2019/10/01
新しく書き加えたとされる“捏造の科学者”12章を読み始めて、学とみ子は、すぐ、塩酸とATP問題でつっかかってしまった。
あああ、須田さんて、根拠なく思いこむ人なのだなあ~との感想だ。
根拠がなくても、自身の考えが信じられる人なのだと思う。
だからこそ、こうした本が書けるのだ。
須田さんにしてみれば、塩酸とATPは大きく違う物質なのだろう。
確かに、化学物質として大きく違うが、STAP実験においては、同じ目的を持つ物質なのだ。
そもそも、塩酸が良いのか、ATPが良いのかも誰もわからない。
もっと言えば、なぜ、塩酸なのか?なぜATPなのか?について、世界中の科学者が答えを持たない。
塩酸でなくてはいけないと、須田さん、あなたはなぜ、そう考えるのですかね?
もう、そこでそう考えてしまう須田さんは、STAP事件を論じるには荷が重すぎないですか?各作業がどのような意味を持つのかが考慮できてません。
須田さんの答えは、
「論文に書いてあるから、論文どおりじゃあないといけないでしょう?当たり前だと思いますけど・・・。」だろうな?
まあ、学とみ子は、この部分でつまずいていないで、先へ進まないといけないな!と思う。
12章では盛んに混入との言葉がでてくる。
須田氏の認識では、混入犯は小保方氏以外にはイメージがわかない。
どうやってESを混ぜるのか?すりかえるのとどう違うのか?なんていう考察は、須田著書にひとつもでてこない。
まぜると、遺伝子解析ではばれてしまうし、まぜるのは、それ以外の実験でやらないといけないとか、混ぜてうまくごまかせる実験はどれとどれか?なんて、須田さんは考えないだろう。
須田氏の中では、小保方氏がESねつ造をどのようにやったのか?どうやるとできるのか?なんての推理は全く興味がないだろうし、そこを科学者に確かめようともしない。
混入で何ができて、何ができないか?のイメージはわかない人だ。
最初も、最後も、小保方捏造ありきの人で、それ以外には須田氏の考え付かない。
桂報告書が用いた”混入”とは、若山研究室での実験ミスを含めた表現であるなんて発想は、須田氏は全く持たないだろう。
ES混入は、実験ミスを含むとは、桂報告書には表立って書かれていないしね。
しかし、混入とは本来、そうした含みがある。
この含みがあるとの情報を須田氏が聞いたとしても、須田氏にはそのイメージはつかないのだろう。
桂報告書は、小保方捏造で間違えないといってるとの須田氏の認識であり、須田氏自身がかかわったポストある研究者たちは、すべて小保方捏造は科学的に正当と言ってたし、間違えようがないであろうと考えてるだろう。彼女は確固たる信念の人だ。
12章に限らないが、捏造の科学者には、全編を通じて、須田氏が研究者層から情報を垂れ流し的に得ていた実態が詳しく書かれている。こうした状況をストレートにかくと、須田氏の記者としての将来に不利だ。
今回も、桂調査委員会の委員から、調査中の小保方氏の様子などがゆるゆるに漏れてくる様が、著書に記されている。
理事長であった野依氏の最後の記者会見の様子などが書かれているが、事件中、野依氏は記者会見をパスすることが多かった。
一部の研究者層と、それを支持する官僚、マスコミによって、理研の研究成果がずたずたにされたことに対し、野依氏は怒ったであろう。
研究現場が、実験の実態を知らない人たちに踏みにじられた事への強い怒りは、研究者共通の思いではないか?
そうした怒りの野依氏が、記者会見をパスしたのも、暴力的で権力抗争的な事件の側面に、研究現場が汚された事への抗議の思いではないのかな?
記者会見における野依氏の言葉に、「研究現場でたくさんの人がかかわって相互検証がなかったことが最大の原因だと思う。」がある。(文庫本425頁)
ES派の立場で、この発言の解釈は、「小保方捏造を見破れなかった周りの研究者に問題があった」となるのだろうけど、STAP派は、そうした意味にはとらないぞ!
野依氏の強調部分は、“たくさんの人”の方である。
たくさんの人がかかわった実験実態であったことを強調したいのだろう。
つまり、そうした多くの目がある実験実態では、個人のねつ造など決して可能ではないのだ。
多くの人が見ている前で、全実験を通じて間違いが起きるのは、無意識の実験ミスの方がズーと多いであろう。
実験者自身が、実験手技において、その結果の解釈において、何らかの勘違い、間違いをしてしまう。
そして、しばらく、その間違いに気づかない。
結果、実験成果に対する解釈と理解において間違いが起きる。
実験ミスは、複数の研究者の相互チェックがうまく働かず、個人的思い込みが強いとおこる。
実際、小さな勘違いは、新規科学では、日常的におきているはずだ。
それに比べて、複数の人の目がある状態で、個人のねつ造がまかり通る可能性は低い。
不正を企てる実験者が出没する可能性も低い。
特殊な人は、その出没頻度が低い。
今時、複数研究部署がかかわるおおがかりな実験形態において、個人のねつ造は可能ではない。
結局、ねつ造の頻度よりすっと多く起きてるのは、実験ミスの方なのだと思う。
野依氏がESねつ造を本気で信じていたら、こうしたやりとりの記者会見にはならないと思う。
あああ、須田さんて、根拠なく思いこむ人なのだなあ~との感想だ。
根拠がなくても、自身の考えが信じられる人なのだと思う。
だからこそ、こうした本が書けるのだ。
須田さんにしてみれば、塩酸とATPは大きく違う物質なのだろう。
確かに、化学物質として大きく違うが、STAP実験においては、同じ目的を持つ物質なのだ。
そもそも、塩酸が良いのか、ATPが良いのかも誰もわからない。
もっと言えば、なぜ、塩酸なのか?なぜATPなのか?について、世界中の科学者が答えを持たない。
塩酸でなくてはいけないと、須田さん、あなたはなぜ、そう考えるのですかね?
もう、そこでそう考えてしまう須田さんは、STAP事件を論じるには荷が重すぎないですか?各作業がどのような意味を持つのかが考慮できてません。
須田さんの答えは、
「論文に書いてあるから、論文どおりじゃあないといけないでしょう?当たり前だと思いますけど・・・。」だろうな?
まあ、学とみ子は、この部分でつまずいていないで、先へ進まないといけないな!と思う。
12章では盛んに混入との言葉がでてくる。
須田氏の認識では、混入犯は小保方氏以外にはイメージがわかない。
どうやってESを混ぜるのか?すりかえるのとどう違うのか?なんていう考察は、須田著書にひとつもでてこない。
まぜると、遺伝子解析ではばれてしまうし、まぜるのは、それ以外の実験でやらないといけないとか、混ぜてうまくごまかせる実験はどれとどれか?なんて、須田さんは考えないだろう。
須田氏の中では、小保方氏がESねつ造をどのようにやったのか?どうやるとできるのか?なんての推理は全く興味がないだろうし、そこを科学者に確かめようともしない。
混入で何ができて、何ができないか?のイメージはわかない人だ。
最初も、最後も、小保方捏造ありきの人で、それ以外には須田氏の考え付かない。
桂報告書が用いた”混入”とは、若山研究室での実験ミスを含めた表現であるなんて発想は、須田氏は全く持たないだろう。
ES混入は、実験ミスを含むとは、桂報告書には表立って書かれていないしね。
しかし、混入とは本来、そうした含みがある。
この含みがあるとの情報を須田氏が聞いたとしても、須田氏にはそのイメージはつかないのだろう。
桂報告書は、小保方捏造で間違えないといってるとの須田氏の認識であり、須田氏自身がかかわったポストある研究者たちは、すべて小保方捏造は科学的に正当と言ってたし、間違えようがないであろうと考えてるだろう。彼女は確固たる信念の人だ。
12章に限らないが、捏造の科学者には、全編を通じて、須田氏が研究者層から情報を垂れ流し的に得ていた実態が詳しく書かれている。こうした状況をストレートにかくと、須田氏の記者としての将来に不利だ。
今回も、桂調査委員会の委員から、調査中の小保方氏の様子などがゆるゆるに漏れてくる様が、著書に記されている。
理事長であった野依氏の最後の記者会見の様子などが書かれているが、事件中、野依氏は記者会見をパスすることが多かった。
一部の研究者層と、それを支持する官僚、マスコミによって、理研の研究成果がずたずたにされたことに対し、野依氏は怒ったであろう。
研究現場が、実験の実態を知らない人たちに踏みにじられた事への強い怒りは、研究者共通の思いではないか?
そうした怒りの野依氏が、記者会見をパスしたのも、暴力的で権力抗争的な事件の側面に、研究現場が汚された事への抗議の思いではないのかな?
記者会見における野依氏の言葉に、「研究現場でたくさんの人がかかわって相互検証がなかったことが最大の原因だと思う。」がある。(文庫本425頁)
ES派の立場で、この発言の解釈は、「小保方捏造を見破れなかった周りの研究者に問題があった」となるのだろうけど、STAP派は、そうした意味にはとらないぞ!
野依氏の強調部分は、“たくさんの人”の方である。
たくさんの人がかかわった実験実態であったことを強調したいのだろう。
つまり、そうした多くの目がある実験実態では、個人のねつ造など決して可能ではないのだ。
多くの人が見ている前で、全実験を通じて間違いが起きるのは、無意識の実験ミスの方がズーと多いであろう。
実験者自身が、実験手技において、その結果の解釈において、何らかの勘違い、間違いをしてしまう。
そして、しばらく、その間違いに気づかない。
結果、実験成果に対する解釈と理解において間違いが起きる。
実験ミスは、複数の研究者の相互チェックがうまく働かず、個人的思い込みが強いとおこる。
実際、小さな勘違いは、新規科学では、日常的におきているはずだ。
それに比べて、複数の人の目がある状態で、個人のねつ造がまかり通る可能性は低い。
不正を企てる実験者が出没する可能性も低い。
特殊な人は、その出没頻度が低い。
今時、複数研究部署がかかわるおおがかりな実験形態において、個人のねつ造は可能ではない。
結局、ねつ造の頻度よりすっと多く起きてるのは、実験ミスの方なのだと思う。
野依氏がESねつ造を本気で信じていたら、こうしたやりとりの記者会見にはならないと思う。