2020/04/22
2020年4月21日のため息ブログのタイトルは、
”学とみ子は小保方氏捏造説を支持するようになった。” である。
ため息さんのこの反語的表現
”学とみ子は小保方氏捏造説を支持するようになった。”
は、(学とみ子から)デタラメと言わせるための究極のいやがらせタイトルである。
ため息さんは、デタラメ状態を維持する居直り戦術を決め込んだ。
性格の悪さが丸見えになっても、気にしないとの戦術だ。
”小保方氏が、ESを使ってSTAP論文の実験結果を示すことは不可能な技である” と、学とみ子が書いたことを逆手にとって、ため息さんは、およそ知識人とは思えないデタラメ解釈を恥も外聞もなく繰り出した。
ため息さんは言う。論文の全部についてなんて、私は読んでないぞ!だから、全体を把握する必要はないのさ!に近い発言をした。
学とみ子は、(ため息が)読み違った!読み違った!と大騒ぎしてさ、バカじゃない?こいつ!と、ため息さんは廻りの人に印象付ける。
でも、残念でした。そんな言い訳、そこだけでの通用です。
ため息さんは、この意地悪丸出しの暴力的状態で居直ったのだからしかたない。
さらに、あちらの人たちも、そのタイトルのでたらめさに触れず、コメントし続けている様は興味深い。そして、不思議な光景だ。
何か、不思議の国に迷いこんだみたいだ。
あからさまな嘘と気づく事を、国民皆が嘘とは扱わない特殊な国だ。
しかも、実は、そこに住む人たちも嘘とわかっている。
しかし、誰も、嘘だとは言わない!
ええっ、どうしてなの~?と、外からその国に入ってきた人は思う。
この不思議の国は、小保方氏を犯人に据え置きたいと願う人たちの目的をかなえる集団だ。それに批判的な人はもう来ない。
あそこには、小保方氏犯人説は無理だ!と思っている人たちもいる。しかし。そこはだまっている。
そうしたため息ブログのバックグラウンドを表しているのかもしれないな。
もともと、彼らは限られた人々で、同一目的で、皆が結束している。外の人から見ると、それがすぐわかるようになってしまうのは、ため息さんにとって有利とは思えない。しかし、ため息さんのメンツファーストの結果、こうなってしまったのだろう。
小保方犯行説を堅持する動機は、メンバー各人で異なるが、共通するのは、参加者誰もが自分が自分であるための行動である点だ。
証拠が無くても、科学的でなくとも、ひとつの決めた方向で、あそこの人たちは頑張っている。
究極、あそこの人たちは、科学の土俵で勝負したいわけではない。
しかし、科学を利用したいとは考えている。だから、科学を知らないと決め込んだ相手に対しては、あちら人たちは高圧的にふるまい、徹底的にバカにしてきた。やっぱり手法だ。
この活動の参加者は、かつては、一種の優越感を感じながら、各人、意見を書いていた。
優越感を感じることができていたようだ。
まるで、にわかに、科学者になったかのように錯覚していた人もいた。
でも、さすが、そうした傾向は影をひそめた。
ブログ主も、科学力を誇ることをしなくなった。というより、できなくなった。
科学力で、胸をはる行動パターンが、あちらでなくなっているように思う。
いろいろ、優越感の根が深いと思う。
あちらの人は、これからも、揚げ足取りと、言いがかり戦法を続けるのか?
いつまでも、何らかのマイナスのインパクトを、STAP派に浴びせようと、彼らは企んでいるのか?
究極、彼らはこの活動を飽きたら止めるだろうか?
しかし、ブログ主は、相手(STAP派)がムキになれば、おもしろがって続けそうだ。
この両者の攻防が、どのような展開になるかはわからないが、何か良いことにつながる側面を期待したい。
人々が病気や細胞を勉強することにつながれば、無駄ではないし・・・。
だから、当ブログは、生命に関するもろもろの紹介を続けていきたいと思う。
その中で、科学界がはらむ矛盾、知識人の実態には目を向けていきたい。
科学者をめざすとは、どういうことなのか?を考えたい。そのリスクも考えたい。
話は変わるが、米国のCDCが、今冬のコロナウイルス感染は、もっとひどくなるとの展望を示した。
ここまで、広がったら、人の流れをどんなに止めても、家庭や買い物がある限り、人と人の接触はなくならない。ロックダウンすると、その結果、感染症がなくなるとの証拠が無い。
個人ごとに、意識と価値観の違いなど解決出来ない問題なのに、理不尽な不安を煽って、人々から職を奪っている。
誰もが、多様な人生を生きている現代、感染拡大防止に意識の無い人もいる。それをコントロール出来ない国のあり方だ。
でも、本質、政治家は、国民に命令を出すのが好きなのだ。歴史がそれを語る。感染拡大抑止の旗印で、政治家の権力拡大が進んでいる。中心街の人口を減らし、電車が混まなければ、感染症が無くなるとの幻想を国民に提供している。一時的手段で病気が退治できると夢物語を語っている。
さすがに今はやめているが、がん検診をするとガンにならないとの国主導の啓発をしていた時期があった。その過剰なる負担は、医療人を苦しめた。
がんばれば病気がなくせるとの根拠についての議論が無いのは問題だ。こうした議論の出来ない政治家がものを決める。
しかし、権力者は、他人をコントロールするのが楽しいのだろう。
人間同士の接触を減らしたら、病気が無くなるという根拠はどこにもないし、経済人と医療人は、議論をしなければいけない。大事な命の問題を、出来ないペーパー医者の意見で決めてはならない。
経済人は黙っていてはいけない。突然の休業指示で、ショップやデパートのこおむった被害についてのデータ議論が必要だ。
いつでも、どこでも、感染症は起きてくる。
安部首相の小さいマスク姿にこだわる様子を見ていると、全権限は俺にある!とのパフォーマンスを感じる。
研究界にも、医療界にも税金を振り撒いて、政府の指示に従う組織に変えてきた。
政治家の思い付く方向に、国民を持ってきたいのだ。
実際の病気の実態についての展望のない人たちが、命令を出している現状が残念だ。
経済人、頑張れ。命を守るにはお金が必要なのだ。
”学とみ子は小保方氏捏造説を支持するようになった。” である。
ため息さんのこの反語的表現
”学とみ子は小保方氏捏造説を支持するようになった。”
は、(学とみ子から)デタラメと言わせるための究極のいやがらせタイトルである。
ため息さんは、デタラメ状態を維持する居直り戦術を決め込んだ。
性格の悪さが丸見えになっても、気にしないとの戦術だ。
”小保方氏が、ESを使ってSTAP論文の実験結果を示すことは不可能な技である” と、学とみ子が書いたことを逆手にとって、ため息さんは、およそ知識人とは思えないデタラメ解釈を恥も外聞もなく繰り出した。
ため息さんは言う。論文の全部についてなんて、私は読んでないぞ!だから、全体を把握する必要はないのさ!に近い発言をした。
学とみ子は、(ため息が)読み違った!読み違った!と大騒ぎしてさ、バカじゃない?こいつ!と、ため息さんは廻りの人に印象付ける。
でも、残念でした。そんな言い訳、そこだけでの通用です。
ため息さんは、この意地悪丸出しの暴力的状態で居直ったのだからしかたない。
さらに、あちらの人たちも、そのタイトルのでたらめさに触れず、コメントし続けている様は興味深い。そして、不思議な光景だ。
何か、不思議の国に迷いこんだみたいだ。
あからさまな嘘と気づく事を、国民皆が嘘とは扱わない特殊な国だ。
しかも、実は、そこに住む人たちも嘘とわかっている。
しかし、誰も、嘘だとは言わない!
ええっ、どうしてなの~?と、外からその国に入ってきた人は思う。
この不思議の国は、小保方氏を犯人に据え置きたいと願う人たちの目的をかなえる集団だ。それに批判的な人はもう来ない。
あそこには、小保方氏犯人説は無理だ!と思っている人たちもいる。しかし。そこはだまっている。
そうしたため息ブログのバックグラウンドを表しているのかもしれないな。
もともと、彼らは限られた人々で、同一目的で、皆が結束している。外の人から見ると、それがすぐわかるようになってしまうのは、ため息さんにとって有利とは思えない。しかし、ため息さんのメンツファーストの結果、こうなってしまったのだろう。
小保方犯行説を堅持する動機は、メンバー各人で異なるが、共通するのは、参加者誰もが自分が自分であるための行動である点だ。
証拠が無くても、科学的でなくとも、ひとつの決めた方向で、あそこの人たちは頑張っている。
究極、あそこの人たちは、科学の土俵で勝負したいわけではない。
しかし、科学を利用したいとは考えている。だから、科学を知らないと決め込んだ相手に対しては、あちら人たちは高圧的にふるまい、徹底的にバカにしてきた。やっぱり手法だ。
この活動の参加者は、かつては、一種の優越感を感じながら、各人、意見を書いていた。
優越感を感じることができていたようだ。
まるで、にわかに、科学者になったかのように錯覚していた人もいた。
でも、さすが、そうした傾向は影をひそめた。
ブログ主も、科学力を誇ることをしなくなった。というより、できなくなった。
科学力で、胸をはる行動パターンが、あちらでなくなっているように思う。
いろいろ、優越感の根が深いと思う。
あちらの人は、これからも、揚げ足取りと、言いがかり戦法を続けるのか?
いつまでも、何らかのマイナスのインパクトを、STAP派に浴びせようと、彼らは企んでいるのか?
究極、彼らはこの活動を飽きたら止めるだろうか?
しかし、ブログ主は、相手(STAP派)がムキになれば、おもしろがって続けそうだ。
この両者の攻防が、どのような展開になるかはわからないが、何か良いことにつながる側面を期待したい。
人々が病気や細胞を勉強することにつながれば、無駄ではないし・・・。
だから、当ブログは、生命に関するもろもろの紹介を続けていきたいと思う。
その中で、科学界がはらむ矛盾、知識人の実態には目を向けていきたい。
科学者をめざすとは、どういうことなのか?を考えたい。そのリスクも考えたい。
話は変わるが、米国のCDCが、今冬のコロナウイルス感染は、もっとひどくなるとの展望を示した。
ここまで、広がったら、人の流れをどんなに止めても、家庭や買い物がある限り、人と人の接触はなくならない。ロックダウンすると、その結果、感染症がなくなるとの証拠が無い。
個人ごとに、意識と価値観の違いなど解決出来ない問題なのに、理不尽な不安を煽って、人々から職を奪っている。
誰もが、多様な人生を生きている現代、感染拡大防止に意識の無い人もいる。それをコントロール出来ない国のあり方だ。
でも、本質、政治家は、国民に命令を出すのが好きなのだ。歴史がそれを語る。感染拡大抑止の旗印で、政治家の権力拡大が進んでいる。中心街の人口を減らし、電車が混まなければ、感染症が無くなるとの幻想を国民に提供している。一時的手段で病気が退治できると夢物語を語っている。
さすがに今はやめているが、がん検診をするとガンにならないとの国主導の啓発をしていた時期があった。その過剰なる負担は、医療人を苦しめた。
がんばれば病気がなくせるとの根拠についての議論が無いのは問題だ。こうした議論の出来ない政治家がものを決める。
しかし、権力者は、他人をコントロールするのが楽しいのだろう。
人間同士の接触を減らしたら、病気が無くなるという根拠はどこにもないし、経済人と医療人は、議論をしなければいけない。大事な命の問題を、出来ないペーパー医者の意見で決めてはならない。
経済人は黙っていてはいけない。突然の休業指示で、ショップやデパートのこおむった被害についてのデータ議論が必要だ。
いつでも、どこでも、感染症は起きてくる。
安部首相の小さいマスク姿にこだわる様子を見ていると、全権限は俺にある!とのパフォーマンスを感じる。
研究界にも、医療界にも税金を振り撒いて、政府の指示に従う組織に変えてきた。
政治家の思い付く方向に、国民を持ってきたいのだ。
実際の病気の実態についての展望のない人たちが、命令を出している現状が残念だ。
経済人、頑張れ。命を守るにはお金が必要なのだ。