以前mixiに書いた、古い日記をこちらに移植しています。
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六本木界隈の記憶。
私が東京に出てきた頃だから20年位前になるが、先輩に連れられてとあるBARに来た。
六本木の防衛庁横にあった「George's」というソウル・バー。向かい側が星条旗通り。米軍準機関誌の『星条旗新聞』がある通りだ。外観はきったなくて中はホントに狭い店だった。古いジュークボックスが置いてあって、古ぼけたポスターがいっぱい貼ってたあった。カウンターには丸太のような太い腕の黒人GI達がバーボンのグラスを傾けていた。ジュークボックスからは『Marvin Gaye』の『Sexual Healing』や『What's going on』のソウルが溢れていた。結構ショックだった。だってそこはままUSAだったから。私が高校生の頃『ポパイ』や『HOT DOG』にはUSAが溢れていた。すべて若者の文化のお手本がUSAだったから。
不謹慎ながら、学生時代はFENを聴きながら岩国辺りまで行って、基地のフェンスの向こうに翻る「サージェントストライプス」を眺めにいったものだもの。
1964年に開店したというそのソウル・バーの老舗。鈴木聖美の『TAXI』という歌に「タクシーに手をあげて、Georgeの店までと~」と歌われていた。一時は足繁く通ったものだが、足が遠のいて15年程になる。その老舗も2005年に閉店してしまったらしい。
防衛庁が市ヶ谷に移転してその跡地に東京ミッドタウンプロジェクトのあおりで立ち退きをさせられてしまったと聞く。沖縄や福生や横須賀のドブ板通りと同じうさん臭い雰囲気が、とてもしたたかなエネルギーを感じたのがこの界隈だったのに、近年は全くこぎれいなタウンに様変わりをしてしまって、勝ち組しか闊歩できなくなっているところに一抹の寂しさを感じる。
でも、今でも深夜になればかなりデンシャラスな街の顔も覗かせるところは変わっていないかな。
若い頃に雑居ビルの螺旋階段を上がったところにあるレゲエバーによく行っていた。そこの店にたどり着くまでの螺旋階段の途中には、瞳孔が開いた外国人達がへたり込んでいたり、店内はもうもうとした煙で結構ヤバい葉っぱの匂いが立ちこめていた。ある時、みんなで行った翌週に手入れが入ったりと・・・
そんな街で朝まで過ごした記憶も懐かしい。
3年程前、自分の実力とはまったく関係ない権力闘争に巻き込まれて左遷されていた頃の日記。
読み返してみると、ひどく荒んでいたな。
だから自由は孤独だけれど居心地はいいと思う。
自分が「おもしろい」と思わないとやっていられないと学んだ頃。
孤独なweekdayをやり過ごした金曜と土曜のすき間の夜
だれも自分を知らない人たちの喧噪に身を沈めると
けたたましく話しかけて来る黒人の
うさん臭いそいつらの話を無視して
頬杖をつきながらカウンターに鈍く光るJiggerばかりを
飽きもせずに見ているだけ
気怠いEllaがPlease kind meを歌う
ゆっくりと流れていく煙草の煙のように
何もしない時間が怠惰に過ぎていく奇妙な静謐感
またそうやってまだ明けない朝を迎えてしまった
読み返してみると、ひどく荒んでいたな。
だから自由は孤独だけれど居心地はいいと思う。
自分が「おもしろい」と思わないとやっていられないと学んだ頃。
孤独なweekdayをやり過ごした金曜と土曜のすき間の夜
だれも自分を知らない人たちの喧噪に身を沈めると
けたたましく話しかけて来る黒人の
うさん臭いそいつらの話を無視して
頬杖をつきながらカウンターに鈍く光るJiggerばかりを
飽きもせずに見ているだけ
気怠いEllaがPlease kind meを歌う
ゆっくりと流れていく煙草の煙のように
何もしない時間が怠惰に過ぎていく奇妙な静謐感
またそうやってまだ明けない朝を迎えてしまった
かたときも 全てが満たされる事など 一度もないから
人として 潰える際まで 心の隙間を埋め続けていたいから
あてもなくて 探し求めて 彷徨い続けて
愛とかいう言葉の断片で 心の隙間が埋められるのか
言葉はいずれ 裏切るけれど 温もりならば信じられる
手で手を包み 指と指を絡め合い 引き寄せられて
衣擦れと 触れ合う柔肌の温もりならば
絡まるように 心の隙間を埋めていく
この場にいる理由(わけ)など ふたりには もはや要らなくて
今だけでいいから 真直ぐに 全てを見て
真近に吐息を感じる事が 歓びに変わるから
染み込むように 心の隙間を埋めていく
無邪気な恋に 費やすほど 残された時間は残っていないのに
少しでも長く 生きている歓びが欲しいと願うのに
憶いもよらずに 言葉ばかりが あてどなく彷徨い歩き
虚しいほどに 心の隙間に風が吹く
