下記は、以前に紹介したことのある作品であるが、がんについての科学的発見の歴史を書いたものである。
がん -4000年の歴史― シュダールタ・ムカジー著 早川書房
がん -4000年の歴史― シュダールタ・ムカジー著 早川書房
この本は、がんの原因探索の中で、科学者たちの興奮や確執についても言及しているが、そうした表現の中に、興味深いものがあった。
”人は明るくなっているところでしか、ものを見ることができない宿命的な限界がある。”
暗闇では判別ができない。
見えない現象に光を当てて、見えるようにするのが科学なのだが、実はそうした望ましい方向性ばかりでなく、知識を持つ者(科学者)は、光を当てる部分をひどく偏向させ、意図する限定箇所ばかりに執拗に光をあてることがある。
歴史的にも、知識持つ者が、真実を一般人に知らしめないということはあった。
科学の世界においても、知識ある者たちが、知識薄い者たちに情報操作を行うことが懸念される。
知識ある者が、都合の良い限定した部分のみ明るくして、他の問題点には光を当てないのである。それがSTAP事件だったのではないだろうか?
上記の著者では以下の様に書かれている。
208頁 (青字)
生物学者のアーサー・コーンバークは以前、最新の近代生物学はまるで、かの有名なことわざに登場する「街灯の下で鍵を探す男」のようだと冗談を言った。通りがかりの人物に、鍵はそこでなくしたのかと尋ねられた男は、本当は家でなくしたのだと答える。それなのに、男が街灯の下でさがしているわけは、
「ここが一番明るいから」だ。
208頁 (青字)
生物学者のアーサー・コーンバークは以前、最新の近代生物学はまるで、かの有名なことわざに登場する「街灯の下で鍵を探す男」のようだと冗談を言った。通りがかりの人物に、鍵はそこでなくしたのかと尋ねられた男は、本当は家でなくしたのだと答える。それなのに、男が街灯の下でさがしているわけは、
「ここが一番明るいから」だ。
がんの原因が混とんとしていた時代、がんの原因を追究していた人たちには、限られた情報しかなかった。
ラウスという名前の科学者が、ウイルスが原因であるラウス肉種というニワトリの病気を発見した。実験室でウイルス感染とがん発症の関連を再現できたため、ここに光があたったのだ。
ラウス自身は、がんの原因はウイルスと強く信じていたと書かれている。
STAP事件の様相になぞらえてみた。
まず、街灯の下で鍵を探す人たちがいる。
まず、街灯の下で鍵を探す人たちがいる。
鍵はSTAP細胞の謎を解明するために必要なツールである。
光を当てたのは、ES派の学者たちで、この街灯の光の下に鍵があるとしたのである。
鍵を落とした人は、家の中で落としたことを知っているし、街灯の下ではないことはわかっているだろう。しかし、STAP事件は、ここの状況が明らかでない。
「鍵は街灯の下とは限らないですよ」と、指摘しても、それに応じるような連中ではない。
ES派の人達に言わせれば、小保方氏の問題点は一目瞭然だという。
hwkさんは、小保方氏が育ってきた新人育成制度を、何が何でも否定したいようである。
>早稲田の留学システム(早稲田大学グローバルCOE「実践的化学知」教育研究拠点)にどのような問題があったか、そのために博論の科学的根拠に疑義があるまま学位が授与されてしまったなど、調べれば、当時の問題がおわかりになるかと思います。
(hwkさんのコメントはすべてアップしてあります)
室内で、鍵を落とした人がどのような状況だったかは不明であるが、多分、鍵を落とした人とは別の人たちが何かをしかけたのではないか?と思う。
外の街灯の下をわざわざ明るくして、そこに鍵があるかのように活動をしたと想像できる。
仕掛け人が、人々の興味を、街灯の下に引き付けたのである。
仕掛け人は、街灯の下に鍵があると、マスコミにも広くふれまわった。
結果、マスコミ情報に興味を持って、街灯の下で鍵をみつけようと探し始める人たちが集まってしまったのである。
街灯の鍵に興味を持つ人たちが、今も、某ブログに集う。
誰でも程度の差こそあれ、科学の話題に憧れ、難しい議論に参加したい、と望む傾向はある。
専門家の話す内容について熱心にウオッチするものの、議論についていけないと自ら感じる人が多い。
鍵は本当に、街灯の下にあるのか?に疑問を持つ人たちは、そこを探すのを止め離れていく。
しかし、街灯の下だけで鍵を探し続け、鍵があったとまで言う人が出てくる。
「鍵は街灯の下とは限らないですよ」と、指摘しても、それに応じるような連中ではない。
ただ、そう声かけをしている人たちの一人、学とみ子の悪口を言うだけの人たちだ。
自己の知識で満足してしまう人たちは、STAP細胞を理解したと錯覚し、科学を論じているつもりになる。
そして、自分自身はすごい人と自覚して、上から目線で同じ内容の文章を書き続ける。
彼らは、STAP細胞に関して、新たな情報提供をすることはできない。出された情報を克明で追っていて、他人の無知を許さない。
ただ、(ES派学者たちから)明るくしてもらった場所だけで、ものを言っているだけの人たちだ。
街灯派ともいうべき人たちだろう。
マスコミは、一部の学者たちが光が当ててくれた部分のみで事件を考え記事にしてきた。
街灯派は、ES派の学者が光を当ててくれてわかりやすくしてくれた領域だけでSTAPの謎を考えてしまう。
街灯派は、マスコミがリークしてくれた知識を克明に追い、その部分を理解し、STAP細胞を把握できたと錯覚してしまう。
街灯派は、ES派学者が手を触れない部分において、疑問を呈したりもしない。
街灯派は、STAP細胞はESであり、小保方氏が混入したとして矛盾はないとの説で大満足してしまう。
結果、STAP事件は、未解決のままの室内に本当の鍵があるとは想像すらしない
結果、STAP事件は、未解決のままの室内に本当の鍵があるとは想像すらしない
興味深いことに、ES派の学者たちが光を当てたのは、STAP細胞の謎だけではないのである。彼らは、小保方氏の経歴についても、そこだけスポットを当てた。
ES派の人達に言わせれば、小保方氏の問題点は一目瞭然だという。
そして、他の新人たちの実情を顧みることなく、ただただ、小保方氏の経歴がでたらめだと指摘しているのである。
一般論として、専門領域の新人の育成をどのように行うかの仕組みと手法には議論が多い。
教育機関は、さまざまな試みをするものの実効がでず、国からの理不尽な指導とかがからみ、常に見直し、変更しているのが現状と思う。
生物学領域の新興勢力が政治力を獲得して、新たな戦略に乗り出す時、旧学術勢力からの攻撃対象になると予想される。
新興勢力には問題点も多く噴出するだろうから、旧勢力はそこを徹底的に追及してやろうとするだろう。つまり、どこにでもある権力抗争だ。
hwkさんは、小保方氏が育ってきた新人育成制度を、何が何でも否定したいようである。
しかし、そうした情報は、印象操作的と感じ、距離を置きたい人たちはいる。
アンチ小保方氏の立場で書かれた情報を、最初から問題視する人たちがいる。
そこには、アンチ小保方の情報操作が満載だろうと予想しているのである。
他の教育機関との比較が無く、フェアだと感じないのである。
研究者たちは、内部情報を手にして、そこから外部の特定研究室そのものを批判的にとらえたりする。
hwkさんは、そのつもりは無くても、以下の様に、科学界の勢力争いやら、権力抗争の実態を紹介してくれているのである。
青字
>早稲田の留学システム(早稲田大学グローバルCOE「実践的化学知」教育研究拠点)にどのような問題があったか、そのために博論の科学的根拠に疑義があるまま学位が授与されてしまったなど、調べれば、当時の問題がおわかりになるかと思います。
>ただ、早稲田の博論問題のように、研究者として違反行為をしていた院生が大学のプログラムで留学していた(留学先の研究室にも問題があった)例もあるので
hwkさんが意図したこととは別の読み方をする人がいることを、hwkさんはもっと自覚しておいた方が良いと思う。
(hwkさんのコメントはすべてアップしてあります)