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before the dawn

夜を縦横無尽に 駆け抜ける クリエーター sei_jin が贈る 
夜明け前の独り言コラム


 

いつかは二人で昔語りをしたいと思えるひとを心の奥底にしまい込んでいる


心の“拠り所”にしがみつきたくはないと思いながらも 意味のないメールをしている


夢に出て来る女性と同衾した朝 昔の仕草をふとした拍子に思い出す


なぜか、ありありと女性の手の節くれ立った指を覚えている


香りの記憶に振り返る でもあんなに記憶が良かったのに もはや出来ごとを忘れてしまった


春は風で気がつく 生暖かい住処に迷い込む


97.7°Fの温もり 哀愁 記憶 贈り物


It may be rainin', but there's a rainbow above you
You better let somebody love you, before it's too late
 
 
  
怠け者

現在の暮らしが、なかなか向上しないのは政府や政権与党の無為無策のせいだと大多数の国民が思っている。政党も政党で美味しいマニフェストばかりを並べ立てて国民からの票を集めようとする。

しかし考えるに、国家が国民を食べさせているのではなくて、国民一人ひとりが糧を自力で稼いで自活していくのが基本のはずなのに、さも国家の怠慢が自分の収入悪化の元凶のようにのたまう言動がどうもよく分からない。

元来「小さな政府」またの名を「夜警国家」とも呼ばれるように、治安や対外的な自衛に対しては国家が担い、経済活動は国民に任せておけば良い。「自由主義経済」はドイツのラッサールが提唱した思想であった。しかし第一次世界大戦以降世界的な恐慌の前にはなす術もなくなり、アメリカのルーズベルトが行った「ニューディール政策」によって経済は活況を呈することができるようにはなったが、第二次世界大戦以降は公共投資による経済の活性化も焼け石に水の状態に陥るようになった。これはとりもなおさず貨幣経済が生み出した鬼っ子である、投資行為が実体経済を翻弄し始めたからではないだろうか。物の売り買いが資本主義経済の基本であったのを、そことは別の次元で取引を行うことで実体経済を翻弄し続けている。現に円高に対する日銀の介入も一時的にしか効果を生まなくなっている。

そういう複雑な経済の側面を鑑みると、ほとんどの国民が実体経済からの収益で暮らしているにもかかわらず、実体経済からかけ離れた投資系の経済枠が市場を翻弄している限りは、如何に国家と云えども実質的な効果策は生み出す事は不可能に近いのではないだろうか。

しかし、生きていくための糧を生み出す行為には不可能と限界はないはずである。
確かに一時的な労働が不可能になった場合の国家による救済は必要ではあるとは思うが、恒常的に国家が国民を救済し続ける事は不可能に近い。いずれは自活していかなければならないはずである。

失業者の実態を語らずに、失業者数だけを数えて、国家が悪いと云い続けても本質的な改善にはつながらないのではないだろうか。事実失業者の中には、働く意欲が本当にあるのかと思えるような者も含まれている。毎週求人のチラシには時給は安いが募集の公告は出ている。特に技術や資格がなくても自分の糊口をしのぐための働き口はあるはずだ。選別される事は仕方がないが、その選別されるという行為自体が競争なのだから、その競争に勝たなくてはならない。それに負けたからと云って「政府が悪い」と一方的に決めつけるのはどうかと思う。どの世界にも競争はつきものである。しかしその競争という努力をする行為を、かの悪名高き「ゆとり教育」は避けて通って来たのではないか。徒競走にすら順位を付けず、みんな平等にという教育からは、他人を押しのけてでも前に出たいという気力や経験を失わせてしまった。

明治維新以降の国家は、対外的に侵略に脅えながら、強い国家にならなければと政府と国民が一体になって努力をした希有な時代であった。確かに単純に豊かになりたければ頑張れば良かった時代だったのかもしれない。政府もそういう目標がはっきりしていたので富国強兵を強力に押し進めていったし、今を思えばかなりの重税であったにもかかわらず、国民は国家を信じて疑わずについていった。時には自由民権運動などの民衆運動が勃興したりもしたが、それも国家は議会政治に昇華した。貧富の差はあったものの慎ましやかな国民は不平不満を政府転覆等の行為にエスカレートすることはなかった。
ただ、全てが良かったとは云わない。不平不満はいっぱいあっただろうが、当時の元首である明治天皇を心の支えに国民は甲斐甲斐しく働き、戦場に赴き、国家のために働いた。確かに今との違いは、当時の国民性の中には旧来の武士道精神が色濃く残っていて、忠義や滅私奉公といった精神性をもって慎ましやかなる国民性を形成していたのではないだろうか。国家の要を担う為政者達も、今と比べると明らかに胆力が違う。同じく幕末から維新をくぐり抜け、新しい国家を作り上げなければ列強に飲み込まれてしまうという強迫観念に苛まれながらも、海外に目を向け、自らも語学を操り、対外的にも一歩も引けを取らない国際人が多く存在していた。それは世界に通用する学問が日本国内になかったから海外に求めざるを得なかった事もあるが、たとえ海外留学の経験はなくとも当代一流の決断が出来る胆力のある人材が傑出した時代であったのだ。歴史的な経緯の違いもさることながら、現在の人たちとの基本ベースの違いはかなり大きいのではないだろうか。

現代人に明治時代の胆力を見習えとはもはや云えない。
しかし、せめても為政者たるものは国家国民を憂い、対外的な脅威に対して敏感に感じ取り、対等に渡り合える政治家がいて欲しいと思う。政争に明け暮れてはみみっちい金銭問題で追及を受けたり、失言や優柔不断なジャッジメントで国民の失望を買うような政治家に本当にこの日本を任せていいのだろうか。

そして若者はこの混沌とした世界を抜け出すために、世界へ飛び出し知識や経験を積み世界とのコネクションを作りあげて、政治の舞台に躍り出て欲しいと思う。


久しぶりのブログです。


新しい年を迎えて、しっかりと今年の抱負とかなんとか語ればいいんだろうけれど、
なんかそれもしゃらくせい感じがする(かなりなひねくれ者)

いっくらかっこええ抱負を語ったところで
やれんもんはやれんし、出来るもんは出来ちゃうのだ。



そこで・・・・新年の抱負に代えて
たまたまTwitterつながりの友達に「出汁巻き卵」の作り方を教えて!って云われたので
twittewにUPしたんだけど、あれってTLだとどんどん下がっていっちゃうんで
ダブるけど、こっちにもUPしときます。自分でもメモ代わりです。


実は私の父親の実家というのが向日町で仕出し屋をやってました。
親父の兄貴は既に亡くなってて、従兄弟が継いでいたんだけれど
その従兄弟からは昔、和食についてちょっと教わった事があります。
でも学生の時だったしすっかり忘れてしまってて、もったいなかったなあとは思いますが
「出し巻き」の作り方と出汁の取り方はまだ覚えてる。

ちなみに現在は新たに会得して
寿司も握れるし、蕎麦も打てる。
関西風味のうどん蕎麦の出汁も作れます。
基本料理一般は得意です。



では勿体ぶらずにレシピをアップしときます。
それでは、今年も宜しくお願い致します。




【だし巻き卵】材料:卵3個、出汁70cc、薄口醤油小さじ1杯、片栗粉少々。70ccのお湯にひと掴みの鰹節を入れて5分くらい置き鰹節を漉して薄口醤油を入れる。片栗粉を入れたボウルに出汁を入れて良く混ぜ、卵3個を割ってよくかき混ぜて卵白を切ったものと出汁を混ぜて少し置いておく。

キッチンペーパーに油を染込ませ、四角い卵焼きフライパンを中火以上で熱して染込ませた紙で油を敷く。お玉1杯分の卵を流し込む。火の強さは卵が膨らむ位がいい。向う側から折り畳むように巻いていく。柔らかいので巻き上げは太めの菜箸でフライパンを上下にリズムを付けながら手際よく巻いていく。

巻けたら固まりを向うにやって、また油を敷いて流し込む。卵焼きを少し持ち上げて下に卵を染込ませ、また手早く手前に向けて巻く。その時はフライパンを中に浮かしてもいいが熱が下がらないように時々コンロに戻す。それを繰り返して全部流し込んで巻き終わったらフライパンの角に当てて形を整える。

出来上がったらスノコの上に乗せて角を立てて巻いていく。できたての熱々も美味しいけど、一晩置いたのも味が落ちついて美味しい。熱々なら大根おろしと醤油で食べるのもいいけど、元々味が薄いので醤油つけ過ぎると味が消えちゃう。そのままで食べるのが一番かな?味付けは自分好みを編み出して!



 
 
時には昔の話をしようか
通いなれた 馴染みのあの店
マロニエの並木が 窓辺に見えてた
コーヒーを一杯で一日
見えない明日を むやみに探して
誰もが希望を託した
揺れていた時代の 熱い風に吹かれて
体中で瞬間(トキ)を感じた そうだね

道端で眠ったこともあったね
どこにも行けない みんなで
お金は無くても なんとか生きてた
貧しさが明日(アシタ)を運んだ
小さな下宿屋に いく人も押しかけ
朝まで騒いで眠った
嵐のように毎日が 燃えていた
息が切れるまで走った そうだね

一枚残った写真をご覧よ
ひげづらの男は 君だね
どこに居るのか 今ではわからない
友達も何人かいるけど
あの日の全てが 空しいものだと
それは誰にも言えない
今でも同じように 見果てぬ夢を描いて
走り続けているよね どこかで




作者の時代は「全共闘」の世代。
熱く目指す何かが目の前にあった時代だ。
自分とはひと世代違う。

作者の世代が暴れ回るだけ暴れ回ってくれたおかげで
自分たちの世代は、大学当局も管理取締が厳しくなってしまい
5人以上の集会を開くにもいちいち届け出が必要になって、過し辛い時代だった。
燃えるような命を捧げられる思想も目標もなく
ただ怠惰に毎日を過さねばならなかった我々の世代。

そのためか、世代の空気は「軽薄短小」と云われ
難しい話をすれば「暗い」の一言で片付けられてしまうような
軽い雰囲気がもてはやされていた。

それでもそんな世代の空気が厭で、先輩や同輩達と時代錯誤な演劇をやってみたり
映画を撮ったり、学園祭でとてつもない出し物をやっては
周りのひんしゅくを買っていたっけ。

持て余したエネルギーを発散する場所を探しまわった時代だった。
浪人時代も含めて、歌にあるように友達の小さな下宿屋に押しかけては
意味もなく朝まで騒いだ。

学園祭の終わった日には、朝まで大学のアトリエで乱痴気騒ぎもやった。
それを大学の守衛が見て見ぬ振りをしてくれたり
鴨川の河原で朝まで騒いでみんなで鴨川に入っては大騒ぎをしてもお咎めもなかった。
みんな若いけれど「おとな」だった。
いい時代を過したのだ。今もそう思っている。

来年、自分は半世紀を生きてしまう。
いままでに亡くなってしまった旧友は幾人もいるし
自分も、残された時間は今まで生きて来たほどはないとは思うが
古い時代の友よ、まだ元気にしているか?
あの時代の熱はまだ持っているか?
そしてまだまだ夢をどこかに隠して走り続けているかい?
 



 
 
 
百千の 言葉を尽して綴っても
 
 
 
こころの隙間は埋められない
 
 
 
その一瞬に すべてを晒し
 
 
 
腕の中で爪を立て 魂の叫びで震えたら
 
 
 
それぞれの扉をひらいて 
 
 
 
もと来た場所に帰っていけばいい
 
 
 
そのあとさきは 嘘でもかまわないのだ