「薬」を持たない生活。

「薬」を持たない生活。

自宅に生えている雑草が美味しい♪

 

 

クリスチャンに対し

異常な拒否感を示す方がおられるが

仮にその相手がわたしであるとするならば

 

それを受けたわたしは

「えっ!なにそれ?」

としか受け取れません

 

過去にそういう嫌なことがあったとしても

それはわたしではないですし

出会った人に同じ思いをさせるならば

それは自身の怒りの負の感情であって

とても不愉快な思いをさせられます

 

宗教はいろんな分野に行きわたります

クリスチャンだけがそうではないと思います

 

「どいつもこいつも‥」

 

そんな目で見たり考えたりしているのでしょうか

 

 

急に現れて 急にいなくなって

わたしはなにもしていないのに

 

「なにを考えているのだろう この方」

 

そう思いました「独断と偏見」という言葉が

ありますがそんな印象を受けました

 

 

自分だけが正しいわけではないのに

クリスチャンでなくても 神様を冒涜するような発言も

あります 他人の意見はどうあれ

自分の発言は簡単に曲げます

 

この間言った発言とまったく異なるので

自分本位に簡単に意見を曲げるなら

あまり信用できませんね

 

 

わたしもまた近づくと怖い目にあいます

今はそれでよくても霊魂となった場合

そのやり方は地獄に近づきます

 

いくら知識や経験が豊富であっても

相手を不愉快にさせる言動は嫌です

 

どの分野においても宗教活動はあるかと思います

わたしも過去に言葉としてはなくても

勧誘はありました それを根に持ったこともないし

 

そういう状況下に置かれている人なんだなと

淡々と考えます 近づきたくないなら

離れればいいだけであって

 

それは大人の事情でなくても こどもたちにも被害が及びます

「これ(新聞)次男が来たら渡してください」

と言われ それで訪問してきたのか

と思いました。親子で活動している人もいます

 

でも彼らは人を随時非難するような言葉は発しません

不愉快な思いをしたから誰にでもその感情をぶつけるのは

いかがなものかと思いました

 

感情をぶつける相手が違うのではないでしょうか

それはあなたが過去に出会った人々であり

 

どういうことで急に対象がすり替わるのでしょう

 

言葉も汚いし 別人のように感じます

このようにクルクル感情が変わる人もいます

 

天使がサタンになったかのように…

 

 

負の感情が大きければ大きいほど

心は安定しません

サタンもしのび易くなります

 

そしていつしか心だけではなく

からだのほうも病んで来ます

 

大事なのは相手を非難する事ではなく

いたわる心ではないでしょうか

 

自分の感情を露わに押し出すと

自分自身が疲れないでしょうか

 

 

 

 

 

 

クリスチャンでもないのに

変だなとずっと考えていました

 

 

そこに「愛」は 存在しないのだと悟る

 

人間は損得勘定だけで生きることは難しい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしは相手をどうこうすることもできないが

 

偶然とはいえ相手にされた方は驚かれてしまいます

 

 

どんな場合にも「愛」が存在しなければ

 

よい答えは導かれません

 

 

 

 

 

 

 

 

愛は男女の愛だけではありませんね

 

 

 

 

 

 

 

信仰において偽りは必要ない

 

今 その時ではないでしょうか…

 

 

もう目覚めないといけません

 

自分の行動を振り返りましょう

 

それは真理とは言えません

 

わたしたちはもう気づいています

 

もう止めませんか

あなたの心にある真理に届けたいのです

 

愛という本当の真理に

 

 

 

 

 

 

 

わたしのことを悪く思わないでください

 

それはわたしではなく

 

あなたの心なのですから…