前から、書きたいこととしてはあったのですが、
どんなふうに書き始めるのか、
そして、終着点をどこにするのか。
何となく漠然としていて、書かずにいました。
まぁでも、別に論文ではないので。
とりとめもなく、書いてみようと思います。
以前、
作品にそぐわない技術は、個人の能力自慢であって、
エンタテインメントとしては、観る価値を感じない、
というようなことを書いたのですが、
(ただ、スポーツについては、これが当てはめ辛い、とも)
ソチ五輪後、もの凄いスピードで進んでいるジャンプの難度の上昇と、
それだけでは成り立たない「表現」を含めた採点について、
色々、思うことがありまして。
ここ2年くらいでしょうか。
男子に限って言えば、試合で使われるクワドの種類や本数が飛躍的に増えました。
一部の高い身体能力を持った選手が、試合で使えるレベルの新しい4回転ジャンプを可能にしたことによって、
それを見た選手が、跳び方のタイミングやコツを学び、出来るようになっていった。
そして、ジャッジもその技術に対応出来る「目」が必要になった。
1人しか跳べないなら、比較対象が無いけれど、
複数人が飛べるなら、そこに差を付ける必要が出てくる訳です。
基礎点以外の部分での「差」。
そこに、技術とは別の「表現」が介在してくる。
それは、高度なジャンプを跳べることを前提とした「表現」になる。
ジャンプごとのGOEは、完璧に跳んでも最高で+3です。
でも、それだけでは評価出来ない個々の差が、今はPCSに反映されているのかな・・?、と。
『高い技術を持って、作品の範疇から外れることなく、表現出来ているかどうか』
それが、PCSに影響しているように思うのです。
そして、それももう、難しくなり始めた。
だから、採点のルールを大きく変えようとしている。
GOEの幅を広げ、技術的なプロと芸術的なプロを分け、
採点の差異を明確にし易くしようとしているように、見える。
ん~、雑言発すると、ジャッジって別に、スケートの技術とかなくてもなれるんですよね。
勿論、資格取るのは大変だし、努力もされたんだとは思うんですが。
(そこは、私は経験がないので、偉そうには語れませんが)
でも、技術はない。
単純に、クワドはおろか、トリプルすら跳べない。
(跳べる方がいたら、ご免なさい。)
ジャンプはともかく、スケーティングは?
もっと言うと、音楽的・舞踊的センスは?
その前に、音感あるの・・・・・?
・・・雑言でした。(失言ではありません)
「テクニカル・スペシャリスト」という役割があるのだから、
アーティスティック・スペシャリスト的な役割もあっていいと思います。
正直、“Interpretation of the music”って、どこまでジャッジ出来るの・・?
と、疑問です。
スケーティングの技術が高いから音楽的に見せてるけど、
実はこの人、音感(もしくはリズム感)良くないよね、ってスケーター、
結構いますよ。ホントに。
ちなみに、音感と表現力とは別です。
名優だからって、歌が巧い訳じゃない、とか、踊れる訳じゃない、っていうのと同じです。
で。
たぶん、本来ジャッジ側の能力に無い、あるいは能力を超えたレベルに達してきている選手たちを、
短時間で「採点」しなければならなくなってきたことで、
今のままじゃムリ~!!!
と。(笑)
今までは、例えばチャレンジカップみたいな試合で全体を見たりとか、
公式練習で調子を測ったりとか、
過去の成績で能力を測ったりして、そこそこ「採点」してきたものが、
もう、追い付かなくなってきてる。
想像の域も、空想の域すら超え始めてる。
男子の話をしてましたけど、女子だって、3アクセルやクワドを跳ぶ選手が増えてき始めてる。
係数掛けなくても、バランスが取れる時代がくるかも知れない。
・・・と、ここまで書いて、
まぁ、採点に関することはこのくらいにして、
本題に。(長いな~)
作品にそぐわない技術は、正直、違和感を覚えます。
冒頭にも書きましたが、それは、スポーツには当てはめ辛いのですが、
個人的に「う~ん」なんです。
凄いとは思うんですよ。
もちろん。
でも、何を伝えたいのか分からない作品は、何か、残らない。
(価値を見いだせない、とは言いません。努力は感じるし、スポーツであり、採点競技だから)
ノーミスはもちろん大事。
まずそこは、目指すべき場所。
ただ、誰かにとっての頂上は、別の誰かにとっての頂上じゃない。
難しいことだけど、
自分だけが伝えられる景色が、その人にとっては頂上なので。
そこに達することが出来る為に、必要のない「技術」もあるんじゃないかな、と。
恵まれたもの、努力して得たもの、どうしても得られないもの。
そんな個々の「才能」の中で、自分という表現者を形成していく。
出来るからやる、のではなく、伝えるために必要だからやる。
ホントに、難しい。
でも、それを見据えて、目指して、日々を積み重ねている選手もいる。
ただ、その頂は、他者にとっては別の場所なので。
それは、全てにおいてのゴールではないと、
「追い掛け」ている人は、知るべきだと、思うのです。