前回の記事で、学とみ子は以下を書きました。青字

解明されている科学は、まだ一部なのです。
それで、ブロックするとのあいまいな一般表現を使います。学術用語として使わない理由があることをご理解ください。



降圧のメカニズム、受容体の機序解明、については、薬剤開発などもからみ、その知識はまだ流動的だと思います。
薬剤開発の点では、相互作用などが化学的構造に基づいて解明される時代になっています。
しかし、こと人体となると、まだまだ、不明な点ばかりで、反応の個人差の前で、科学は立ち往生しているとした状態と思います。
降圧のメカニズムの知識は、今後もまだ変わってきます。

医学は、アバウトな領域です。
ですから、医学の勉強には、既知の知識にとらわれず、アバウトに理解することは、非難されることではありません。
人体の理解には、柔軟さが必要です。
この薬が効くはずだとか、この病気はこうなるはずとか、予期してしまうことがとても危険です。
もともと、なかなか予期できないものと覚悟している人の方が、理論との違いが見えて新発見につながると思います。

細かくひとつの機序を知ることより、全体で機能しているつながりについて、考えることが大事ということです。
一人の人がオールマイテイに知識を持つこともできません。
いつでも、知識に謙虚でないと、自らの不足に気づけません。
だから、他の人が知らないからと言って、バカにしてはいけません。
その人は、別のことをもっと知っているのかもしれませんから。

一つの作用機序をとりあげても、人体は語れません。
アバウトだった人体機能や病気の知識が次第に解明され、透明度が増したものの、人体も病気も、ひきつづき、多くはアバウトのままで留まっているでしょう。
このアバウトさをふまえて、ものを考えることが大事と思います。

まあ、こうしたことを言っても、あちらの方には無駄でしょう。
学とみ子は、無知をごまかそうとしているとしか言わない人たちです。
彼らのモチベーションは、相互にSTAP細胞を語り合うことでなく、STAP細胞を否定することです。

イスラム世界に詳しい歴史学者の鈴木董氏が、大帝国の維持にはアバウトさが必要と言っています。
8-11世紀のイスラム世界の領土の支配には、他宗教を認めるという偉大なる ”アバウトさ” がありました。
さらに、8-11世紀のイスラム国家は、”アバウトさ” で広い文字文化を吸収でき、かつ、科学力も高かったと、NHKの子ども向け教育番組でやってました。

残念なことに、学とみ子の世代では、あまりアラブイスラム世界について、こうした事は学びませんでしたね。
でも、広く領土を支配するには、個々の地域の事情を認める寛容さ、”アバウトさ”が必要だというメッセージはわかりますね。

これと同じように、人体の科学も、広大な領域に及びます。
一人の人体も広大なのです。
さらに、そこに、各個人で反応の違いが加わります。

ここまで言うとわかるかもしれませんが、学とみ子はSTAP細胞に言及しようとしています。
細胞においても、その動態や機能は、”アバウト” なんですね。
しかし、遺伝子をやっている研究者たちは、そうした細胞の側面を理解しませんでした。
遺伝子学者による、STAP細胞は偽物との誤解は、STAP細胞には災難でした。

中国のチームが薬剤による細胞初期化に成功したことは、STAP細胞もそうしたものであったということです。

素人ながら、学とみ子は、STAP細胞が特殊に初期化したのは、使用されたマウス細胞がとても特殊だったことが原因していたのではないか?と、以前から考えています。
そのマウスで再現実験をやれ!とアドバイスした海外の科学者が言った言葉を大事にしています。

人体も細胞も、その機序解明は、アバウトのままですから、各機能のつながりを重視しながら、先へと研究は進むのですね。
解明されていることは、まだほんの一部ですから。