前回からの”論文ねつ造関係”サイトからの紹介を続ける。
「私は、国内外の大学や研究所で、基礎医学生物学分野の研究をやってきました」
とおしゃる和戸川純氏のブログも良い。
とおしゃる和戸川純氏のブログも良い。
このサイトの小保方評もなかなか読みごたえがあり、共感できる。
4月9日
obokata1
沈黙を守っていた(守らされていた)小保方が、弁護士に付き添われて、調査委員会の結論に対する不服申し立ての記者会見を行った。この2回目の会見の小保方に、「覚悟を決めた女」の姿を見た。
沈黙を守っていた(守らされていた)小保方が、弁護士に付き添われて、調査委員会の結論に対する不服申し立ての記者会見を行った。この2回目の会見の小保方に、「覚悟を決めた女」の姿を見た。
女という性は、種の存続のために、他の個体である胎児を自分の体内で育て上げる。出産後は、自分から独立して生きる新生児を、自分の身を削って育てる。女は、覚悟の対象を守るために、他のすべてを捨てることができる。命がけの覚悟を本能的に求められている性だ。
小保方を、週刊誌などでは、「かわいそうな女」なのか、「したたかな女」なのか分からない、などとおもしろおかしく書き立てている。一見矛盾しているように見える、それらすべてを兼ね備えた、「覚悟を決めた女」が彼女の実像だ。
小保方を、週刊誌などでは、「かわいそうな女」なのか、「したたかな女」なのか分からない、などとおもしろおかしく書き立てている。一見矛盾しているように見える、それらすべてを兼ね備えた、「覚悟を決めた女」が彼女の実像だ。
「覚悟を決めた女」に比べると、最終的には自分の身を守ればいいだけの、「覚悟を決められない男」は無様だ。そういう女と男の実像が、理研の関係者が行なったいくつかの記者会見で、残酷なほどあらわになってしまった。
男には、自尊心を捨てることがとても難しい。「覚悟を決めた女」は、自分が守るべき対象のためならば、自尊心を簡単に捨ててしまう。小保方は、記者会見で、「私が未熟だったために問題が生じました」、とか弱い声で何度も反省の弁を繰り返した。野依が、小保方を未熟と切り捨てたことに合わせたのだ。しかし、「STAP細胞は存在します」と断言したときに、それまでとは全く異なる小保方の顔が現れた。毅然とした、何事にも動じない「覚悟を決めた女」の顔だった。理研でSTAP細胞の研究を続けたい、という思いが明瞭に見えた。
小保方の顔には心労がはっきりと出ていた。しかし、フラッシュが休みなくたかれる2時間半の会見中に、ぶれることはなかった。自分にとって重要性が低いと思われる事柄については、瑕疵を認めたが、問題の核心に触れるところでは、明確に自己主張した。
女という性は「弁解する性」でもある。 自分の身ばかりか、自分とは異なる個体である、子供も守らなければならない。安全を期すためには防御がとても大事になる。そこで弁解の達人になる。 この弁解は、男から見ればとても巧妙だ。周囲に目配りをし、どこからも攻撃を受けないように、細かく配慮する。しかし、核心に触れる自分の主張はきぜんとして押し通す。
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男は「攻撃的、そして能動的な性」だ。自分の主張を大上段に振りかぶって、反論する相手を叩きつぶそうとする。その攻撃が自分に跳ね返って、自分の身が危うくなることがある。防御よりも攻撃が大事な男は、そのような可能性にまで気配りをしない。
2回の調査委員会の会見における、 理事長を含む理研幹部の態度は、小保方とは正反対だった。子供っぽいほど攻撃的で、小保方だけに責任転嫁しようとした。自分を攻撃する理研幹部を含む、多くの関係者に配慮をした、したたかな小保方の弁明との対比は強烈だった。 理研幹部が気の毒に見えた。
STAP細胞の生物学的な意味を理解できず、そんな細胞には興味もない多くのおじさんたちが、小保方の2回目の会見を見て「オボファン」になったのは、当然だった。 おじさんたちは、愛するもののために「覚悟を決めた女」の姿を見て感動し、メスを守るオスの本能に目覚めてしまったのだ。
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小保方は、弁護士を通して、笹井の記者会見に対する感想を述べた。ここでも女としての気配りが見えた。「尊敬する笹井先生に困難をもたらして、申し訳ありません」、と涙ながらに語ったという。男性陣から、小保方への謝罪の言葉が出たことはない。
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obokata1
実験中の割烹着姿が話題になったが、私は彼女の目力から強い印象を受けた。右手にピペット、左手に試験管を握り、やや上目づかいに試験管を凝視する大きな目。きらきらと輝く瞳の奥は深く、全神経を実験に集中させていることが分かった。
もしも、これがテレビカメラを前にしての演技ならば、小保方は、プロの俳優が顔負けする演技力を持っていることになる。私は、これは演技などではなく、彼女の実像と確信している。
小保方の研究への取り組み方が、このような見かけにぴったりと一致するからだ。彼女は、自分自身を外側から見つめ、自分がやっていることに距離を置きながら、客観的に実験を進めるタイプの研究者ではない。 個人的な思いに突き動かされて、仕事を進めるタイプだ。それがこの目力に現れていた。
なるほど、和戸川純氏は、男性のするどい観察眼を読者に披露してくれている。
結局、女性の私も謝罪会見での小保方氏に魅せられた。
結局、女性の私も謝罪会見での小保方氏に魅せられた。
その謝罪の様子に、和戸川純氏と似た魅力を感じた一人だ。
だから、ES派がいろいろ理屈をこねても、告白本も日記も売れるのだ。
窮地の小保方氏に魅せられる人は、その人自らの逆境になぞらえているかもしれない。
会見時の小保方氏は、オーラのようなエネルギーを感じさせたからだ。
小保方氏は、言うまでも無く魅力ある人で、白百合の精と言いたいところである。
若山氏や笹井氏らが、目一杯彼女をサポートしてくれたことが理解できる。
しかし、一方で、小保方氏は直属の上司以外の研究者層からは強い反感をうけるタイプなのだろう。
女性は、出世、名誉、お金など特別の目的がなくても、一生懸命に努力することができる。
女性の努力が実を結ばずしても、女性は努力を続ける。
和戸川純氏の分析のように、女性は、自らの身を犠牲にするというのは、本能的な要素かもしれない。
頑張ることに意味をみつける女性もいる。
こうした志向の人の中には、要領が悪く成果がないのに、意味もなく努力を続けてしまう女性がいる。
とにかく、こうした女性は周りの人が困る。
一方、男性は、先がよく見えるだけに、男性が劣等感や閉塞感を感じたら、そのままの努力をは続けられないのではないか?
もちろん、小保方氏は、先をみての努力であったろうが、細胞の初期化変化の観察に溺れていたと思う。そして、観察眼や努力という才能があったがために、逆にひどい目にあったのだ。
こうした運の悪い小保方氏をやたらけなす女性がいるが、けなす行為で何か優越感にひたりたい人なのかもしれない。
以前、一研究者ブログでは、ティーチャスペットとして上司の教官に取り入る女性研究者の話題が登場していた。一般社会に比べれば、自由に発言できる研究界では、よほど気配りをしないと女性ははじかれてしまう。いづれにしろ、一般社会も専門社会も、女性は裏でも盛大に悪口を言われる。
こうして、女の道は険しである。
しかし、”男の道は尚険し”と考える女性なら、自らで抱えるストレス自体が減ると思う。