いすぎている面があって許容力みたいなのがない。
青さを表現したかったのだろうか。狙ったのだろうか。。。
この映画の好みは両極端でその間にある溝はなんだろう。
似てる相手を好きになるのもわかるけど
違ってても好きもあるし
結局、似てるから好き=自己愛??
だからすれ違った二人は続かなかったような気もする。
何故、花束みたいな恋をしたっていう題名なのだろうか。
※好きな人に配慮のため非公開にした
「砕け散るところを見せてあげる」
あなたは永遠の私たちのヒーロー
壮絶なストーリーと映像で怖かった。
一番は堤さんの演技がとても良かった。
多分原作から描ききれない部分もあっただろう。
「青くて痛くて脆い」
良い意味で裏切られた。
途中まで、ヒロインは何故死んだのか、病気?
またそういうのだったら嫌だなぁなんて思いながら見ていた。
謎を探りながら見ていくと、180度切り替わる感覚が良かった。
傷つけあうことを恐れて人と距離を取りながら生きてきた主人公。
傷つけて傷ついてをしてこなかったから、、、、
はるヲうるひと
岬の兄妹
愛について語るときにイケダの語ること
映画の話
どれも性愛を描くので語りづらい話なのだ。
だけど、何か雲を掴むようなぼんやりとしたものではあるけれど
稚拙でも何か残しておきたい、と言う衝動を
感じてしまい。
まず「はるヲうるひと」
佐藤二郎監督
元は舞台作品を映画化した作品
観終わった後wiki見てみた。
コメディじゃなきゃ出資出来ないと言われたらしい。
このテーマをコメディにすると映画の主旨が違ってくるよと思う。
春を売るひとを笑ってどうする。
別に映画撮れればなんでもいいってわけじゃないだろうに
真面目にこれをやりたいと言う思いだろうに。
テクニック的にコメディへ持っていって哀愁へといけそうにも思うけど
佐藤二郎はそれをしなかった。
あつい気持ちのこもった映画だと思った。
コロナで公開延期になった時の悔しさは計り知れない。
人間の生臭い部分を見せられた映画。
共感なんて求めていないような映画。
分かったような気持ちにすらなれなかった。
「岬の兄妹」
3人の障害者が出てくる
身体障害者の兄、自閉症の妹、小人症の男
賛否両論のひどい話
いつだって、現実なんて救いようのないものだ
誰が助けてくれる?いざとなったら目すら合わせないだろう
自分は安全なとこへいて
ひどいも何もありゃしない
って言われているような映画。
だからひどいも何も言えやしない。
兄がお金の入ったウエストポーチを奪われそうになった時
展開としては咄嗟に近くにあった棒で叩く必死に必死にそして相手を傷つけて(殺して)しまう
と言うのも考えつくのだけど
この映画では何故か自分の大便を投げつける
何故大便なのだろうか
観客に投げつけ見せつけているように思う。
直視したくないものをどうだ、触りたくないものをどうだ、と。
小人症の男性「僕だったら結婚してくれると思ったの」
この言葉には自らの卑屈と相手への蔑みとが込められていると感じた。
妹は好きだったのかもしれない。
結局子供は中絶、それにリアリティを感じた。
観客みんながそう思っただろう。
これではい産みましたって言っても子供が幸せになる未来は描けない。
それが現実で、きっとどこかの誰かの現実
「愛について語るときにイケダの語ること」
性愛を描きつつ内面からピュアさが滲み出る
公務員だったイケダはただの公務員ではなかった
公務員だって障害があったって爆発しそうなびっくり箱みたいな人間
どこかの一人の人間ではなく間違いなく
池田さんという面白い人が一人いたよ、面白い人だったよ
ということしっかりと刻みました。
無謀で無茶にも思えることを
覚悟を持って面白おかしくやってのけるところが素敵だなと思った。
「愛してるって言ったことある?」
何を言いたいのかとかわかるというか
誰しも同じような気持ちだったことはあるんじゃないだろうか
ここが共感を得ているんじゃないか
と思う。
ーーー
私はどんな感じで死ぬんだろう。
イケダは生きていることを存在していることを
生々しく生き生きと表現して
その命を燃やし切るように亡くなった。
私は呑気すぎる贅沢すぎるかもしれないけれど
あっけに取られるくらいあっさりと
と思う。
やはり贅沢だろうか。
今死が迫っておらず何の不吉も感じないからこそ思うことかもしれない。
ごめんなさい。
昔こんな方がおられたらしい。
鳩のフンに当たって死んだ方。
家族はなんと運が悪くと嘆いていたが
むしろ羨ましいと思ってしまった。
家族や知人に、もしくはそんな話を聞いた人に
ちょっと苦笑いされるくらいがなんだか丁度いい。
あと、おにぎりを無茶食いしている最中に亡くなった方。
ほかに、ツイッターで拝見した、(私は存じなかった)有名な方
突然持病もなく亡くなったが
翌週の大豆田とわこさんのドラマを楽しみにしていて
あぁ、なんだかいいなぁと思ってしまった。
願わくば生きる気満々で死にたい。
『40年の年間死者数は約168万人、つまり1日で約4600人が亡くなる計算。平成元年にあたる1989年(約79万人)の2倍以上
横浜市で2棟の遺体ホテルを運営するニチリョク(東京都中央区)の葬祭事業部、横田直彦課長「遺体ホテルの需要は高い」
「横浜市で最も新しい火葬場は30年以上前に建設されたもので、そこから増えていません。一方、亡くなる方の数は右肩上がりです。現在は、火葬まで4~5日間待たなければいけない状況です」(横田氏)
→何故火葬場が増えないか
・公共の火葬場は価格を安く設定してあり民間業者は公共と張り合っても勝てない
・需要のピークが2040年/団塊世代、団塊ジュニア世代が亡き後は、逆に火葬場が余る
「40年には病院が足りなくなり、新しい葬儀のかたちが広がると思います。亡くなる前には入院しますが、病院数を急激に増やすことは難しいため、入院できずに自宅で亡くなる方が増えます。現在は、亡くなる方のほとんどが病院ですが、将来的に自宅が2~3割ほど増えると思います。
自宅で看取られた場合、そのまま火葬日まで安置すればいいのでわざわざ遺体ホテルを利用する必要がありません。現在はインターネットでひつぎや骨壺なども購入できます。火葬場の予約と霊柩車の手配のみを葬儀屋に依頼する”セルフ葬儀”が広がっていくのではないかと思います。
自宅からの出棺が増えれば、葬儀屋の仕事は霊柩車の手配などに限定されます。
そうなると、かなり仕事が減ってしまいます。」(横田氏)
20年4月に鎌倉新書が発表した「お葬式に関する全国調査」
・一般葬の費用は約239万円
・家族葬(家族や親せきなどだけで執り行う葬儀)は約137万円
・一日葬(お通夜を行わずに告別式と火葬を一日で行う葬儀)は約135万円
・直葬・火葬式は約80万円
葬儀規模の縮小に伴い費用も下がる。
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2040て後20年後
横田さんは個人的な予想として、
・病院増やせないので、自宅で看る、看取るが増え自宅で亡くなるケースが増える
・そのまま自宅葬→火葬日まで安置
しかし、火葬場も飽和状態だと火葬までの日数も伸びてしまうので
ドライアイスの売上伸びるとか、
遺体が痛みにくい特別な棺桶(冷蔵庫みたいに冷却装置つけるとか)が生まれる
とか?また何かが必要とされるだろうと思う。
家族からしたら、肉体の痛みを見るのはとても辛いので
なんとかしたい。
ちょうど3ヶ月前に愛犬を失った。
悲しみの中、ようやく落ち着き深夜、24時間対応のペット火葬業者に連絡したら、
火葬は二日後になると言われた。
他者にも電話をかけるとどこも同じで3日後、4日後などなど。
(どこも大体システムは同じで、黒い服着た人がうちへ数人やってきて
火葬能力のある車で火葬を行うそうなのです。
自宅のすぐそばまできてくれるのはありがたいサービスだなと思った。)
満杯なのだと説明され
火葬場は人間だけじゃなくペットも対応してくださったらいいのに
と思ったことが蘇る。
ペット葬祭も飽和状態。
それに見てみたら、ペット用の骨壷、祭壇、仏壇もすごくて
ペット葬儀の需要の高さをとても認識した。
結局、目の前で愛犬の体が痛ましくなっていくのを目の当たりにするのが
とてもつらかったので、父を頼って、翌日に歴代のペットのお墓の近くに埋葬してもらい
温かく良い葬式が出来たので父には本当に感謝している。
決めかねて、どうしようと考えていた時に
父にドライアイスを買って置いておくといいよと提案されたりとか
あったので、こんなこと考えるのです。
病院に入院出来る今が幸せなのかもしれない。
入院保険も入院したくても入院出来ずでは将来もらえないな。
最近、義姉はぽっちゃりしてきたことを自虐する
私が夫と結婚したくらいの時は普通の体型で
体質が変わったりなどでそうなのかなと思う。
私は姉のことを太った人と言う目で見てこなかったので
自虐されると、どう反応していいか困ってしまう。
姉のせいではない、その及ばない、体質の変化などだと思うので
どうか自虐しないでほしい。
太っていようが痩せていようが
姉は姉だ。
姉自信が困惑しているように思う。
今まで太っている人ではなかった自分が太ってる側に回ったことに。
それを自分で茶化していることに姉の悲しさを感じる。
うちの母も元々は太り気味ではなかったけれど、
一時期あれっと思うくらいになり
10年くらいしたら元に戻って
今では、もう少し太ってもいいくらいになった。
痩せられると不安になるし困る。
さて自虐。
そう言う自分もいってしまっているんだな。
相手の困る自虐を、自分も言っちゃってる。
自虐するその悲しさを知っているからこそ
姉の悲しみや心の傷つきもわかり、
今回、言わないで私まで悲しくなる
となってしまったのだろう。
笑っているけど、つらいよね。と。
しかし自虐には、言いながら受け入れるプロセスも内包している。
もし癌や他の病気になったとして、受け入れるには〇〇だから仕方ないよねとか
口に出しながらショックを受け入れてくことも必要のように
思う。
必要な自虐と不必要な自虐。
細かなニュアンスから
言う本人によって自虐でなく事実を言っているだけの雰囲気なのかどうなのか
わかるよね。
そこまでくれば、向かい合う相手も聞いていて辛くなくなってくる。
心の苦しさを感じ取ってしまうから自虐は聞いて辛くなるんだ。
ろうなぁ、、。
不燃物持ち去りのニュースから
『福岡市は、集めたアルミくずを入札で回収業者に定期的に売却。
市東部資源化センターだと、昨年11月の売却価格は1トン当たり約10万円、前年同月比で約2・2倍。直近は同9万円だが、高値域が続く。
主な要因はアルミニウムの世界最大の生産国である中国の政策転換にあるという。
20年ごろから、中国は気候変動対策として二酸化炭素の排出量を削減するため、原料のボーキサイトからアルミニウムを製錬する量を減らし始めた。
中国国内の電力不足も背景にあるという。アルミの生産量が減ったことで世界的な再利用スクラップの争奪戦が起き、国内価格の高騰につながっている。
福岡市によると、持ち去りは一般的に刑法の「窃盗罪」に該当しないと解釈
マンションなどのごみ置き場に持ち込んだアルミ缶などは「無主物」扱いとなる。
同市など全国の自治体が条例で持ち去り禁止の条項を設け、常習者に「過料」を科すなどの対策を取る。熊本市は氏名公表など全国的にも厳しい内容。
福岡市は21年度、アルミくず売却だけで既に7400万円の収入があった。』
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地域差はあれど
アルミくず売却益がこんなにあるとは!
と思った記事。
もうこっち側からしたら、不要なものを出してるだけなので
多分儲かってんだろうな〜〜くらいで
ぼんやりとしか意識してなかった。
住んでる地域の不燃物回収の売却益くらい
毎年調べてみるといいかもって思って
昨年の決算資料みたら、めっちゃ資料長くて。。。
どこに書いてあるかも分からずひたすらスクロール。
スクロール。
スクロール。。
黙って探してたんだけどバーがあんまり進まないのでページ数見たら
全部で370pあるやないかい。
近くの湖の貸し自転車の年間の利益や、公務員宿舎賃料など目に入ったりして、ほほう、、
となかなか面白い。
食品の原材料ラベルもつい読んでしまうという活字中毒の方には
ぼんやり読むのにうってつけではないだろうか。
リサイクル事業収益は広報誌にも出てたかもな、とも思う。
夫の実家の家業について(いずれ継ぐ予定)
「課税事業者となる手続き」を踏んだ方がいいのか、どうなのか。
「適格請求書発行事業者として登録されている他の業者から仕入れた方が、仕入税額控除を認められて、消費税の負担が減らせるのです。 免税事業者が得意先に渡す請求書や領収書に登録番号が記載されていなければ、得意先は仕入税額控除を認めてもらえず、消費税の負担が増えます。そうすると、多くの取引先は、免税事業者と取引をやめる事態になることが容易に想像できます。」
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・売上の中心が一般消費者や免税事業者ならさほど問題はない。免税事業者のままでいい。
・お客が課税事業者メインならインボイス制度を考える必要がある、売上の相手が課税事業者の場合、相手側から見て支払った消費税で税金を減らすということが出来ないので良いとは言えない、下手したら節税対策の意味で他の課税事業者に乗り換えられる可能性。 あるいは、免税事業者を理由に消費税分を安くするように買いたたかれる可能性も低くない。
ネットニュースを見ていたら
昨年10月のスッキリでの様子が記事になっていて面白かった。
ー綾部祐二(43歳)の近況についてー
又吉「いろんな世界各国の人が集まっているから。ニューヨークは。(綾部は)いろんな国の熟女とお茶だけはしている」
加藤「俺が言っても動かないだろう、あいつ。あいつ、もう“見(けん)”を仕事にしているんだろう」
「見を仕事にする」面白い表現
当たり前だけど、それでお金になるのならばそれでいいが、(綾部さんはネタだろうし面白いからいいとして)、普通の才能のない一般人は見から文章を書いたり何か表現したりするわけではない。
なのに見を仕事にしている
仕事するように見をしているとも思う。
インスタグラム見なくてもいいんだけど
何で見るかね(よく見ている)
今年は時間泥棒に
なるべく自分の時間を明け渡さないように
しなくちゃね。
自分の人生を奪われないように
しなくちゃね。
前にヤフー掲示板を見ていた時に
気まぐれで入ったしりとりの掲示板
和やかでよかったのだがそれもヤフーのサービス縮小で閉鎖になった。
そのあと別のサービスへ移転作業してくださった方(Aさん)のしりとり板で
まだちょこちょこ参加させて頂いている。
途中参加をしていない期間も長くあったのだけど昨年からまた参加。
これはどんな掲示板でもそうだけど
全く知らないからおもしろい、本当にどうでもいい作業だ。
そんなどうでもいいことをやるおもしろさ。
書き込むのはいちにち一回か二回くらい。
そんなこんなでもう投稿数は五千番代なのでたいしたものだ。
私は、誰にも期待されないところが好き。
どうでもいいから好き。
それでもしりとりは人によって選ぶ言葉が違うから
何の言葉を書いてくるかで展開がパラレルワールドみたいだと
そんなふうに思う。
私が参加しようと、しまいとも、しりとりは続いていく。
知らない同士が地味にほとんど誰にも知られずにしりとりをしているのって
なんかシュールでない?
やってもやらなくてもどうでもいい心地よさよ。
そんな中、
掲示板を複数立ち上げては消去するを繰り返す方がいる。
彼はうつ病なのだという。
私は面倒ごとを嫌うのでスレ主なんてなりたくない
参加するなら居候くらいが丁度いい。
それが彼は違って何としても自分が主の掲示板を立てたいという欲があって
そして人を誘ってくる。
(私は最初のしりとりの主であるAさんの板だけ参加)
だけど、ちょっとしたらすぐに消すので番号は500にもいかない。
参加した人はそれまでを消されても何も文句は言わない。
そういうことをもう何年も何回も繰り返している。
優しい関係だ。
私なんかは、そんな不義理をしたくはないから
最初から間借り人なの。
彼が、掲示板がないと
クリスマスもお正月も寂しいから復活させた、という。
ここでも、はて、、、と思う自分がいる。
寂しくて自分は参加しているのだろうか。
全く違うような気がする。
まぁ向き合い方が違う方と自分を比べてもなのだけど。
しりとりを書き込んでも、寂しさは埋まらない。
だけど、その方にとって掲示板は、ほんのひとひらの花びらみたいに
ほんの小さな灯火みたいなものであるのかもしれない。
そんなものって意外と大事だし
そんなものが命を繋ぎ止める力になったりするかもしれない。
いろんな人がいて
というのを実感する場でもある。


