女性の目線からみると、男性は多かれ少なかれ二重人格者ではないか?と思う。
女性は上書きタイプで、男性は別のファイル保存タイプだという。

男性は、これはこれ、あれはあれと別物として評価することができるような気がする。
女性には持ちえない才能を男性は持つと思う。

表面の言葉からは、男性の本心がわからないことがあるが、女性の私は、推定作業の困難さを、女性には感じない。
確かに、男性の本音と建前は見わけがつきにくい。

異なる複数の女性に対しても、それぞれに 「君だけがすべてだ」 と言うのは、男性固有の資質かも・・。
男性は、その男性が支配できる人たちの数が多ければ多いほど、うれしいと感じるのかもしれない。

それにしても、今度の米国の暴動で、トランプ大統領の支配欲の強さと、二面性の怖さをまざまざと感じた。
トランプ氏は、支配欲を満たすために、利用できるものを利用する。
そして、トランプ氏自らの自己防衛のために、人心を扇動し、そして突き放す。
トランプ氏は、勢いづかせる言葉をかけて人を扇動し、翌日には同じ人たちを非難する。

こうした権力者の利己主義を、ニュースを通じた実体験として見させてもらった。


いつの時代も、政治は先が必ずしも見通せないので、その場に応じて判断を変えるのは、政治家がやることであるし、それは資質と言える。
政治家においては、その方向転換は、しばしば風見鶏と揶揄される。

風見鶏は、政治家自身が状況でコロコロと変わることを批判して使われる。
しかし、本当に怖いのは、政治家が自身を変えるのではなく、政治家が自身にとって都合よく周りを強引に変えようとすることだろう。
権力者は、自身の都合で、世の中を変えられるのである。
トランプ氏は、それがやりたかった。自身の権力を知らしめようとした。


それにしても、トランプ大統領は、口から言葉があふれる人で、ほとんど原稿は見ない。
口先から優しい言葉も、激しい言葉も、次々に思いつく人だ。
一つの頭で、別の事を別々の脳部分で考えながら、瞬時に言葉を選んで繰り出す人だ。
トランプ氏の言葉は、時間が経つと、その内容は変化している。
状況に応じて、何の躊躇もなく、言葉を変化させる。他人を誉めたかと思うと、すぐ後で否定する。

トランプ大統領の演説時の決まり文句は、根拠無き高揚感の創出とその拡散である。根拠なくとも、ひとときに過ぎなくとも、相手を良い気持ちにすることに抵抗がない。

そして、後にも先にも、トランプ演説は、これだけである。

誇りある米国はすばらしい!だれもが、高給を獲得して幸せにくらせる国になれる!誰でも、安全で豊かに暮らせる。米国は偉大だ!みんなで偉大な米国をさらに偉大にしていこう!

共和党大会で、大統領候補選出の時も、まさに、このアメリカンドリームを語るだけに終始した。論拠は語らない。次々と出てくる言葉は、トランプ氏のすごい才能と思う人もいそうだ。トランプ氏自身による政策が、どのような結果に繋がったか?の話などはしない。他人を説得するためには、準備が必要とは思わないのだろう。


そんな使い古した聞きなれた言葉に、大衆は歓喜する。


トランプ大統領の演説は、魔術師のように、やさしくやさしく、国民に諭すように繰り返し呼び掛ける。
トランプ大統領の猫なで声は、国民をいとおしいと本気で思っている人でないのは明らかなのに・・。
どうして?と日本人の私は思う。

トランプ大統領のメッセージはとてもシンプルなのだ。
トランプ大統領はシンプルに、あからさまな感情を語る。

「私(トランプ)ために動いてくれる人は、好きだけど、そうでない人は好きでない。」
と、トランプ氏は、体を揺らしながら演説する。
同じ言葉を、副大統領のペンス氏にも言った。

1月6日の合同議会において、議事進行する予定のペンス氏に対して、
「私(トランプ)のために協力して(選挙結果をひっくりかえして)くれたらうれしいけど、そうしてくらなければ、(ペンスを)好きではない」
などと、トランプ大統領は発言している。

米国の全マスコミは、こうしたトランプ大統領の失言を、何度も映像で流している。

しかし、今度のトランプ氏の行動はひどすぎた。
選挙抗議をさせようと、大量の一般人を暴力行為に駆り立て、利用したのだ。
ワシントンに全米からあつめた支持者たちを前に、トランプ大統領は激を飛ばした。
この演説は、まさに、群衆を焚きつける内容であった。

「議事堂内において、勇敢に、選挙不正を訴えようとする議員たちを応援せよ!
弱いものたちに政治をわたすな!
勇気ある行動を示せ!
キャピタルヒルに行け!」

と言った時の、トランプ大統領の”キャピタルヒル”のかけ声は一段と大きかった!
マスコミは、各局が揃って、トランプ氏の異常行動を何度も報道している。

ニューヨークの市長までやったジュリアーニ氏も、トランプ氏と同じ演説会場で、「勇気を示そう」と群衆を焚きつけた。
その見ているテント内のトランプファミリーのニヤニヤした様子の映像もマスコミは流している。

そして、マスコミレポーターは、皮肉たっぷりに、こう表現のレポートをしている。
「人々を焚きつけ、トランプ大統領自身は安全なホワイトハウスへと戻って行った」と。


この暴動をけしかけたトランプ大統領演説内容は、トランプ大統領の異常志向を強く示すものだろう。


日本の評論家は、トランプ大統領はデモをしかけたが、議事堂に突撃しろとは言ってないと、弁明する人はいるかもしれない。
(たとえば、木村太郎氏とか、気まぐれペルドン氏とか)

しかし、権力の立場にある者の言葉の影響力は重い。ここをふまえると、権力者が挑発行動を仕掛けたなら、その責任も重いはずである。

なんと言っても、大量人数による議事堂への襲撃事件が起き、5人もの死者をだした。
室内からのピストルに撃たれた女性が倒れ込んだ。
扉に挟まれて苦しい声をあげる警備員もいた。

激しく窓を割って侵入した暴徒たちは、すでに議事堂内部には安全に中に入れた人たちで一杯になっていたという。
群衆の力を止められないと判断した誰かが入り口を開けたということのようだ。
普段、議事堂は見学可能になっているというから、そうした警備に対する即時の判断があったらしい。

とにかく、ジーパンの丸腰の多数の人たちを、警察は次々と発砲できないと思う。

顔にペイントをして何か酋長を思わすいでたちの人、南部連合の旗を誇らしげにふる人々は、皆、丸腰の人たちであった。
彼らにとって、議事堂侵入でカメラに収まって、一世一代の達成感に浸っていたかもしれない。多くの群衆がスマホを所有し、映像をとることに夢中だった。歴史的事件に居合わせた高揚感が、群衆にあったであろう。

トランプ大統領は、自らの野心を満たすために、こうした人たちの高揚感を煽ったのだ。

幸い、爆弾を抱えて自爆するような本物のテロリストではなかったが、今後はどう変化していくのかはわからない。
選挙のたびに、暴動の質が変わる可能性はあるだろう。
選挙のたびに、米国が国際テロに狙われる可能性はあるだろうと感じた。

暴動の後、トランプ大統領は、暴徒に対し、「家に帰ろう」と、テレビ演説をしたが、この時も、まだ、暴徒に対して「君たちを愛している」「君たちと共にある」とか言っている。


そして、翌日のトランプ大統領は、大衆を煽った本人であることの反省の言葉もなく、まるで第三者であるかのように言った。

「米国は民主国家だ。暴力は許されない!暴力をふるう者は、それなりの処罰を受ける。政権移譲はスムーズにおこなわれるだろう」と。

得々としてカメラにおさまってしまった暴徒たちは、逮捕され、実刑と損害賠償を要求されるだろう。
逮捕された人たちの今後の人生はわからない。

元ホワイトハウス補佐官のボルトン氏は、選挙前に、トランプ大統領批判本を書いた人であるが、ボルトン氏は、トランプ大統領を米国の分断を煽って権力の掌握を握ろうとする志向の人と言った。
同じく、トランプ大統領批判本を書いた姪のメアリー トランプさんも、トランプ大統領批判を始めると止まらなくなる位、強いトランプ氏への不信感をマスコミに語っている。

学とみ子は、以前から、トランプ大統領は、とにかく、差別的で、二面性のある人であるところが気になっていた。
その二面性の実態をまざまざと見た感じがする。
トランプ大統領は、利用するものは利用するが、結果が悪ければ、結果が全てで人を判断するだろう。

自分第一主義の人と、トランプ氏はマスコミから言われている。
そして、その相棒のペンス氏は、ボルトン氏に言わせると、ワシントンでは、ミスターコンスピラシー conspiracyと呼ばれているそうだ。

今度の議事堂襲撃は、まさに、そうしたトランプ大統領の常軌を逸したチャレンジだ。
民主主義に時代には通用しないはずの政治家だ。
米国の政治家は、米国民の要求に応じて変わる人でなければならない。
しかし、トランプ氏は、そうした人であるかのように装っただけである。

一人の政治家を、長い期間、ウオッチしていれば、大衆は、政治家の質を判断できる。
特に、米国のマスコミは、政治家が過去にどのような政治的判断をしたかについて、しばしば、話題にしている。
バイデン氏は長く政治家をしており、そうした意味では、長い経過の政治活動で評価を獲得した人なのだろう。
バイデン氏がどこまでやれるのか?に、期待したい。

しかし、日本語のジャーナリズムは、しばしば、初期の認知症などと、バイデンを呼ぶ。
なぜ、これだけ、次々と問題提起できる人を、認知症などと言うのか?

日本の高齢の政治家で、これだけデータに基づいて政治課題をしゃべり続けられ人は見たことはない。

多民族国家の米国では、自己の正当性の主張の重要性を、教育の場で教えられるという。
米国では、データに基づき議論するト能力を獲得するための教育トレーニングが重要性されている。

しかし、日本では、そこまでのデベートの能力を、政治家は求められないのである。
日本の国会の委員会の議論などでは、1対1の素早いキャッチボール的議論はしていないし、政治家たちはいちいち席に一旦、もどって、又、答弁のために椅子から歩いて来る。
この歩く時間で、時間稼ぎをしている。そうしたやりとりで、間に合う日本の政治の仕組みである。


最後に、又、米国問題に戻るが、米国議会が、憲法25条、弾劾裁判に成功するのか?は不透明だ。
しかし、米国の議会は、こうした分裂した人格を持つような人を公職に付かないように対処してほしいと思う。