TCR(T細胞受容体)について、議論が続いています。
学とみ子が時間をかけて説明しても、ES派は、学とみ子がまちがっていると抗議してきます。

抗議してくる人たちの数がどんどん増えてくるというわけではないのですが、学とみ子が科学的根拠を示しても、それで納得するような方々ではありません。

今回のTCR解説で、学とみ子が「医系の人は間違わない」と書いたことで、反発があり、「医者だと思って・・・」みたいなコメントが書き込まれています。
学とみ子に悪意があるから、悪意で返されるとの指摘もありました。
(不承認にすることにしました。)

また、plus氏から、「学とみ子は他人の言葉をねつ造する」との指摘があった事も、、皆様、ご覧になられています。

ES派の彼らが、学とみ子が間違っていると主張してくるので、学とみ子は私の言い分は正しいと主張してきており、そのように反論する事は当方の権利です。

殺されそうになったら、相手を殺すという正当防衛状況ですし、間違っていると言われ、当方の名誉を傷つけられた事に対して、「あなたの言っていることは正しくないです。あなたのここが間違っています」と抗議しているわけです。

TCRに精通していない細胞学専門家なる方々のコメントに対し、「あなたはTCRのここを誤解していますよ」と言っています。(ちなみに、Lさんからはコメントがありません)

今回のTCRの説明についても、学とみ子は、正当性を主張するために、医系の知識を持ち出したのですが、その説明に対しアンチ医系の書き込みを見た時、学とみ子のおかれた環境が確認ができました。

学とみ子がSTAP事件において
”訴えたい!問題を投げかけたい!、人に教えて、そして、教えられたい!”
と投げかけても、
「知ったかぶってなによ!」と、マイナスに攻撃されてしまいます。

当方が、STAPはESでないの主張については、学とみ子は科学的な根拠があると考えており、それを主張したつもりです。

しかし、反ES論をここで主張する事は、公の専門家集団が出した桂報告書に反するものであり、ES論者への反論は、社会的な反発も強いものでもあるのです。

科学の世界は、論文を書いた著者に、勘違いや間違いがあれば、新しい知識や証拠で上書き、修正されるはずのものです。
STAPはESであるというのは科学的結論として出されたものであり、後に結論に問題があれが、再考できるはずのものです。

TCRは極めて専門的な分野はありますが、医学系の人にとっては、知っていなければならない基礎的なものです。

TCRが作られる時は複数染色体、複数の場所でDNAの一部が切り取られ、複数のDNA断片が貼りあわされる作業(再構成)を経て遺伝子が作り直されます。
DNA情報がなければ、細胞表面に蛋白は出ません。
両者は一体のようなところがあります。

人の体は、1個の受精卵からできてくるのですから、一人の体の遺伝子型は同じです。しかし、T細胞とB細胞の限っては、成熟してくる途中で遺伝子型の一部が変化します。それも、TCRは次々に作り替えられています。

TCR再構成は、他の細胞にない現象として、STAPではこれをDNA痕跡と呼びました。STAP細胞ではこの痕跡がありましたが、キメラ、テラトーマ、幹細胞には無かったことは、皆さん、良く知っている事実です。

DNAを切り貼りするのは、細胞自身であり、切り取られるのは、DNAであることは当たり前のことです。
人はDNAを切り貼りして実験することはできますが、1個1個の細胞ではDNAを調べられません。STAPの場合でも、1個の細胞レベルでTCRを調べることはできません。

切り取り、切り貼りと言う言葉が使われる時は、細胞の遺伝子のレベルの話をしていることを意味しますので、いちいち断りを入れません。
初期化されて消えるのは蛋白としてのTCRであり、消えないのはDNAレベルでのTCR再構成です。

又、一般的に、TCRだけでは、細胞表面蛋白物質を指すことが多いですが、細胞表面の蛋白を切り取りはできませんから、切り取りと言えば、DNAの話になります。
しかし、私が使った、この切り取りとの言葉が攻撃され、切り取ったらDNAがつながらなくなると言われます(何もわかっていないと、攻撃されます)。

これとか、あれが何を指すのかわからないとも言われますが、STAP知識は専門性が高いので、ある程度の知識が必要です。でも、こうした事を私が言うと、抵抗される方がいます。

TCRをもう少し説明しますと、
専門者の仲間うちでは、TCRについて議論する時、同じ言葉がふたつの意味を持ちます。
(1)再構成されたDNA部分 (DNA配列が切り貼りされている部分)
(2)再構成されてT細胞の表面にでてきているたんぱく質

TCRと呼ばれる一つの言葉が、実際には、(1)(2)の意味があります。(1)(2)は、場所も異なりますし、ものの状態も違います(一方はDNA、一方はたんぱく質)。

仲間内では、いちいち、これを断りません。議論の流れの中から、相手が何を意味しているかを判断します。
(1)についてもTCRと略され、(2)についてもTCRと略されます。
これは普通のことなのです。

しかし、今回、plus氏がここに抗議をしてきました。彼は、学とみ子が(1)の場合も、(2)の場合も同じTCRという言葉をつかっていることを理解しませんでした。

その誤解の結果、plus氏は、学とみ子はplus氏の言葉をねつ造し、かつ、他の人の言葉もねつ造していると抗議してきたのです。

私は、早朝に、plus氏のコメントを読んで“ねつ造”との表現にびっくりあわてて、パソコンを立ち上げ、学とみ子が何をねつ造したのか?plus氏に急いで聞きました。

ねつ造の中身が何なのか?を知りたかったのです。まずは、何かの誤解があったのか?それなら謝罪したいと思いました。
そして、plus氏に実際のねつ造の中身を聞きました。
この両者のやりとりについては、学とみ子を茶字で、plus氏を青字で書きます。

2018/6/14(木) 午前 9:30 学とみ子曰く 茶字
>学とみ子は、何をねつ造したのでしょうか?
>plusさんの言われるねつ造は何を意味していますか?

plus氏曰く
 学とみ子さんが書いた、「plus99%が書いた」というコメントはこうです。

plus氏曰く:私が書いたコメントはこうです。
>Nスペの科学者たちが話題にしているのは
「この隠し持ったDNA情報」のことですね。
T細胞レセプターのことではありませんよ。

Plus氏のおしゃった以下の言葉「この隠し持ったDNA情報」のことですね。T細胞レセプターのことではありませんよ。」ですが、

この”隠し持ったDNA情報”、”TCR再構成”、”T細胞レセプター”は、学とみ子は同じ意味で使いました。しかし、Plusさんはそのようには考えてくれませんでした。
TCRの真の意味するところは、使われた状態で判断するという手法が通用されなかったのです。

そして、学とみ子は、plus氏も、「話の流れで区別できるようになった人」と考えていました。

しかし、TCRは、ひとつ、ひとつ、注釈をつけないと、言われた相手は違う事を言われたと誤解してしまうのです。

つまり、学とみ子側の説明不足であるのは確かなのですが、確認し合えない状態では、相手の意図するものがわからないまま、やりとりが先に進んでしまうということなのです。お互い、対面でやりあえば、解決できるのでしょうけど・・・。

結局、お互いに相手のバックグラウンドを知らずに、極めて専門的知識をやり取りしたために起きた誤解であり、不信感であるということです。

そして、この不信感は、この時から生じているわけではなく、今までのいきさつからも、埋め合わせることはできない深みにあるということです。そうした認識が学とみ子にはたらず、なんとか、当方の自説を必死に説明しようとがんばってきた結果に起きた悲劇であると思いました。
医系知識という表現も、人びとの反発が大きいものでありました。

やっぱり氏とのやりとりでは、彼もずーと、学とみ子が(1)と(2)を間違って使っているとコメントしてきました。

結果、学とみ子が気づいたことは、やっぱり氏の場合は、plus氏と逆で、学とみ子の知識のバックグラウンド(医系の常識)を知らずにいたということでしょう。
学とみ子にとってはTCRは間違えようもない知識であることを、やっぱり氏は知らなかったということです。

しかし、この説明をした後でも、やっぱり氏は変化がありません。
今も、学とみ子は誤解している言い続けてきているのです。

学とみ子曰く >このNHK報道の影響ですが、なぜ、次元が低いのでしょうか?
以下のやっぱり氏のコメントはは今日の話です。

やっぱり氏曰く 2018/6/15(金) 午後 4:21、
 相変わらず、日本語が理解できないようですね。
NHK番組での説明は「ゲノム情報としてのTCR再構成」についはてなのに、「受容体タンパクであるTCRの話」を持ち出してNHKの説明は間違っているとういう学さんの齟齬が低次元だと言われているのですよ。
 頭、大丈夫ですか?

人間同士は、話し合えば何とかなる、お互いに歩み寄れるとの常識はもはや存在せず、ES派、反ES派の間で理解はもう難しいことなんですね。議論して、努力して、お互いに傷つけあう、という成果しかもたらさない状況のようです。