ソロスとロジャーズはうまく噛み合いました。

「通常、意見が一致しなければ、われわれは何もしなかった。」とロジャーズは語っています。しかし、いつもそうだったわけではありません。もし一人が、ある投資をしてみたいと強く思った場合には、それを実行することができました。

「一回よく相談すれば、ある投資が正しいかどうかを決めることができた。よく話し合えば、コンセンサスができた。

通常、コンセンサスに基づいて投資することは失敗するので、その言葉を使うのは好きではないが、われわれはほとんど常に意見が一致するようだった。」

彼らは独立心が強いことを誇りにしていました。それが、いずれ二人が別れる原因となるのでした。

彼らは、あまりにも独立心が強かったため、あまりにも多くのことがお互いの欠点として目に映ってしまったのです。

ファンドの規模が大きくなるにつれ事務所の人数も増えていきました。

当初3人で全てを行っていましたが、このころには従業員も増え12人になっており、もはや個人事務所ではなく、組織としての行動を求められるようになりました。

しかし、ジム・ロジャーズは大きな組織を運営することには関心がありませんでした。
そして、不和が決定的にとなったのは、ソロスが新たな経営者を、願わくは自分の後継者として育てられるような人材を呼ぼうとした時でした。

ロジャーズはそのアイデアを受け入れませんでした。

「彼は、私が考えていた候補者を、誰一人として認めなかった。自分の周りに、これ以上の人間がいることに我慢できなかったのだ。」とソロスは語っています。

二人のパートナーシップの解消は皮肉なものでした。なぜなら、1980年こそ、ソロスとロジャーズにとって最も成功した年だったからです。

その年の5月、ロジャーズはファンドを離れました。

ファンドの株式の20%(1400万ドル相当と言われています)も彼と共に去りました。

ソロスもロジャーズも、公の場でこの不和の原因に言及することは無かったそうです。

ソロスはその後も、ジム・マルケスやアラン・ラファエルなど、ウオール街でも
一流だったファンドマネージャーと共にチームを組んで活動するが、やはりそれほど長続きはしませんでした。

やはりチームに二人の英雄は要らないということなのでしょうか。

事実、マルケスには最後にこう言っています。「好むと好まざるとにかかわらず、私がこの船の船長だ。それに、最も経験に富んだ者が指揮をとるべきだ。正直言って, この二人の中ではそれは私だ。」