STAP事件の論者たちは、皆、理屈屋だ。
かつ、自信家で、あくまで自論を主張したがる人たちだ。

そうしたひとたちのなかでも、ハンニバルフォーチュンさんは、自信家の特徴が突出している。

ハンニバルさんの独特な性癖を、以下の文章はあますことなく語っている。

博学の理論家でありたいハンニバルさんの志向が、以下のような文章によく現れている。


ハンニバル・フォーチュンさん
2021年1月10日 11:00 PM
>スコラ哲学の言うところではなく、カントの言「ア・プリオリ」≒「経験に先立つ先天的・生得的・先験的な」な知恵については、実は、かなり限定的な局面でしか正解ではない。



昔ならいざ知らず、検索可能なネット時代に、表面的知識の価値は下がってしまった。
しかし、そうした現代でも、哲人の威を借りて、自らの文章を飾りたがる人がいる。
取って付けた飾りは、かえって、自論の価値を下げてしまうとは、ハンニバルフォーチュンさんは予想しないらしい。

所詮、人の知識と経験は限定的なものでしかない。
知識を持つ哲人ほど、そうした限界を知っている。

現代においても、ハンニバルさんのように、他人の知識を否定し、他人の経験の限界を主張したいがために、自論を飾る人がいる。自論の飾りとして、歴史上の知識の巨人を登場させることに躊躇しない人がいる。
この見当はずれなこの飾りに、どれ程の意味があると言うのだろうか?

彼女の価値観は、こうした”こけおどし”が、STAP議論の場でも有効、有用に働くと信じているのだろう。
はなさんとお仲間ごっこをする以外に、何か役にたつのだろうか?

いづれにしろ、人の心を考える上で、興味深いので、ハンニバルフォーチュン編としてみた。

ため息ブログメンバーにおいて、同じような傾向のコメントを見たら、こちらにコピペを追加したい。
あちらは、知識の巨人を目指したい人たちの集まりなのか?

少なくとも、医学コースにおいては、ハンニバルフォーチュンさんは、専門的知識が足らない!、かつ、思い込みが強すぎる。
知識の獲得には、マイナスの性癖と思う。

以下のような表現は、およそ、STAP議論に似つかわしく無い!

ハンニバルフォーチュンさん、無駄な飾りを排して、作文上の真のセンスと工夫を磨こう!

>なんと空しいことか。
>なんと虚しいことか。

虚しいのは、ハンニバルフォーチュンさんの上記の表現です。



検索可能時代には、情報は膨大に得られる。
議論の相手が用いた言葉をネット検索して、反論っぽく作文することは可能だ。

周到に準備したきちんとした服を着た人に、泥かけ作業をする人がいる。
そして、泥の服を見た人の中には、最初から泥がかかっていると判断する人はいる。
かかった泥の状態を見れば、悪意をもって泥をかけられたことがわかる。
世間には判断がまともな人の方が多いから、この判断がまともな人は、泥がかけられる前の服を知っているのだ。

いつも言われることだが、情報の世の中は、その情報の評価と選択が大事だ。
精度と価値に基づき、得られた情報に順番を付ける作業は必須だが、その順番付け作業には基礎知識が必要だ。


STAP事件を論じるときも、溢れる情報を選ぶ能力が問われる。
新しいコンセプトの細胞であるSTAP細胞を論評するのは誰でも可能だが、誰も完全な知識を持つ人はいない。
大事な情報は公開されていない。
そこを踏まえられない人ほど、STAP細胞を既知の細胞と同じように扱う。
こうならなければいけない!こうならないから偽物だ!
偽物と信じる人々の稚拙なる憶測によって、STAP細胞は潰された。



ES捏造画策学者のうち、本気では捏造説を信じてはいない人たち、すなわち、真の意味での画策学者たちがどの位いるのか?は、今後、明らかになるのだろうか?

本気で、ES捏造説を信じている人なのか?
あるいは、
ES捏造は可能ではないと知っていて、かつ、ES捏造説を世間に定着させたい人なのか?

ES捏造は可能ではないと知っていて、かつ、ES捏造説を世間に定着させたい人は真に問題である。
しかし、その境は、結局は明らかにはならないような気がする。