シアワセの定義 | solid alone

シアワセの定義

昨日はボクの誕生日

ここ数年のことを振り返って反省したり
大台に乗るまでにやらないといけないことをあらためて考えたりと
感じ考える日だった

高校の頃、松任谷由実の「悲しいほどお天気」という歌から衝撃を受けた
『みんなまだ信じていた。ずっと一緒に歩いていけるって誰もが思った』
これを聴いて、物事には全て終わりがあり、
なにげなく過ごしているリアルがいかに脆弱であるかということに気づかされたのだ
それまでシアワセな子供時代を送ってきたボクにとってそれは大きなショックだった
しかし危機感だけ募らせてもしょうがない、対策を講じなければ

そこでボクが考えたことは二つ
まず日常を噛み締めて生きることだ
今のシアワセも今日が最後であるかもしれない。過ごす時間を味わい、そして咀嚼すること
もうひとつはボクの中にあるシアワセの定義を変えた
シアワセとは刹那的なものではなく、その状態が未来永劫に渡って持続出来る状態にあること
という一文を入れたのだ

結果、素直にリアルなシアワセを受け入れられない、ひねた高校生が出現した
みんなで楽しむことは出来てもそれだけを潔しとせず、
その終焉にいつも怯えている、そういう人間になったのだ

一昨年ボクは別離を経験した
それは突然降って来る隕石のように、まえぶれも予感もなく突然やってきた
あれだけシアワセについて日々考え、その継続性を重視していたボクにとって
筆舌に尽くせぬ事態だった
自分をとりまく状況がこんなにも変わったのに、周りの景色は変わらないことに苛立ったり、
ヒトに当たったり、(今から考えれば)必要以上に自分を貶めたりもした
そうして長年考えてきたシアワセの概念も取り下げ、刹那的な快楽に溺れることは・・・
やはりボクには出来なかった。

人間コアな部分は変えられない
もう一度自分という人間を見直して、自分の気持ちに正直に生きようと考えた
おかげで最近人間が変わった気がする
モノと同じくらいヒトにも興味が生まれた(笑)
今まで考えたこともないリラックスした時間が欲しくなった
温泉なんかいいなあ(笑)

ウチの庭にある梅の花が咲き始め鶯がやってきた
春はもうすぐ
今日からの一年も今までどおり考え、そして噛み締めて生きたいな

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