シングルマザーの目で世の中を見る -2ページ目

シングルファザーの世帯数17万世帯

 先日のNHKクローズアップ現代でシングルファザーの特集をやっていた(http://www.nhk.or.jp/gendai/?05031811 )。それによるとシングルファザーの世帯数は推計17万世帯なんだそうだ。

 ってことはだよ、シングルマザーの世帯数推計122万5千世帯とあわせると、139万5千世帯になる。前にも書いたが、シングルマザー・シングルファザーの世帯は子どもとあわせて必ず二人以上。つまり、139万5千×2以上が、シングル親世帯の構成員ということであり、つまりはシングルマザー・シングルファザー、シングル親に育てられている子どもたちあわせて279万人は少なくともいるってことになる。いやー、横浜市人口に迫ってきましたねー。

 私個人はシングルマザーであるということを隠してはいないが、シングルファザーは隠したがる、というのを番組でみて、そうかー、なんかつらそう・・・と身につまされる思いがした。

 隠す気持ちもわかる。わかっちゃいないやつに限ってわかったようなこというし、助けてもくれないくせに口出しと差別はする。「かわいそうねー」だの、「子どもがかわいそう」だの、「再婚したほうがいいんじゃないの?」だの、ったく、余計なお世話だっつーの。うざいよね、たしかに。

 しかし、隠さないほうがいい理由がひとつあると思う。

 政策が、数で作られるからである。具体的な当事者の数字がないと、国が動かない。政策が変わらない。

 行政が計画をつくっていくときもとになるのは統計だ。統計に出ていない人は、存在しないとみなされる。存在しない人に対する政策はつくられない。だから、ホントは実態に即していないのに、無理やり都合のいい統計データ(人口推計なんて最近まで右肩上がりと予測されていたのだ)までつくるなんて裏技も使われたりする。公平性をたてまえとする行政にとっては、とにかく統計が目の前で困っている人よりなにより大事なのである。

 父子家庭の手当てがないというのもおかしい。手当ては、親のためのものではない、子どものためのものである。親の性別による子どもへの差別は不合理だ。

 シングルファザーのみなさんも、手当てなんてかっこわるいなんて思わないでほしい。子どものための手当ては、別に親に対して払われている金ではない。子どものための金である。

 同じ番組で、私の住む栃木県鹿沼市で、シングルファザーの手当てを全国にさきがけて市独自事業として補助していることが報道された。鹿沼市の英断に拍手を送りたい。こういうのを、ホントに、地方の実情にあわせて独自性を生かした行政というのだ。ニーズがあるからやってるわけなんだから、国も事業化するべきでしょう。

 しかし、財政難の折、視察にくる自治体はあってもマネする自治体が少ないとのことだった。情けない。市民が求めてもいないのに城の復元やったり(ちなみに私の住んでる宇都宮市でもやってます)、道路つくったり新幹線つくったり議員が海外視察にいく金はあるらしいのだが。

 そういうやつらに限って、「バウチャー制度(保育料などを現金で渡して受益者が保育機関などと直接契約できるようにするほうがいいんじゃないかという議論が今されてます)にすると、親がもらった金を育児に使わずパチンコに使ったりしてしまう」などといったりする。

 しかし、ホントに困ってるところに使わずに、国民・市民から集めた税金で城の復元やら新幹線建設やら道路工事やらには金ばんばん使ってる人たちに、そんなこといえるわけ? 私の目には、金もないのに子育て支援の金削る一方で、新幹線やら道路やら城復元やらは一向にやめる気配がない行政と、金ないのに子どもの保育料をパチンコに使ってしまう親は、あまり違うようには見えない。


  

 


シングルマザー・シングルファザーの温泉問題

 栃木県でシングルマザー・シングルファザーのグループの世話人をしている。東京にはシングル親の横のつながり・情報交換のための組織がたくさんあるようだが、栃木で探してみたがみつからなかった。仕方ないのでつくりました。まだメンバーは少ないが(といっても子どもも入れるとけっこういるかも)みんなで考えて、こぶつきなので「らくだ」、子どもを中心にしてつながっている仲間なのでコドモネット、これをくっつけて「コドモネットらくだーず」にした。

 ところで、その「らくだーず」で、今日、これから温泉にいこうといっているのだが、シングルになって困ったと思ったことのひとつに、「子どもと一緒に温泉に入れない時期がある」という問題だ。

 異性の子どもとペアだと、せいぜいいっしょに公共の風呂に入れるのは8歳くらいまで。栃木に引っ越してきて一番ラッキーだなーと思ったのが温泉の豊富さで、ちょっと車でいくといくらでもある。しかし、最近、いっしょに温泉に入れない。子どもが大きくなりすぎた。息子も女湯に入るのも嫌がるようになってきた。しかし、まだ「1人ではいっておいで」というには少し幼い。

 同じ問題を多分、シングルファザーたちも抱えていることだろう。

 ということで、コドモネットらくだーず、男湯担当引き受けてくれるシングルファザーのメンバー募集中です。連絡は rakudaas@freeml.com まで。あ、シングルグランドファザーでもいいすよ、もちろん。なお、このMLは参加者限定なので、いったんひっかかります。あまり主旨に関係ない方は、お互い時間の無駄なのでご遠慮くださいね。それからもちろん、シングルマザーのメンバーも募集中。会長なし、規約なし、都合のつくとき気が向いたときだけ参加の会で、年に何回か会って遊んだり、あとはMLで情報交換などしてます。シングル親は基本的に忙しいもんなんで、別にMLだけの参加でもぜんぜんOK.横の繋がりと情報がほしい、それから小世帯ではなかなか難しい(というより盛り上がらない)ような子どもといっしょの遊び(例えば山にいってバーベキューなんてのも、二人くらいじゃちょっと盛り上がりに欠けるんで・・・)もやりたい、というような主旨でやってます。


公務員の休息時間短縮

 国家公務員の休息時間廃止が人事院から発表された。
 たいへんけっこうなことである。
 休憩削って働くことがよいことだとは思わない。本当は民間企業でもそういったゆとりをもった働き方ができる世の中になったほうがよいと思う。
 しかし、実態は違う。国家公務員の休息時間が廃止になるということは当然、地方公務員もこれに準じるだろう。休息時間も有給扱いされるということは、トータルの拘束時間が少ないということだ。現に、人事院はこの休息時間の分を後に回して、勤務時間を延長するように、といっている。保育園に預けている公務員はそれでは困るので昼休みを30分にして早くあがることを認めるといっている。

 公務員はいいけどさ、民間企業で働く人たちが同じ問題で困ってるって、なんで思いいたらないのかな?
 
 とりあえずこれで保育所や学童保育の開設時間を決めている公務員のみなさんは、その開設時間が民間企業に働く労働者の実態にはまったく即していないことが、ようやっとわかるようになるわけである。
 認可保育所の開設時間は7:00で閉まるのが18:00、学童保育は18:00で閉まるところがほとんどで、延長保育は運良くあっても19:00まで。
 民間企業は、拘束時間が基本8時間で、休憩含めて9時間。始業ぎりぎりに飛び込んで許してくれる企業は少ないし、通勤時間をぎりぎりで見込んで就業することはできない。オフィスワークであれば少なくとも前後10分くらいは余裕を見ておくのが常識だろうし、工場労働などで制服に着替えたり、工場が広くて(だいたいにおいて工場って広いよね)駐車場などから現場にたどり着くのに時間がかかる場合には、20分は少なくともみておきたいところだろう。
 私の場合は子どもが越境通学をしており、送り迎えをしている。学校が始まる8:00頃までに学校に到着、企業が仮に8:30始業のところだと、20分通勤圏内のところにしか就業できない。では9:00始業のところを探せばいいだろうと思うかもしれないが、9:00始業のところは終業時刻も遅いのである。今月いっぱいで追い出される学童保育の終了時間は18:00、だいたい、企業っつーのは、8:30~17:30とか、9:00~18:00という時間設定になっている。ぜんぜん間に合わない。
 そこでパートということになる。シングルマザーの収入が少ない理由のひとつがこれだ。あと15分が足りないがためにフルタイム扱いされない。残業もできない。休日出勤もできない。転勤もダメ。子どもが熱だせば休む(他にどうしろっての?)。
 せめて、フルタイムで勤務できれば、何年か残業できないくらい理解してくれる企業はまだある。しかし、あれもだめこれもだめでは、企業にしてみれば意欲がないと思うわけだ。あれもダメこれもダメでは交渉にならない。だったらそもそもダメだよね、ということになるわけ。
 これを機会に、まずは実態にあわせて就業前・就学児童ともに保育時間の見直しをすると同時に、いずれは就業形態による所得格差の解消・基本拘束時間短縮、ワークシェアリングを検討するところまで進めて議論してほしいものである。
 まあ、最終的には、金がなくてもシアワセに暮らせる世の中になればいいんですけどね。

もと記事は下。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060302-00000016-yom-pol

幼稚園児童殺害に思うこと

 こういう事件がおきたとき、私たちが得られる情報はそれほど多くないのだが、少なくとも送迎は本人(容疑者)の意思ではなかったらしい、ということはあるようだ。他の保護者が「当番じゃないのについてくる」と幼稚園に苦情をいっていることから、この送迎は本人たちが自発的に行っているものではなく、幼稚園が主導して行っていたものであることがわかるし、琉球新聞の記事 http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-11331-storytopic-11.html  にも、「担任の保育士(幼稚園教諭だとおもうが原文のまま)に子どもを自分で送迎したいと繰り返し相談していた」とある。ここからわかるのは、ひとつには、多くの幼稚園が行っている送迎をこの幼稚園ではやっていなかったらしいということと、それを保護者の当番制で幼稚園がやらせていたらしい、ということだ。

 PTAなどでもそうだが、「子どものために」という名目のもと、一方的に押し付けられて当人は必然性も効果もわからず納得もしていないことを強制されるケースが実に多い。(そもそも任意団体に過ぎないPTAへの参加がほぼ強制となっている(あるいはそういう錯覚をPTAや学校が利用している)のもおかしな話である。)

 協力しないと「子どもがかわいくないんですか?」とくる。「いいことの強制」は怖い。反論のしようがない。おまけに逃げ場がない。

 自分が望まない閉じられた人間関係に無理やり縛りつけられて逃げられないストレスは大きい。

 だから殺していいとはいわないが、そういった人間関係に追い込んだ人たちに責任はないのだろうか。

 クレームがついたときにやめときゃよかったとか、対応するべきだったとかそういう次元の話ではなく、そもそも保護者を動員して幼稚園が送迎をやらせているという行為自体がおかしかったことを自覚すべきだ。

 



母子と寡婦をいいかげん分けてくれ!

 母子と寡婦は「母子及び寡婦福祉法」というので、ごっちゃにされている。

 戦争未亡人を中心に考えられてつくられた法律だってことがあるらしい。

 しかし、もう60年以上たったよ、戦後? いいかげん、変えてくれないかな、法律。なんで誰もなにもいわないの、これについて? いってるのかな?

 母子の問題と寡婦の問題は、戦後はともかく、今ではぜんぜん違う。

 寡婦の問題は、すでに今では高齢者問題だ。しかし、母子家庭や父子家庭(父子家庭は今までほとんど無視されてきた)の抱える問題は、子育ての問題なのだ。

 母子・父子と寡婦ではこの21世紀にいたっては抱える問題がまったく違うのに、法律でいっしょにされたまま放置されていて、母子寡婦福祉連合会なんかも、そりゃ、母子の問題で行政に文句いったりする元気なおばちゃまたちには敬意を表するが、しかし、それとこれとは違うんだよ、ぜんぜん。当事者じゃない人たちが、いっくら「母子家庭のためにこうするべきだ!」なんていってたって、困ってる本人たちの感覚と、まったくずれちゃってたりするのだ。

 政治家の存在意義は立法にあるのなら、はやく変えてちょうだい、この法律。時代錯誤もいいとこだ。寡婦を外して(それは高齢者のどこかに位置づけるなりして)、母子と、あと、父子をちゃんと法律に明記すべきだ。

 




母子家庭等自立支援計画って知ってます?

 さっき書いた記事がなぜかどこかにいってしまった・・・(泣) 実はブログの使いかたがイマイチわかっていないせいかもしれない。同じことを二度書くというのも気が抜けるので他のこと書きます。さっきはNPOギョーカイのジェンダーについて書いたんですが。どっかから戻ってこないかなー、あの記事。無理か。

 ところで表題の母子家庭等自立支援計画ってやつなのだが、これ、今、全国の自治体でつくられてるって知ってました? すべての自治体でつくられるはずなので、市役所とかのホームページとか検索してみるとひっかかってくるはず。シングルママにはおおいに関係あることなのでチェックをおすすめしたい。

 行政の計画っていうのは、知ってる人は知っている、知らない人は知らないし知り方そのものを知らないっていうかんじのもので、「私には関係ないわー」なんていってるうちに、ほら、児童手当が削られたりしてるでしょ、あれはちゃんと行政の計画に書かれているのだ。関係ないなんていってる末端に、一番さきにとばっちりがくるのが行政の計画なのである。

 この計画のミソは、つまり、「手当てをこれから切っていくから、かわりに自立支援する」ということで、要はもう手当ては出さない方向でいくから覚悟して働け、ということなのだが、私は、そうなると生活保護に移行する人が増えるんじゃないかなーと思っていた。が、その生活保護も今後、削減されていくということである。

 障がい者自立支援計画ってのもあるそうだ。

 高齢者の医療費も削減されるっていうし、高齢者関係の補助も、そのギョーカイの人にきくとどんどん削られているとのこと。

 要は、セーフティネットなんてもう、政府に期待できないってことね? しかし、だったら政府って、なんのためにあるのかね? 別にいらないんじゃないの、すべて自己責任なら?

 アメリカのハリケーンで人がたくさん死んだとき、日本のメディアは「イラクへの派兵で国内が手薄になった」せいだと批判していた。

 しかし、日本もひとのこといえるのか?

 高齢者になっても障がい者になっても母子家庭になっても働けなくなってもすべて自己責任で、そのかわり、誰の悲願だか知らんがどこかの利害関係者の悲願の新幹線やら高速道路はばんばんつくる方針だそうだ。そういうことやってる場合かっての。

 税金払いたくなくなるね。低所得だからあんまり払ってないけど。


 



 

未婚シングルママご苦労お察しします

 先日、少子化をテーマにした新聞の特集で、シングルマザーとして取材を受けた。その際、記者が、未婚のシングルママは「不謹慎」だからそういう論点は抜かせという社内のチームメンバーの声があって困惑している、といっていた。

 「じゃー、未婚シングルママじゃなくて、中絶ならいいわけですか?」

 記者に訊きました。多少はオツムがよくてリベラルなんじゃないかと根拠のないイメージをもたれている新聞記者からしてこれだから、一般社会は推して知るべし。離婚シングルマザーにまして未婚シングルマザーのご苦労が多いことをお察しする。


 私の住んでる栃木県の中絶率は日本一だそうです。現在中絶されてる子どもがすべて生まれているとすれば、日本の少子化は一気に解決するのではないかと思う。


 だいたい、少子化の今、こういう子どもはいいとかああいう子どもはいいとか、危機感足りないんじゃないのかね? 10年後には4人にひとりが高齢者ですよ? 



 






自立ってなんだ?

 どこかのブログだか2チャンだかで、シングルマザーの収入が低くて生活苦だってことを引き合いに出して「自立なんていってたって所詮そんなもんだ、現実を見ろ」とかなんとかいってるやつがいたが、想像力のないやつはこれだから困る。残業も休日出勤も早朝勤務も出張もできないとなったら、男性であろうがシングルマザーであろうが、今の職と収入をキープできるかどうか、ちょっと考えればすぐわかるから、ちょっと考えてみ? 俺にはできるといいたい人は、まずは試しに明日会社にいって、残業と出張と休日出勤と転勤、断ってみてからにしてくれる?

自分が自立しているがゆえに高収入を得られると錯覚している男性たちは、単に育児責任から逃げた結果、企業にかわいがられているに過ぎないわけであって、別にシングルマザーに比べてより自立しているわけでもなんでもない。企業は通常、育児責任がないか、もしくは育児責任を放棄している人間を(そのほうが都合がよいので)優遇する。そして、行政も政治家もそれを放置している。それだけのことだ。それ以上でも以下でもない。

育児に責任をもつのは、生んだからには(生ませたからには)当然のことである。責任をまっとうしているからといって責任を放棄している人間に文句をいわれる筋合いはないのである。

文句いってる本人だって、誰かが育児責任をまっとうしてくれたから今生きてるんである。

シングルママはもう少数派ではない

 ところで、母子家庭は一部少数派の「そういう人」ではすでにない。旗を振って歩いているわけでなないので外見からは判別不能だが、厚生労働省によると2003年時点で約122万5000世帯が母子家庭なんだそうである。世帯ということは、シングルファミリーは常に親と子でワンセットなので、仮にすべての世帯に子どもが一人しかいなかったとしても、最低でも244万人以上は、シングルマザーとその子どもたちだということになる。
244万人というと、どれくらいの人口だか想像つきます? なんと、京都府の平成17年現在の人口260万人に、もうちょっとで手がとどくってくらいの人口なのである。大阪市なんかもちょうど同じくらいの人口だ。シングルマザーの子どもは当然、一人っ子だけではないから、子どもが複数いる世帯を数えたら、軽く京都府や大阪市の人口を超えるだろう。このままいけば横浜市(平成17年現在約360万人)に到達か。
 要するに、シングルファミリーだけで政令都市が軽くひとつつくれるくらい人数が多い。こういう規模は、すでに「そういう人たち」で片付けられる人数ではない。
 これくらい人数が多いと普通なにができるかっていうと、国を動かして新幹線をつくったりもできるのである。しかし、シングル子育て世帯はいったいどうだ? 新幹線どころか、あいもかわらず「そういう人」たちで片付けられている。
 おりしも、児童扶養手当が今後、削減されるという。生活保護費も削減がほぼ決りつつある。しかし、保育園の待機児童は解消されないし学童保育も足りない。自立のインフラは整っていないのに、行政は「自立しろ」という。
自立するってことは、庶民的なコトバでいうと、要はとっとと金稼いでこいってことですよね? 稼いではきてますよ。ただし額は少ないけど。だいたい、あんたらにいわれたくないってかんじですけど。
企業は早朝・休日勤務や残業ができない人間は雇いたがらないから子どもを放置して仕事優先にでもしない限り正社員にはなれない。正社員と契約やパートの賃金格差や待遇には、格差というのも笑っちゃうほど天地の差がある。おまけに子どもがいる人は正社員だろうが派遣だろうがいらないという企業だっていまだに多い。
自立してるんだけど、収入が少ないだけなんですよ、母子家庭は。

子どもってのは、カゴにいれて餌やっとけばいいペットとは違うんです。子どもを育てるには人手と時間がかかる。手をかけるからかわいいんである。母子家庭は自立しろとかなんとかえらそうにいってるそこのアンタ、自分もおかあさん(か他のだれか)に育てられたから今生きてるんだってことを忘れたか。
特に「アメとムチがセットされた中での児童扶養手当をできるだけ地方と協力し合いながらやってまいりたい」といってるそこの川崎二郎厚生労働大臣、自分の母親に向かって「飴と鞭で自立してもらう」なんて、いえるもんならいってみろ(まあ、人格の問題はあるので、もしかしたらそういうことも言える人なのかもしれないが)。
という前に、そもそも何でそんなアホな人たちが政治家なのか。
答えは簡単。私たちが選挙で選んだ(もしくは誰も選ばなかったということで彼らに有利な状況を作り出した)からである。
加えてこちらには不利な条件がひとつある。子どもに選挙権がないのである。当事者は今にも横浜市の人口に迫ろうかってくらい多いのだが、いかんせん、うち半数程度には(子どもなので)選挙権がない。だからシングルマザーをいくらバカにしようと手当てを切ろうと、選挙にあまり響かない。したがってシングルマザーがいくら憤っても、彼らには痛くもかゆくもないのである。いいたい放題、やりたい放題、こっちはやられっぱなしで泣き寝入りである。
これが高齢者だったらこうはいかない。高齢者にはほぼ100%選挙権があるからだ。おまけに若年層より投票率も高かったりする。
児童扶養手当を切ることを決めたのも、予算の配分を決めるのもすべて政治家である。子どもが選挙権がない分を補わなければいけないとしたら、シングルマザーの投票率は、少なくとも世間の二倍以上でないとおっつかないのである。世間の投票率はとりあえず低い。なのでその二倍の投票率達成は夢ではないはずだ。100%なんていったら、川崎二郎厚生労働大臣だって(心では思っていても)決して「母子家庭は飴と鞭で自立させる」なんてことはいえなくなるはずだ。

だいたい、240万人を確実に超す人たちに共通の問題があるのに、「がんばれ」じゃないんじゃないの? しつこいようだが、シングルマザーとその子どもたちをあわせると、軽く大阪市の人口を超えるくらい当事者が多いのである。
もし大阪市が地盤沈下して大阪市民が全員海に沈みそうになったら、雪で孤立化して食料がなくなったら、大阪市民はどこへいっても不動産屋に物件の紹介を断られるのが常識だったら、みんなは、コイズミさんは、川崎二郎厚生労働大臣は、本人たちのやる気の問題だから飴と鞭でなんとかしろというのだろうか?
いろんなところで政策づくりや政策決定の場に顔を出す人たちにも、この当事者の人数の点をもっと強調してもらいたい。いつもいつも世帯数でくくられるから当事者数がわからなくなる。実はすごい人数の人生と、場合によっちゃ生死に関わってるテーマなんだってことをちょっと考えてほしい。
それだけの人数が同じような問題(特に労働問題。最終的には経済問題)を抱えて困っているとしたら、それはもう本人のやる気だの意思云々の問題ではない。なんらか社会的、構造的な問題があると考えるのが自然だろう、普通。
構造的な問題を解決しないで本人たちのやる気のせいにするのは、それこそ、そういうことを考えるやつのやる気がない証拠だ。税金で払われてる給料返せ。

「そういう人」ってどういう人?

 二年ほど前に引っ越した。
不動産屋にいってシングルマザーの世帯だというと、「うちは“そういう人”は困
る」と紹介を断られた。また、他の物件では管理者に「彼氏ができたら紹介するよう
に」といわれて入居をやめた。こっちは40過ぎの子持ちである。中学生の女子寮じゃ
あるまいし、彼氏ができようができまいが、離婚した今となっては誰に報告する義務
もない。


 ところで、うちの息子はあと数ヶ月で学童保育を強制退所させられることになって
いる。低学年の入所希望者が定員に達したため「放課後の過ごし方をお子様とよくお
話し合いください」という紙っぺら一枚が子どもを通じて渡された。特にうちの場合
はさんざ不動産屋に断られて学区外に住処を探さざるをえず、越境通学をしているた
め子どもが自力で家に帰ることができない。子どもと話し合ってどうこうなる問題で
はない。学童保育がないということは即仕事ができない、もしくは子どもを放置して
働きにいかなければいけない。死活問題なのでなんとかしてほしいというと、指導員
に「世の中には“そういう人”もいらっしゃるとは思いますけど」と一蹴された。

 「そういう人」っていったい、どんな人なんだろう?
たびたび疑問に思ってきたが、先日、とある新聞記事を読んで一部疑問が解けた。取
材に応えたシングルマザーが、服装や持ち物にいたるまで周囲にチェックされ、「母
子家庭のくせに」といわれる、と答えていた。まあ、そう感じるのかほんとにいわれ
るのかは記事からはよくわからないが、それを読んで、なんとなく、これだったのか
な、と思い当たった。
 母子家庭のくせによりよい住環境を求めるなんて生意気だ、母子家庭のくせに生意
気に口答えする。母子家庭のくせに車に乗ってる。
「そういう人」は世の中にいらない。


*(ちなみに私の住む宇都宮市の社会福祉審議会の委員、いわゆる有識者が「母子家
庭がなぜ高級車に乗ってるのか」と、実際に審議会の児童福祉専門部会の席上でいっ
ていました。福祉行政の方向性を決める「有識者」のはずなんですが……。その方の
「高級車」の定義は不明ですが、わが市のあまりのレベルの低さにがっくしきまし
た)。


 明日はわが身という言葉を、「こういう人」たちは知らないらしい。
 母子家庭に限らず、しょう害者になることだってあるし(しょう害者の多くは事故
などによる中途しょう害者である)、高齢者には、途中で死なない限り100%誰
だってなる。立場は母子家庭と似たり寄ったりの、いわゆる社会的弱者といわれる人
たちである。強者の視線で世の中を見ていると、「そういう人」たちは不要な、もの
めずらしい、困った人たちなのである。
 しかし、「強者」なんて本当にいるんだろうか。
 昔、足を骨折したときにつくづく感じたのは、足の悪い人は普段、自分が気がつい
ていたよりはるかに多い、いかに普段、自分が強者の視線で世の中をみているかとい
うことだった。
 そしてバリバリの強者・健常者なんて、多分、みんなが思いこんでいるほどはいな
いのだ。一時的には強者でも、人生のいずれかの時点で(ラッキーならそれは人生の
末期に)弱者になるときはかならずやってくる。