嘘ばっかり (新潮文庫) [ ジェフリー・アーチャー ]という単行本を立ち読みした。
このイギリス人作家(兼政治家)のファンというわけではないが、1999年、彼は、過去の証言が嘘だったと告白し、偽証罪に問われ、2001年7月に裁判で実刑が確定し服役した経験を持つ。
その後、作家として復帰しているが、ホリエモンと同じように服役を自らの活動の武器に変えてしまうようなエネルギッシュな人だとの印象を、学とみ子は持っていた。
たまたま、そんな私が書店で手にしたタイトル「嘘ばっかり」の短編集をパラパラさせたところ、女性文学部教授の最終講義の小説が目にとまった。
小説に書かれた当時、大学の女性教官は、教官採用時は男性と収入でも差別され、厳しい職場環境であったようだが、知性溢れる彼女は差別にめげず優れた学術レベルの講義を大学で続け、彼女の薫陶を得た教え子たちが続々と出世して社会の上層ポストを得た。
そして、今、その女性教授の最終講義の時となり、教えた著名人が次々と集まり、又、一層、華やかで名誉ある最終講義の日となった。
小説は、このイベント描写からストリー展開となる。
そして、彼女がかつて、その大学で初めてシェークスピアの講義を行った時の出来事が、ストリーの骨格をなしている。
初回講義の日、男性学生たちは、当時、珍しかった女性教官をへこませてやろうと集団で、彼女に襲い掛かった。
女性教官の講義に初めて触れた男性学生たちが、次々と人を変えて、彼女を質問攻めにしたのである。
彼女の無知を見つけ、失言を誘い、貶めてあざわらってやろうとの学生たちの魂胆であった。
学生たちは女性教官をバカにして、学生の博学を女性教官に知らしめてやる!と集団で構えていたのである。
学生たちは、「俺たちは、すでにお前(女性教官)よりずーと優秀だぞ!お前に教わることなどあるものか!」と意気込んでいた。
学生たちは、「俺たちは、すでにお前(女性教官)よりずーと優秀だぞ!お前に教わることなどあるものか!」と意気込んでいた。
学生たちは、最初から、一方的に質問攻めを始めた。
従来から歴史的疑問とされたシェークスピアは複数人物ではないか?の質問を皮切りに、数々の文献的考察への即答を女性教官に求めた。
シェークスピア劇の登場人物のせりふの解釈やら、暗唱などを教官に求めた。学生は、一人が論破されると、次々に別の人が質問に立ち、激しく女性教官に襲い掛かったのである。
その議論の交換の時の、知識の応酬と心理描写が、この小説の見どころなのだろう。
女性教官は学生に対して奮戦した。もちろん、知識で、教官は学生を圧倒する。
小説では、学生の挑み方の手法などが要領よく書かれ、それに対する女性教官がどう感じ、どう反撃したかの経緯が書かれている。
お互いに論破されてなるものかと、学生は集団として攻め、それを受けての教官は一人で、知識と意地を披露した様が語られている。
文学部の授業やシェークスピア論にはなじみのない学とみ子ではあるが、この短編をザザッと読んでしまったのである。
時代も国も境遇も違うけど、男性たちの女性いじめに共通するメンタリティーをそこに見た思いだ。
小説に登場する文学部学生は、知識がまだ薄く、はるかに多くの人生時間を勉学に割いてきた女性教官の知識量にかなうわけはないのだが、学生にはそこが見えない。
論破できるのでは・・・と、学生たちは己の無知を知らずに、女性教官に襲いかかっているのだ。
ES派シンパで一般参加のSTAP否定論者たちは、これらの学生たちと類似のメンタリティー構造を見た。
“STAP論文をしっかり読めば、そこには、ES混入では決して説明できない事実がしっかり読み取れるはずだ!”
との学とみ子の主張は、専門家ではないES派の人々の知的好奇心を逆なでしているのだ。
ES混入論を信奉する者は、科学知識のレベルはまちまちであるが、STAP擁護論を潰すという目的において共通している。
ES派には、小保方氏ひとりに罪を集中させておきたい(他の人を逃したい)と画策するプロ集団がいるだろう。
一方で、細胞知識は全くの素人でありながら、科学を論じている人になりたいと願う人たちもいる。
専門知識を持つものを嫌悪し、論破した気分になって優越感にひたろうとする人たちもいる。
結局、かなり幅広いメンタリティーの人々がES派を構成している事がわかるのである。
このES派集団の人たちのやろうとしていることは、印象操作の手法である。
ES派街灯集団は、ES混入論が光をあててくれた街灯の下に集まる人々である。
彼らは細かいSTAP事件のイベントの順序を覚え、ES派が解説してくれたままのSTAP細胞のなりたちを覚え、それだけで細胞のすべてを理解したつもりの人たちである。
細胞についての無知を指摘されても、何とも思わない人たちである。
たとえ、素人のでたらめであっても、科学を論じているように見せたい人たちである。
良くわからない第三者から科学を論じている人とみなしてもらえれば、このES派街灯集団の目的は達せられる。
ES派街灯集団は、何か知識を持っていそうに見える人たちや、啓発活動をするSTAP擁護論者は、すべて潰しておきたいのである。
街灯の人たちは、いかにも論じているような言葉づかいを駆使するのが得意だ。
学とみ子を否定し、学とみ子がでたらめ論を吐いていると印象付けることに熱心である。
彼らの言っている細胞論、科学論は間違いが多いのだが、学とみ子がそれを否定しても、否定した学とみ子まちがっているとして反論してくる。
彼らの意図は、学とみ子を論破することではなく、(論破できないことは知っている)、その議論をウオッチしている第三者に向けたパフォーマンスなのだ。
彼らは自らの科学論・細胞論はあまり語らない。
むしろ、学とみ子がいかに間違っているのかを論じるのに熱心だ。
このパフォーマンスに騙される第三者の中には、
「学とみ子は医師だと言っているのすら嘘だろう?」とし、
「ネットと言えど、詐欺罪ではないか?」
などと発言する者まで、ため息ブログに現れる。
ES派街灯集団は、学とみ子は、自らの無知に気付かない愚か者!多くの人に笑われている!世の中の多くの人は、学とみ子のでたらめに気付いている・・・と、吹聴する。
彼らがチラッと書く細胞論などは、支離滅裂なのだが、学とみ子がそこを注意しても、そんなことは重要ではないと開き直る。
小保方単独ねつ造論を推進するES派のプロ学者たちは、ES派軍団に対して、すべての知恵をさずけることは、当然できなかった。
ES,TSと呼ばれる細胞が生体内にあるわけではないが、ES派のプロ学者たちは科学的歴史の知識なまで、素人たちに授けてはくれなかった。
しかし、ES派軍団は、そうしたことが大事だという意識などない。
どこを間違ったら素人丸出しであるのか?などには興味がない。
ES派街灯集団は、マスコミ同様の情報操作が目的であり、口うるさい”もの知り”などを相手にしない。
だから、ES派素人軍団は科学論の何を言われても怖いものはない。
印象操作をくりかえし、社会世論を形成させることがES派素人軍団の目的だ。
一旦、細胞知識に戻って勉強し直すなどの気持ちなどはさらさらない。
それより、でたらめでも情報操作が楽しいのだろうし、知識を持つ対象を引き摺り下ろす作業はもっと楽しくて仕方ない人たちなのだろう。
最後に、学とみ子を否定する男性心理がよく現れている某氏のコメントを紹介していきたいと思う。
彼のコメントは、学とみ子の大事な主張をすべて省略し、末梢のどうでもよい部分を取り上げて、勝手な解釈で事を決めつけ、学とみ子否定を目的として印象操作につなげる。
彼の理解するスタイル以外はすべて誤りと解釈する。
学とみ子は言いたい!
「あなた(某氏)は、私の言い分の理解ができていないのだから、でたらめな解説を止めて!」
そんな某氏の書いた以下のコメントを見ていただこう。(青字)
いかにも科学論を語っているような文章に見せようとするスキルを見ていただこう。
でたらめな印象操作で世論を煽ろうする人の使う言葉で、良く使われるのは、”学とみ子の珍説”なる言葉である。
学とみ子否定論につなげるそのテクニックのさわりをご紹介する。
ntESなどの言葉で、学とみ子がSTAP細胞を説明しようとしたことはない。
唐突にも、ntES論が出てくるが、他のサイトの解説と混乱しているのではないか?
学とみ子さんの珍説、いろいろありました。
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桂報告書はキメラ、テラトーマだけではなくESとの比較実験までESによる捏造だと書いている、というのも珍説の部類です。
この某氏は、細胞についての持論も書いて来たのだが、学とみ子の書いている内容を全く理解できていない。そして、同類文章は、他のサイトでは披露しない。結局、書いてる内容に自信が持てないのか?
この某氏は、細胞についての持論も書いて来たのだが、学とみ子の書いている内容を全く理解できていない。そして、同類文章は、他のサイトでは披露しない。結局、書いてる内容に自信が持てないのか?
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・STAP細胞はntESにしないとキメラにならないというのもありました。
・検証実験で再現できなかったのはアクロシン入りマウスではなかったからだ、というのも代表的な珍説でしょう。