1960年代後半、ソロスは、金融界のメジャーリーグで活躍するようになる。

彼は、1967年に<ファースト・イーグル・ファンド>を立ち上げ、2年後には

<ダブル・ファースト・ファンド>と名づけられた世界で最初のヘッジファ

ンドの運用を開始しています。

ソロスはファンドの運用を自らの資金で始めたが、その額はわずか25万ドル

でした。

これがソロスの富への始まりだったわけです。

ソロスを知るヨーロッパの富豪たちは、その額に600万ドルをすぐに追加し

ています。このファンドはオランダ領アンティル諸島のキュラソーで運用

されていたため、SEC(アメリカ証券取引委員会)に報告する義務もな

いし、キャピタルゲインに課税されることもありませんでした。その意味

でも、ソロスは既に金融の最前線を走っていたことになります。

ヘッジファンドですから、「空売り」もするし、投資対象はアメリカ国内に

留まらず日本を含む世界に広がっていました。

この年、ソロスは同じ会社で働いていたジム・ロジャーズと「ソロス・ファ

ンド」を立ち上げます。

ソロスとロジャーズ。彼らはウォール街で最強のパートナーと称されるほど

圧倒的なパフォーマンスをたたき出します。

1969年のスタートから、二人が別れる1980年まで、ソロスとロジャ

ーズが損出をだした年はありません。ウォール街で働く人々は尊敬の念をも

って二人の噂をし、経済、市場がどこに向かって動くのか、二人が他の誰よ

りも知っているかのように観られていました。

1971年のソロスファンドは1250万ドルでしたが、1980年の終わ

りには3億8100万ドルまで成長しています。ざっと30倍にまで膨張し

たことになります。

その運用成績は1970年代の後半に、特にすばらしい成果が観られます。

1976年は61.9%、翌77年はダウ平均がマイナス13%という環境

のなか31.2%の成果をあげ、78年には55.1%という驚異的な運用

成績をたたき出しました。

1979年、この年にソロスファンドは<クォンタムファンド>とい名に改

られました。そしてこの年も55.1%という実績を残し、巨大な利益を

もたらし続け、衰えることを知らないようでした。この年のファンドの規模

は既に1億7800万ドルに増えています。

因みに、1980年のソロスの個人資産も1億ドル相当に増えています。

この年のドル・円は220円くらいが平均ですから円換算で220億円とい

うことになります。