サラリーマン生活30年さんは、何をあきれているのでしょうか?

サラリーマン生活30年 さんです。青字
2020年7月25日 5:54 PM


>学さん
オーボエさんやmさんは、一般人の持てる範囲内って、ちょっとまって、いやなんていうか。クラクラってきてしまって。私は彼らに何ら含むところはないんですが。う〜ん。お戯れをといいますか。
真実は一つ、ではないのかもしれませんが。
この部分については、ハンマーで後頭部をぶん殴られたような感じなので、触れるのは辞めにします。


なぜ、ハンマーでぶん殴られていると感じているのが、教えてくれませんか?
Ooboeさんは、ミトコンドリアについて、いろいろ興味を持たれているけど、ミトコンドリアでSTAPを説明しようとしているわけではありませんし、その知識をもって、学とみ子の考察を否定しているわけではありません。

Ooboeさんの知識が進んで、バランス良く細胞の柔軟性が語るようになるかもしれません。
要は、学ぶ人の才能にかかっています。
専門教育を受けたかどうか?ではありません。知識はどんどん、変化していますから。
昔の教育を受けたまま、学びの無い学者は、逆に間違うのです。

現時点のOoboeさんは、ミトコンドリア理解とSTAP細胞理解には距離を置いています。
普通は、一般人が何か専門的な知識を学ぶときは、そうした経過をとります。
学とみ子は、それを言ったまでです。

なぜ、クラクラするとか、お戯れとか感じるのでしょうか?
学とみ子が、Ooboeさんの努力を軽視している、軽蔑していると言いたいのでしょうか?
もし、そうなら、今までの中立的姿勢のサラリーマン生活さんのそれは、偽物ですね。

plusさんのコメントを読むと、そう言いたいようですね。
とにかく、どんなことでも、学とみ子悪口につなげようとするplusさんの策略を感じます。
こうすることで、plusさんに有利になるようにして、自身の立場を廻りに認めさせたいのでしょう。
そんなことをしなくても、ため息ブログはいつでもplusさんの味方なのにね。

>あらー。
Ooboe氏のミトコンドリアの話とか実は鼻で笑ってるってわけですな。
可哀想に。
誰が可哀想かと言(以下略


plusさんのような人は、自論の主張がまず第一で、それに反論する人(学とみ子のような人)に対しては、すぐ、人格否定に至るという手法の人ですね。

ぺルドンさん手法とは違います。
ぺルドンさんは、「私はあなたをからかってますよ~ん」とのオーラをまず、最初に出します。
plusさんはこうした余裕を示しません。
とにかく、いつでも正当論を語っているとplus自身を大きく見せ、plusさんは、些細な間違いなら大げさな謝罪パフォーマンスをしますが、根幹的な科学的ミスは認めませんね。
多分、plusさんは、本当に大事なことと、流動的なことについての区別がつかず、自説の限界が見えてないからでしょう。


D さんも悪口がお好きな人です。 2020年7月25日 10:13 PM

>まあ、要するに「平家であらずんば人にあらず。」ならぬ「学とみ子様バンザーイであらずんば人にあらず。」なんですよ。きっと、それ以外の人は例え源義経であろうと出っ歯で背の低い不細工なんでしょうね。

”学とみ子様バンザーイの人”ではなく、ESねつ造論に疑問を感じる人たちが当ブログのぞきに来ているのだと思いますよ。
”学とみ子様バンザーイの人”というのも、悪意ある表現です。Dさんは、科学界に関連する人なんだろうな。

なにしろ、本当の専門家たちは何も言えない立場にあるのだから、中途半端な知識の学とみ子でも、何か書いてあるかもしれないとの期待を持って当ブログを覗いてくれる人がいるのです。




致命的 さんが、当ブログのコメントに”論理破綻”を書いています。

>>は学とみ子、>は致命的 さんです。青字 

>>「彼は、論理的にSTAPを論じているわけではありませんね。【だから】、学とみ子の主張が理解出来ないんです。」

>この【だから】は原因・理由と帰結を繋ぐ順接の接続詞なわけだが、どう理解すれば前半が後半の原因・理由になるというのか。こんな単純な文すらこれでは、論理的思考力が欠如していることは明らか。断じて、論理的思考を非論理的に記述しているのではない。

前半、あるいは後半それぞれの何をもって、論理的、非論理的としているのか?わかりにくい文章だわね。

>論理的思考を非論理的に記述しているのではない。

致命的 さん、記述しているのは誰?

致命的 さんは、上記文章に、論艇的、非論理的の中身を書かないと、読者に意味が通じない。

論理を知っているplusさんが、論理的に記述しているのに、学とみ子が非論理的と勘違いしているということですか?

致命的 さんは、plusさんの文章が論理的と言いたいのよね。
どこが論理的なの?



ため息さんが以下のような書き込みをしている

>必ず、批判する方は誰?身分は?性別は?と相手の属性を決めないと対応できないのですね。「論艇的」はなにかのミスでしょ?直したら?

ため息さんは勘違いしているようです。

致命的さんが書いた文章の一部”記述しているのではない”に登場する、”記述しているのではない人”とは誰のこと?
と、学とみ子は致命的さんに質問しているのだけど・・・。
どうやら、ため息さんは、そうとは読み取れないみたい。
これが本当の、日本語能力の欠如だわ。


追記

サラリーマン生活さんの反論です。

>一流の科学者達の思想に触れ、それから改めて「STAP細胞と目された現象」の話に戻ってみた方が客観的に見れるのではないか?と考えたまで。

学とみ子は、サラリーマン生活さんより、ズーッと深く、細胞分野の一流学者の仕事内容を理解してます。

学とみ子がそれすらできていないのに、このブログを書いていると考えてしまうサラリーマン生活さんは、あまりに軽率ではないですか?

なぜ、こうしたチグハグな意見を、サラリーマン生活さんが言ってしまうのかは、サラリーマン生活さんが、STAPの科学を理解できないからです。わかっていない人たちに囲まれている結果、サラリーマン生活さんも学とみ子の言い分が理解できないからです。

ため息ブログによる学とみ子ブログへのデタラメ呼ばわり攻撃は、それは執拗で、かつ低レベルです。

ため息ブログには、きちんと議論できる人がいない。と言うより、まともな議論ができる学者なら、その人の身元がバレてしまいます。だから、学者は深入り議論を避けてます。その結果、ため息ブログの一般人しか、STAPを語りません。一般人の知識は限定的で、議論のキャッチボールはできません。わからないことだらけだから、議論になりません。すぐ、人格攻撃に及びます。

さらに、そちらの一般人は、まともな議論をデタラメと誤認し、自らのデタラメ科学を平気で本物っぽく語ります。

このような現状のため息ブログメンバーの問題点を知ること!、これがサラリーマン生活さんがまず、やるべき事です。

フェアにSTAP問題を理解したいなら、まず、そちらの人が抱える問題点に気付かないといけないです。ため息ブログから出ないとだめです。

それをしないのなら、サラリーマン生活さんは、元々、フェアな人では無いからでしょう。



plus99%さんです。見苦しいおちょくり発言が続いてますね。


誰からも、間違いを指摘されないので暴れ放題です。
plusさんは、不消化理解の方ですがと、端からそう言われようが、plusさんはめげない方です。

以下のplus99%の
(2020年7月29日 9:37 AM)
文章にある、大局的、総論的な解説って、各論的な詳細解説とセットで語られるものです。さらに、最新論文へと議論が移っていくと思うけど、plusさんは、こうした理論武装が無くても平気な方です。間違っていると言われたらplusさんはスルー。


専門家にとっては、未知で複雑な世界でも、無知の人には簡単な世界でしかない。理論を欠いた背伸び文章とは、以下のようなものです。

>一旦分化した細胞では鍵がかかっているだけということですね。iPS細胞の発見でこれは確実になっている。その鍵を外す方法はあるんではないか?簡単な発想です。
発想すること自体は誰でもできるんです。

発想なんて、ずっと昔からあります。鍵がかかっているとの発想をplusさんがするようになったのが、STAP事件がきっかけなんでしょ?

だけど、以前からある生命科学は、その解明へと少しずつ進んできたんですよ。iPSの山中因子発見で、一気に人が気付いたのでは無いです。遺伝子導入と発現の関係も、その後にわかってきた話です。

plusさん、自身のレベルを軸にものを考えるのは、無知なる人である証拠よ!

まず、plus自らの問題点に気付きなさいな。

日本語がわからない、意味がわからない作文だって、そちらでは誰からも注意せず、plusさんは知識人としてもてはやしてもらえる。結果、いい気になって不消化科学を、勝手自己流で解釈し、まるで正論であるかのように錯覚して書く。

誰からも注意されないところで、安心してデタラメ科学を語る。あくまでも、私(plus)個人はこれをこう考えますといったレベルの文章に過ぎない。

そこでしか通用しないplus文章でも、plusさんは幸せでしょうから、今後の改善は望めない?そこで沈んで行くのか?生命科学におけるplus流理解のままだあ〰️!
 
 
 
 
コメント
体内時計さん
気まぐれぺルドン
「有名な「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」(または「―権利には賛成だ」。フランス語の翻訳文では「命をかけて」は同義の「飽くまで」)という言葉は、民主主義・自由主義のとりわけ表現の自由、言論の自由の原則を端的に示した名文句として人々に記憶されているが、実はヴォルテールの著作や書簡にはみえず、S・G・タレンタイア(Stephen G. Tallentyre、本名Evelyn Beatrice Hall)の著作『ヴォルテールの友人』("The Friends of Voltaire"、1906年)中の「'I disapprove of what you say, but I will defend to the death your right to say it,' was his attitude now.」の部分翻訳である。これは当時物議を醸した書物『精神論』とその著者クロード=アドリアン・エルヴェシウスに対するヴォルテールの態度のタレンタイアによる要約であり、ヴォルテール自身の言葉とはされていない。 なお Norbert Guterman の『A Book of French Quotations』(1963)は、この Hall の言葉を、ヴォルテールの1770年2月6日、M. le Riche あての書簡にある、「私はあなたの書いたものは嫌いだが、私の命を与えてもあなたが書き続けられるようにしたい」(Monsieur l’abbé, je déteste ce que vous écrivez, mais je donnerai ma vie pour que vous puissiez continuer à écrire.)にもとづくものとしているが、実際の Riche あての書簡にはそのような文言は存在しない」

その他、タレーランの言葉の説もありますね。
僕はジェフアソンの言葉として覚えているので、彼が議会で引用し発言してもおかしくなりませんね。政治家なら、一度は発言したい言葉ではありませんか・?

貴方はサラリーマン30年産の発言をどう思われますか・?!